あがり症、という問題に関して、相変わらず考え続けています。
わたしのアレクサンダーテクニークの先生のキャシー・マデンさんはレッスンで、生徒さんが
あがり症、という問題に関して、相変わらず考え続けています。
わたしのアレクサンダーテクニークの先生のキャシー・マデンさんはレッスンで、生徒さんが
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努力の中身を定めるための基準
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音楽表現や芸術性を最優先するのか?
それともコンクールの結果なのか?
そしてあるいは、部活動の充実こそが大事なのか?
できないところがある自分、音を外す自分、バテる自分。
そんな自分をひたすら「ダメダメダメダメ」とダメ出しし続けながら楽器を練習、演奏することにやっぱり慣れきってることにまたも気付いたので、意識的に「自分にとてつもなく甘く」接しながら楽器を練習、演奏してみる。
わたしたち音楽を奏でることを愛するひとたちの多くを、信じられないほど苦しめている「あがり症」。読者のみなさまの中にも心底、悩んでいる方がいらっしゃることでしょう。
あがり症は、「治す」ものでも、「克服する」ものでも、ましてや「紛らわす」ものでもありません。あがり症は「乗り越えていく」ものです。とても怖いけれど、乗って、越えていくもの。大きな大きな「波」のようなものです。
楽器演奏や歌唱に真剣に取り組み始めて数年すると、演奏のための基本的な技術は身に付いてきます。
一方で、どんなに頑張っても、あの手この手を試しても改善しないように見える「問題」や「苦手分野」も慢性化することがこの時期から始まることが多いのではないでしょうか?
もう何度もそこかしこで言ったり書いたりしていますが、わたしのあがり症との付き合いは中学2年のころから、もう16年にもなります。
わたしにとって、あがり症というのは本当に本当に不思議な現象です。