金賞を目指すより‥‥

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努力の中身を定めるための基準
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音楽表現や芸術性を最優先するのか?
それともコンクールの結果なのか?
そしてあるいは、部活動の充実こそが大事なのか?

演奏者の方も指導者の方も、自分が何かを目指して努力するとき、その「努力=アクションの設定の基準」を意識的に理解できると、とても効率的かつ健全に努力を重ねることができると思います。

今回のレッスンでは、その努力=アクションの中身を、後述する基準に沿って定めたときに、自分が本当は何を望んでいるのかが逆説的に明確になっていきました。

【コンクールを目前に控えた吹奏楽部】

ある夏、千葉県にある高校の吹奏楽部へレッスンに伺いました。コンクールまであと三日だということで、本番に向けてどうしていこうか、というテーマでのレッスンになりました。

・目標の作り方
・緊張への対応
・高まる芸術的なエネルギーの使い方

をディスカッション、エクササイズしました。

吹奏楽コンクールというものが、わたしは個人的にそんなに良いと思わないし、吹奏楽部時代当時から好きじゃなかったということははっきりお伝えしたうえで、まずは部員同士で、自分が三日後の本番に目指していること、望んでいることは何なのかを互いに言葉にして共有してもらいました。

【目標にたどり着くための努力のやり方】

そこから、目標にたどり着くための努力のやり方について考えていきました。

別の言い方をすると、具体的・現実的に得よう/達成しするための「アクション」の中身の定め方です。

それには基準があります。

① 建設的である
② 可能である
③ 自分のコントロールの範疇である
④ エコロジカル

という基準です。

〜1. 建設的である〜

望みへ向かうことをやっている。それが建設的であるということです。

緊張しないようにする、これは建設的ではありません。緊張しないことが望みではないからです。

緊張しないことで得られると思っているものが望みなのです。たとえば、あるフレーズをこう奏でたい、など。

〜2. 可能である〜

これは分かり易いですね。

空を飛ぶ望みのためにただ五階から飛び出しても飛べないのです。生身では不可能だから。

〜3. 自分のコントロールの範疇である〜

音楽で言えば、他者を感動させる、はこれに抵触します。

感動するかどうかは聴いているひと次第だからです。

〜4. エコロジカルである〜

これは、自分も、ひとも、何も傷付けないということです。

建設的で、可能で、自分のコントロールの範疇であっても、自分または誰かの心身に害をなすものであってはいけないのです。

【顧問の先生は間違った努力の仕方をしていた】

顧問の先生に伺ったら、

「他に負けたくない。三日後は金賞を獲ることを目指す」

とのことでした。

そこで、先生の望みを探りつつ、目標設定そのものを変えたい可能性はないか、あるいは他校に負けない・金賞を獲ることが真の目標だとしたらそのための努力=アクションの設定を構築しなおすことを提案しました。

先生は快諾してくれたので、部員みなさんが見守るなかで対話を始めました。

なおその際、「金賞を獲ろう」と直接的に努力することには問題があるということをお伝えしました。

【なぜ「金賞を獲ろうとする」ことは問題があるのか?】

金賞を獲れるかどうか、ということは、四つの基準のうち、

③ 自分のコントロールの範疇であること

に抵触します。

金賞になるかどうかは、審査員の評価や他校の成績次第だからです。

ですから、金賞を獲ることを目指し、「金賞を取るために努力する」というアクション設定で取り組むと、潜在的にパフォーマンスを下げることになるのです。

【金賞は本当の目標なのか?】

そこで、金賞を獲ることにつながり得る、自分がコントロールできる範疇の具体的なアクションまで一緒に探りました。

最終的に見つかったアクションのひとつは、

「審査員の採点傾向と、過去の県大会の金賞受賞演奏の曲やバンド構成の分布などのデータを調べ、それに基づき演奏の全てを決定する」

ということでした。

それが金賞のためにベストを尽くすということです。
それが金賞を獲るための建設的で可能で自分のコントロールできる範疇である具体的なアクションなのです。

金賞を獲りたいということは、そうしたいということなのです。

【金賞なんて全然とりたくない!?】

「先生、そういう努力をしたいですか?」

と尋ねたら、返事は即答。

「全然やりたくない!」。

そう、先生の望みはちがうところにあったのです。

すると先生は仰いました。

「金賞を獲りたい気持ちも消えた」

そこで尋ねました。

「では、何をしたいのですか?」

先生の答えはこうでした。

「生徒を、わたしが大好きな吹奏楽というものに導きたい」

ここに真の望みがありました。芸術家としての望みと教育者としての望みが見事に調和した、高い次元の望みでした。

この一言は、先の4つの基準にも合います。

・吹奏楽の世界に生徒たちを導くという目標があり(建設的)
・吹奏楽部に入っている生徒たちですから、吹奏楽の世界をもっと味わいたいという気持ちを持っている可能性が高く(可能)
・導かれるかどうかは生徒次第ですが、導くという行いは先生自身が行うことでき(コントロールの範疇)
・そして誰も、何も傷つけない。(エコロジカル)

