なめられないように、を乗り越える

最近知ったのですが、楽器の先生や吹奏楽部の顧問・指導者の先生のなかには

『生徒になめられないようにしなければ』

という気持ちがあって、そのせいでどうもうまくいかなくて困っている、という先生が少なからずいらっしゃいます。

『なめられないようにしなきゃ』

という気持ちがどのように良い指導を阻害しているかといいますと、

たとえば

・褒めることが大切
・長所に着目してそこを伸ばす
・生徒となるべくフラットな(上下関係ではない)信頼関係を作る

といった、教育学的もしくは心理学的に、音楽の世界以外でももはや当たり前になりつつあり、怒鳴る、厳しく指摘する、威圧するといったやり方よりも確実に生徒の成長にもパフォーマンスの向上につながる考え方・やり方を、吹奏楽部や吹奏楽団の運営に取り入れていくことに二の足を踏んでしまうのです。

【学校が荒れていないのに】

はじめは、よほど荒れていて、吹奏楽部でも部室の窓ガラスを部員たちが進んで叩き割るような学校での話だと思っていたのですが、実は全然そんなこともなく、進学校の先生でも、なぜか部活のことになると『なめられたくない』という気持ちに動かされていまうことがあるようです。

この、なめられたくないという気持ちの起源を考え始めると、それはもはや目の前の生徒たちや団員さんとは関係のない、過去の自分自身の体験にまでいきつくかもしれません。

わたしは心理カウンセラーではありませんから、そこをどうこうすうことはできません。

ですので、「生徒の演奏を伸ばす」ことに、どうすれば「なめられたくない」という気持ちから自分の指導に悪影響を及ぼさず、生徒の成長、向上、幸福に指導者である自分自身がベストを尽くせるか、という角度から考えてみたいと思います。

【指導者として、自分が生徒にしてあげたいこと】

まずは、指導者として吹奏楽部員や吹奏楽団員のために、あるいは彼らと一緒にあなたがしたいことは何でしょうか?

本当にひとそれぞれ、多種多様な答えになるでしょうが、全ては何らかの「価値ある体験」に行き着くだろうとわたしは予測します。生徒さんに、「ぜひしてもらいたい体験」があると思うのです。

それは

・言葉では言い表せないような、あたかも神が降りてきたかのような素晴らしい演奏を体験させてあげたい。

・自分たちが奏でる音楽が聴衆に触れ、聴いているひとの持てる力を活性化し、勇気を喚起し、人生やこの世界の美しさ、素晴らしさに気付きを促しうるものであることを体験させてあげたい。

・仲間と支え合い、勇気づけ合って、長期間に亘って同じ目標に取り組むことで得るかけがえのない友情、チームワーク、役割分担などの人生経験をさせてあげたい。

・長期間に亘って規律を持ってひとつのプロジェクトに取り組み、それが達成されたときに得る達成感、自信を体験させてあげたい。

といったようなことに行き着くことと思います。

そのような、『指導者としてのあなたの望み』のなるべく深部、根本を探ってみましょう。

そしてある程度何か見えてきた気がしたら、自分自身に問いかけてみてください。

『なめられないようにする、という努力は、自分の指導者としての望みにどれぐらい役立っているだろうか?』

と。

ほとんどの場合この時点で、なめられないようにするという気持ちは、あなたの音楽家、教育者としての望みや情熱に関係がなかったり、役に立っていなかったりすることが分かると思います。むしろ妨げになっているかもしれません。

しかし、もしかしたらこの時点で、なぜなめられたくないのか、という理由が、現時点で何らかの教育的あるいは芸術的(音楽的)な理由や必要性を持っていることに気付く場合もあるかもしれません。

【いま、どれぐらい良い指導が行えているか】

あなたの指導の、あなたにとっての(←これ大事。生徒よりまずあなたがあなたにとっては一番大事です)望みが分かってきたら、次に現状を把握していきましょう。

生徒に体験してもらいたい「価値ある体験」が起きる可能性が高まるようなことを、あなたは指導中に行えていますでしょうか?

