相変わらず、「あがり症ってなんだろう?」ということを、セミナーが終わってからも想いを巡らせています。
原因をより深いところまで突き詰めると、4つあるのかな、と思います。
① 演奏/パフォーマンス/音楽のプランのいずれかが欠如している
② 演奏/パフォーマンス/音楽のプランのいずれかが間違っている
③ 自己否定/自己嫌悪が作用している
④ 演奏することに強いトラウマを抱えている
このどれか、または複数が、あがり症に悩むひと(わたしも含めて)に該当するのかな、といまは思っています。
ただ、①または②の原因として③または④が存在している場合もありそうなので、4つは並列するというより、互いに関係しているとも思います。
【1】演奏/パフォーマンス/音楽のプランのいずれかが欠如している
演奏のプランとは、主に演奏技術を指します。演奏技術に「アレクサンダーテクニークを使う」を含めることもできます。
パフォーマンスのプランとは、聴衆や演奏空間との関係をどう作るかという部分です。
音楽のプランとは、演奏する作品のメッセージや、演奏者であるあなた自身がその音楽を演奏する意味をどう意識化し、それを奏でることを演奏の目的として組み込んでいるか、という部分です。
たとえ、舞台に対して全く苦手意識や恐怖心を持っていなかったとしても、これらのプランが用意されていなければ、本番でおかしなことになってしまう可能性は上がります。
とくに聴衆や演奏空間という要素を、練習やリハーサルの段階で全く想定していなかったとすれば、本番でそれらに接したときに起きる様々な変化(とくにドキドキ、ソワソワ、発汗や口の渇き、震えなど)に対しパニックになることでしょう。
また、音楽のプランを持っていることは、そういった本番でこそ経験し感じることが多い様々な感覚や感情をパフォーマンスに活かして+に転じる(それ以外の選択肢はもったいない)ための推進力になります。
【2】演奏/パフォーマンス/音楽のプランのいずれかが間違っている
演奏技術の例
たとえば、「高音時に力を抜くこと」を意識しているとします。このプランは演奏技術のプランと言えます。しかし、このプランは、文字通りやっているとむしろ高音を演奏させづらくしてしまう可能性を持っています。高音の方が、エネルギー=力そのものは必要だからです。
ひとりで練習しているときやリハーサル時にはそれでうまくいっているとします。しかしそれは、何らかの無理をすることをやめることがうまくいっているのであって、高音に必要な力はちゃんと使えています。
本番になると、身体の感覚も普段とちがっていますから、「高音時に力を抜くこと」を本番のときに意識すると、必要な力も OFF にして高音が出ない、というようなことが起きることがあります。
ですから、望ましくはより正確で、状況や身体感覚の如何に関わらず使える「高音の出し方のプラン」へとアップデートしていきたいのです。
これは演奏技術のあらゆる面に当てはまります。
ただし、「高音時に力を抜くこと」だって人や場合により、ものすごく役立つ良いプランなことはありますから、例に出したとはいえ、全否定しないでくださいね。
大切なのは、いま使っているプランを出発点に、大きく変える柔軟性と好奇心を持ちつつ、プランをいろいろ作ってみては試し、をしていくことです。そうやって変更され洗練されていったプランほど、頼れるものへと変貌していきます。
聴衆や空間との関係
「客をカボチャと思え」というポピュラーなプランがありますが、わたしとしてはこれは言語道断といいますか、やってはいかんものだと思います。
人は、カボチャではありません。興味と意欲と期待をして聴きにきてくれていますから、聴衆はリスペクトし、演奏の招き、音楽を共に生み出すパートナーとして関係を作りたいはずです。
「いつもと同じように演奏しよう」というのも、実は逆効果になりやすいプランです。なぜなら、ひとりで練習しているときやリハーサル時と、場所も人も状況も異なることが多いからです。