【真の望みに従おう】

こういったプロセスを、生徒同士でもやってもらいました。

分からなくなったら、わたしに助けを求めてもらいながら。

他にも、アドレナリンサーフィングや全感覚ウォームアップ、マインドをボジティブに動かしていくエクササイズなどをやってみてお伝えしました。

【曲の世界に聴衆をお誘いする】

生徒のひとりが到達した、コンクール本番での目標のひとつが素敵でした。

『この曲の世界に、聴いているひとをお誘いする』

これに自分がつながって演奏というアクションをしていれば、変な緊張に呑まれたり後悔したりするようなことにはなりません。

とても充実した時間でした。

…後日談としてですが、この学校はコンクールでは彼らにとって素晴らしい結果を見事獲得しました。

Basil Kritzer

〜後記~

別の吹奏楽部顧問の先生から、この記事に関してご質問を頂きました。そのやり取りはこちら「金賞を目指してはいけないの?」をご覧ください。

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金賞を目指すより‥‥」への9件のフィードバック

  1. バジル先生、こんばんは。

    このまえ、コンクールがありました。
    結果は県大会にいけないで終わってしまいました。
    これで引退です。
    わたしは、3年間で最高の演奏ができました。
    努力してきて、がんばってきて、よかったです!!

    先生には、たくさん相談にのってもらい、本当に、ありがとうございました。
    先生のアドバイスのおかげで、わたしは頑張れました。

    これからも、音楽をたのしみたいと思います!
    ありがとうございました。

  2. 素敵なブログでした。良い目標を共有できると楽しいだろうなと改めて思いました。

    全国大会常連の高校に行った後輩を高校卒業後に、当時私が入っていた市民バンドにお誘いしましたか、「もうやりたくない」と言っていたことを思い出しました。その時感じたのは、「燃え尽きてるな」と「つまらない練習してたんだろうな」です。

    私は、下手くそながらのらりくらりとだらだらと50才超えても楽しんでいます。

    • Ronさん

      コメントありがとうございます。

      実はわたし、ドイツの大学を卒業して日本に戻ってすぐ、京都でアマチュア音楽家の方々とすごく関わりを持つ機会に恵まれました。
      そこで、まさに「のらりくらりだらだら」の素晴らしさを目の当たりにしました。
      自分の音楽観や方向性にすごく+になりました。

      のらりくらりだらだら、のつもりでもそこから頭をもたげてくる向上心や感動があります。
      その推進力は本当にすごいです。

      Basil

  3. はじめまして。
    いつもフェイスブックから記事を読んで勉強になっています。
    音楽の専門的な勉強をしたことはないのですが、小学校の吹奏楽部にボランティアで通っています。

    生徒を、わたしが大好きな吹奏楽というものに導きたい

    自分がやりたいことが文字になっていて涙がでました…。
    顧問の先生があさっての方向に頑張っていて、いつももどかしい思いをしているのですが、ほんの少しでも伝わったらいいなと思って、もう少し頑張ってみようと思いました。

    • ぴよさん

      コメントありがとうございます。

      このやり取りを文字に起こすことを許可してくれた先生のおかげで、ぴよさんの望みが表現されたのがとてもよかったなと思います。
      こういったコメントをいただけると、わたしもとても励みになります。

      ありがとうございます。

      Basil

  4. ピンバック: 金賞を目指してはいけないの? | バジル・クリッツァーのブログ

  5. バジル先生、初めまして。
    アマチュアのホルン吹きです。
    いつもバジマガや書籍やTwitterを拝見して、練習に取り入れさせていただいております。

    私の所属していた吹奏楽部は、中高とどちらも弱小部でしたが、とても素敵な思い出と経験ができ、今やホルンは体の一部になっております。
    一方、強豪で普門館にも行った知人の学校は、部の次年度予算の関係など、大人な事情もあって勝つことしか求められていなかったそうです。
    当然その知人は卒業後一切楽器を吹きません。

    頑張って結果を出した時は、その充実感は計り知れないものですが、そのための努力が苦痛でしかなかったり、審査員の好みで判断されたりすることは、子どもたちにとって酷です。
    このような先生が増えて、未来の音楽家たちを導いてくださることを祈っております☆

    • ひめさん

      部活の主役は生徒のはず。
      それも、いま部活をしている一人一人が、ですよね。

      大人の事情、学校の伝統などは本当に馬鹿げた、非倫理的なことばかりです。

      中学公民レベルで前提となっているはずの、表現の自由や自己実現の権利。
      それらを大切に、困難はあっても充実した人生の手伝ができるように日々を過ごしたいと思います。

      Basil

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