そもそも、指導の一言一言は、あなたの指導者としての望みから導き出されているものでしょうか?
それとも目の前のことに反射的に出てきているものでしょうか?

ご自身の指導を一度振り返ってみてください。そして、あなたの発想、行動、言動が、どれぐらいあなたの指導者としての望み、夢、情熱と結びついているか。その夢も実現に向かう方向のものなのかどうか。それを観察してみてください。

【新たな歩みを始めると決める】

A:あなたの指導者としての望み

B:あなたが実際に行っている指導

の関係性、距離、一致度を自分なりに確かめたら、次は、BをAへと一致させていくために実際にアクションを起こすことを「決断」する必要があります。

というのも、決断抜きで「どうやって指導したらいいんだろう?」と考え始めると、相変わらず「なめられないように」とか「ビシットしつけてやる」とか、教育的そして芸術的あなたの真に望んでいることとは異なる指導法を採用し続けるべき理由を見つけていってしまいがちだからです。

ここで目指しているのは「正しい指導」とか「結果が必ず出せる指導」ではありません。あなたが指導者として生徒さんたちや団員さんたちにぜひ得て欲しい「価値ある体験」を実際に彼ら彼女らが体験し、成長し幸せになる、その可能性を高めるためにベストを尽くしたいのです。

従って、まず先に「その方向に向かうぞんだ」という決断が必要です。それは、その決断に沿ってこれから情報収集をし、プランを作り、実行へと進んでいくからです。

集めたい情報は、あなたが真にやりたい指導が

・そもそも可能であり
・どうやったらいいかのヒント

を示す、そんな情報なのです。これを見つけていかないと、相変わらず「無理」「難しい」「できない」「そんなのは現実的でない」という結論になってしまい、そのままあなたが真には望んでおらず、あなたも生徒も幸せにしない指導を継続せざるを得なくなってしまいます。

ですので、教育的、芸術的に素晴らしい体験を生徒さんや団員さんにが得ることを本当にサポートしたいのならば、そのあなた自身の望みを実現する方向に歩むのだということを、あなたがあなた自身のために決めてください。

【広大な世界を探索する】

いざ、指導者としての真の望みを実現すべく行動していくことを決断したら、いよいよわたしたちを取り巻くこの広い世界から情報収集をします。

情報収集は、様々な形を取り得るでしょう。

・いろいろな指導者に指導法について質問をする
・他の指導者の指導を実際に見学する
・ジャンルを絞らず、指導のヒントとなり得る本をいろいろ読む
・普段接している生徒さんや団員さんたちの考えていること、感じていることを知る(アンケート、一緒に食事に行く、フランクな話し合い/ミーティングを定例化する etc…)

などなど。

情報収集はその実践においてはどんなものでも有り得ますが、そのどれもが同じふたつの問いから出発し、形作られます。それは

①「わたしの指導者としてのいちばんの望みは何だろう?」
②「その望みを、わたしはどうすれば実現できるだろう?」

のふたつです。

思い出してください。真に教育的、芸術的、人間的な指導者ならば必ず、生徒さんや団員さんにもぜひ体験してほしい「価値ある体験」があります。素晴らしいもの、素敵なもの、本質的なもの。それを「分かち合うこと」を指導者というものは本質的に望んでいます。

・楽器がうまくなること
・音楽が素敵に演奏できること

そういったシンプルなものも、「分かち合いたいもの」のひとつなのです。

情報収集のプロセスに、終わりはありません。問いは同じでも、問いを重ねると答えや見え方は変わって行きます。経験や時期により、問いを立てるあなた自身も変わっています。