大切なのは「その一期一会の状況」において、どうそのとき限りの演奏を生み出すか だと思います。それが音楽の本質だと思いますから、本質に逆らうことはむしろ演奏を難しくさせる可能性が上がります。
【3】自己否定/自己嫌悪が作用している
上記二つは、演奏のその瞬間において、具体的に重要なものだし、取り組みとしても意識的に、自分の意志で向上させていきやすいものです。
それに対して、より分かりにくいし言及もしづらいけれども、もしかしたらひとによってはあがり症の根本的原因かもしれない のがこの、演奏している自分に関する自己否定や自己嫌悪 です。わたし自身にとっては上記二つ以上に重要なポイントかもしれません。
この自己否定や自己嫌悪は、もし演奏に関してだけ持っているのなら、演奏への取り組みのなかで意識的に変えて、演奏を成功へと導くことが可能だとは思います。(その方法に関しては拙著『徹底自己肯定練習法』をご覧ください)
しかしもし、自己否定や自己嫌悪の傾向が演奏以外の日常生活や人間関係にもあるのだとすれば、その起源は音楽と無関係、あるいは音楽を始める前にあるかもしれません。
そういったものを変化へと導くためには、自分でできることもたくさんありますが、心理的なワークの専門家の助けを得ることが大事だと思います。
わたしは、もともとは仕事、社会人として安定した精神状態で日々を全うするために不安になりがちな自分の心のバランスを改善するために心理カウンセラーによりカウンセリングを受け始めましたが、音楽や演奏につながってくることを実感しています。
一般的な心理カウンセラーによるカウンセリング以外にも、様々な心理ワークがあります。どのような手法がどのように人に合うのかは、ひとそれぞれ、場合によりけりだと思います。ですから、いろいろ調べて興味を持ったものから試していくとよいでしょう。
わたしが考える目安としては、「じっくりと時間をかけて良くしていく」前提があるもは、そうでないものより一般論として信頼できる、というものです。
なにかたったひとつの手法やメソッドで「一気に、いっぺんに、全部よくなる」と謳うものは、それは相性が良かったり条件がうまく揃っていれば、の話だと思うので、わたしはまずはゆっくり時間をかけていくことに価値を置くカウンセラーや手法をより信用することにしています。(ただし、だからといって即効性を謳うものを、そう謳っていることを理由に完全に排除するわけではありません)
【4】演奏することに強いトラウマを抱えている
稀ですが、演奏することに関して強いトラウマを抱えているひともいます。
・練習中や演奏後に、教師や親に殴られる、あるいは激しく詰られるようなことがあった
・演奏中に地震が起きたり、誰かが倒れたりした
・(マーチングなどで)演奏中や練習中に大きな怪我をした
そういった体験が背景にあって、演奏に際して心身が演奏に不利な反応をする場合です。
こういったケースでは、トラウマを扱うことに長けているカウンセラーがいますし、トラウマを解放することに特化したワークもあるようなので、調べて専門家のサポートを受けるとよいでしょう。
以上が、わたしがいま考えている、演奏におけるあがり症の原因に関する考え方です。
では、必要な専門家の助けは得るものとして、普段の練習から、あがり症を乗り越えて自分らしく演奏をするためにできることはあるか?
わたしはあると思います。これまでも様々なアイデアを模索してきました。
最新のアイデアは明日、ブログに記したいと思いますが、これまで書いてきたものの一部を以下に挙げますのでどうぞご参照ください。
【書籍】
楽器演奏と日々の練習において自己否定を無くしていく、自己肯定を確かにするために役立ちます。
ものごとがうまくなる、その精神的構造や、本番に向けてどのように内面的に取り組むかを網羅しています。
【ブログ記事】
練習のやり方に関する、様々なヒントとアイデアが得られる記事系統がまとめられています。
あがり症のひとで、それを乗り越えたいひとが、どう練習を組み立てればよいのか。それをひとつの記事で網羅しています。