きょう練習していて気付いたこと。吹く音を決めて、そのあと「さあ吹こう」と「吹くと決めたとき」に、身体全体が少し固まる。音を吹くと決めたら、次の瞬間には「外したくない」「当てねばならない」という思考が始まってしまうから。
きょう練習していて気付いたこと。吹く音を決めて、そのあと「さあ吹こう」と「吹くと決めたとき」に、身体全体が少し固まる。音を吹くと決めたら、次の瞬間には「外したくない」「当てねばならない」という思考が始まってしまうから。
いちばん困るのは「世の中のきびしさを教えてやるのだ!」といって、震え上がらせ萎縮させる「指導」。実はこれで「世の中に出るのが怖くなってしまう」若者多数。厳しい中をしたたかに健康に生きていく術を教えてはじめて「指導」である。でないとただの「いじめ」「自己満足」。
ミスをしたら、自分は生きている価値がないー。無意識にではあるが、音楽家は内心それぐらい自分自身を追い込む。
ミスしたくない、音を外したくない、間違いたくない、という想いがなぜ身体に緊張をもたらすか?
なぜだか世の中では、「姿勢は自分でコントロールするもの・作るもの・保つもの」と思われがちだけど、それは有害なんじゃないかな。
わたしは、アメリカ人だが1歳から日本で育った。家は「アメリカ」外は「日本」という二重な環境で育った。いま思い返すと、私は日本の「ダメ出し」文化というか、「褒めることを恐れる」文化に小さい頃から違和感や怖れを抱きながら育った。
家が「アメリカ」だったから、保育園から日本社会に育っても、「ダメ出し」を積極的に行い、「褒めることを避ける」という選択を繰り返す日本式教育の「コンテクスト」をずっと理解できなかったわけだ。日本人家庭に育つと、その部分は自然と分かるというか、刷り込みがある。
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ある日、
まちがえたところ、
音が外れたところ、
気に入らないところを