また、このあとに続く「プラン作り」と「その実行(実験)」によっても、新たな情報が得られたり、情報の精度が高まったりもします。

【プランを作って、約束をする】

情報が集まってくるにつれて、

「なるほど、こうしてみるといいのかな」
「あれを試してみようかな」

というような、指導のやり方や使えるアイデアに関して新しい発想が浮かんできます。

そのとき、この発想やアイデアを、明確なプランとして定めてください。

「次回の指導は、こう考えながらやってみよう」
「こういう場面では、あのアイデアを次は使ってみよう」
「こんな雰囲気になったときは、あんな言葉を使ってみよう」

というふうに。

見方、考え方、発想、アイデアが変化し新しくなっていっているだけでは、それを実践しようとするときに混乱したり、忘れたりするかもしれません。

だから、いままでとは何かが異なることをちゃんとやってみる(やってみないことには行動が変わらず現実が変わりません)ためには、そのアイデアを「次は〜してみる」という実験の形にまで明確化しておく必要があるのです。

例えば、「なめられたくない」という気持ちから、音を外したひとに対して、不必要に言葉がキツくなる傾向がいままでの自分にはあったとします。

その場合、指導者としてのあなたの本当の望み(=分かち合いたい価値ある体験)から導き出した、「本当はこんなふうに声をかけてあげたい」というアイデアがあります。

そのアイデアを使うことを、自分自身と約束するのです。

「こんど合奏中に誰かが音を外したら、そのたびに必ず『ドンマイ、気にするな!』という言葉をかけてみよう」

というふうに。

そうしておけば、普段と同じ合奏や指導の状況でも、「あえて新しい(そして指導者としての望みに一致した)ことを実行に移す」ことがやりやすくなります。「ついついいつもの調子でやってしまった」という、なんとなく流される、なんとなく抵抗感があって新しいことができない、といった状況を乗り越えて変化をもたらしやすくなるのです

これは、いつもの決まりきった、同じような悪循環になってしまう「指導法」を実際に変えていくうえで重要な作業です。

【約束を果たす勇気】

さあ、ここまでくれば、あなたは変化と指導者の夢の実現に近づくための本物の一歩を踏み出す用意が整いました。

しかし、自分自身に対して新しく試してみることを約束してあるにも関わらず、「いざ」というときにどうしても尻込みしたり、怖くなったり、惰性に流されていつもと同じになったり、予想外の反応に対してパニックになってしまう可能性が常にあります。

新しいプランを実行し、実践し続けるためには勇気が必要です。

ただし、単純に「勇気を出せ」などということをもちろんわたしは言いません。勇気が出せないひとに対して「いいから勇気を出せ」と迫ることは、ちっとも役に立たないからです。音を外すな!怒鳴っても何にもならないのと同じですね。誰も外したがっているわけではないですから。

そこで必要になるのは、「自分が勇気を持てるような仕掛け自分のために作る」そんなスキルです。

それはつまり、あなたが怖れていたり、嫌がっていたりすることを、どうすれば「そうなちゃっても大丈夫」であるように条件・状況を設定するか、ということなのです。

怖れている危険に対する安全対策をする、という言い方もできます。勇気を出すためには、どこかで安心・安全を感じられるようにしておくのが手っ取り早いのです。

もしあなたが、「なめられること」を怖れているのなら、「いざ、なめられたとしても大丈夫」なようにしましょう。

そのためには、「なめられることで、具体的にどんな悪いことが起きると考えているか」明らかにする必要があります。

・生徒が自分を無視し始める
→ それは本当に起きるだろうか?
→ もし無視しはじめたら、無視をやめさせ、自分の指示に協力させるための有効な方法はあるだろうか?

・指導者としての面目を失う
→ 無視されただけで、あなたの指導者としての素質や評判は揺らぐだろうか?
→ もし揺らぐのだとしたら、別の方法で回復できるだろうか?

変化、実験にはリスクが付きものです。それは誰でも知っています。

でも、それだけでは怖いだけでなかなか行動ができません。だから、怖れているリスクを吟味して、それに対しての安全を講じておくとよいのです。

そうすることで、あなたの指導者としての本来の望みと、実際の指導を一致させていく、という変化へと自分を促すことができます。自分にいかに勇気をもたらすか(=どう自分のための安全を確保するか)

これも指導者としての自分を伸ばすうえで大切なスキルです。

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