金賞を目指してはいけないの?


こちらの記事「金賞を目指すより….」をご覧になった吹奏楽部顧問の先生から、ご質問を頂きました。

【質問者】

こちらの記事「金賞を目指すより….」について、質問があります。

目標の作り方についてですが、「○○な演奏をすること」を目標にするより「金賞を取ること」を目標にする方が、生徒たちのモチベーションは上がります。

本校では「金賞を取るために」どういう演奏をすればいいのか、そしてそういう演奏をするためにどんな練習をすればいいのかを考えています。それは、審査員の好みの演奏になるのかも知れませんが、でも金賞を取る団体はやっぱり上手ですし憧れます。

素晴らしい演奏を目標とすることならば演奏会での目標でも出来ます。
コンクールと演奏会の違いや出場する意義はそこにあるのではないのでしょうか。

【バジル】

ご質問ありがとうございます。

記事にも書いてある通り、金賞を取るために

・可能で
・コントロール可能で
・建設的で
・エコロジカルな

手立てを考え実行していれば、それはなんの問題もありません。
文面からは、先生と部員たちがそれに沿っているだろうとことが読み取れますので、それで大丈夫なのです。

記事に登場する先生・学校の場合は

「金賞を取ること」
「他校に負けないこと」

という、コントロール不可能なことを直接的にやろうとしていました。

しかも、金賞という結果に至るためにできることを考えた結果、それ自体がその学校の先生のやりたいこととは異なっていたので、建設的ではなかったのです。

その先生とその学校は、その年は、コンクールという場で「自分たちの大好きな音楽に聴衆を招く・導く」ということを意識的な目標とし、その演奏の評価が幸運にも金賞となりました。もちろん喜ばしいことですが、賞はその先生と学校にとってはおまけでしたね (^^)

コンクールという場を、賞を取るための場として活用するのか、演奏会のひとつとして活用するのかは、学校・生徒ごとの望みに則った選択の問題で、どちらも可能なことです。

大切なのは、

やろうとしていることが自らの望んでいることであり、その手法・手段が

・可能で
・コントロール可能で
・建設的で
・エコロジカルな

ものによって構築されているということです。

これができていないと、ストレス・力み・不幸のもととなり、これができていると充実してきます。

先生のメールの文面を拝見すると、金賞を取りたいその理由(望み)に、

・生徒のモチベーションを上げたい
・上手になりたい

というのがあるのが読み取れる気がします。

もしそれがそうだとしたら、目標設定の仕方としては、金賞を取ることではなく(金賞を取れるかどうかは、コントロールの範囲外のため)、生徒のモチベーションを高め、より上手な演奏を実現する ということ自体が目標としてはより効果的、健全かつ強力な設定になるはずです。

おそらく、金賞という「形」がその役に立っていると実感されているということなのだろうと推察します。

つまり、金賞が目標なのではなく、金賞を目指すという共通認識を部員感で持つことが、生徒のモチベーションを高め、より上手な演奏を実現するという目標/望みに向かうための手段のひとつということですね。

こういう整理をするときに限り極論が役立つので、極論なのは承知のうえで述べると…

・評価は銅賞でも 生徒のモチベーションを高まり、より上手な演奏を実現される という結果になるか
・評価は金賞でも、生徒のモチベーションは下がり、演奏は下手になってしまうという結果になるか

どちらかを取るとしたら、どっちを取るか?問いを実験として立てると、目標(=望み)が 「金賞」 なのか 「生徒のモチベーションを高め、より上手な演奏を実現すること」 なのかがはっきりします。

そして、金賞自体を目標とするのか、生徒のモチベーションを高め、より上手な演奏を実現すること が目標なのかが明確になれば、いずれかはもう一方の手段として機能しますね。どちらを目標とし、どちらを手段としたとしても。

生徒のモチベーションを高め、より上手な演奏を実現することを目標とする場合、先の基準に照らし合わせるとこの時点でも若干改善すべき点があります。

生徒のモチベーションを高める、ということは直接的にはコントロール範囲外ですから、正確には「生徒のモチベーションが高まるようになるべく努め、より上手に演奏できるように努める」という言葉のほうが適切になろうかと思います。

金賞に関しても同じ、「金賞が取れる可能性が限りなく高まるように、最善を尽くす」という言葉にしたほうがよいのだと思います。

そして、いずれにせよ、最大限努める・最善を尽くすというその具体的中身としてのアクションは 可能・建設的・コントロール範囲内・エコロジカル という四つの基準から導き出していく必要があります。

じゃあ、

・生徒のモチベーションが高まるようになるべく努め、より上手に演奏できるように努める
・金賞が取れる可能性が限りなく高まるように、最善を尽くす

のはそれぞれ、「何のためか?」という問いが大切で、前者なら「芸術で人生の意味を直感的に感じ取ること」とか「やる気が出ることの価値を学ぶ」とかそういうことが数ある理由の一例たり得ますし、後者なら「頑張ってきたことが評価に結実する達成感を得て自信を育む」といったことがこれまた数ある理由の一例として考えられます。

ここまでくると、どんな目標でもその設定と手段の構築・選択における基準に注意すれば普遍的肯定的な価値につながってきますね!

以上、参考になればと思います。
ご質問を契機に、個人的には非常に整理が進みました。
感謝申し上げます。

【質問者】

内容も丁寧でわかりやすく、自分のやってきたことに
自信を持ちました。とても誠意ある対応に感謝申し上げます。ありがとうございました。

P.S.吹奏楽・アンサンブル・オーケストラのレッスン

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金賞を目指してはいけないの?」への1件のフィードバック

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