潰さない育て方

わたしは、アメリカ人だが1歳から日本で育った。家は「アメリカ」外は「日本」という二重な環境で育った。いま思い返すと、私は日本の「ダメ出し」文化というか、「褒めることを恐れる」文化に小さい頃から違和感や怖れを抱きながら育った。

家が「アメリカ」だったから、保育園から日本社会に育っても、「ダメ出し」を積極的に行い、「褒めることを避ける」という選択を繰り返す日本式教育の「コンテクスト」をずっと理解できなかったわけだ。日本人家庭に育つと、その部分は自然と分かるというか、刷り込みがある。

最近はようやく、すぐに「ダメだし」をし、「褒めないようにする」ことを行っている「指導者」の心理が分かってきた。紛れも無く善意であることが多いし、 最善の指導をしようという意図のもと選択されているアクションであることも多い。なので、単純に否定してよいものでは決して無い。

真剣であり、しっかりと継承していって欲しいという想いがあればこそ、プロ意識の顕われとして、「問題がある」ものにすぐ指摘をする。それはアレクサンダーテクニーク教師として「仕事」をするようになったいま、すごくよく分かる。私も、「同業者」がなにか「マズい」ことをやったら指摘するだろう。

技術が成長し、経験を積み、自分の「仕事をする能力」に自信があれば、周りの鋭い指摘や批判は「自分をつぶす圧力」よりは「磨き鍛える力」になるだろう。 自分が、自分から見ても他人から見ても「プロフェッショナル」と意識できれば、外圧につぶされない力を持っていられる。それをバネにできる。

しかしその途上である「教育」の段階においては(これは年齢や立場により左右されるものではない)、ダメ出しや「褒めないこと」は危険が大きい。どれだけ 才能があったとしても、「一生懸命全力でやった」あとの「結果」の悪い部分を即座に指摘されたり批判されたりすることは、深い傷を付けかねない。

どんな分野でも、本当に第一線でやっていける一流の人間は、ラッキーなことに最初から「才能が阻害されず」に自信が揺らがずに育っていけた人達だと言えるかもしれない。だから、「ダメだし文化」や「褒めることを害悪視する文化」の中でも生き残れる。

しかし、残念ながら世界は「最初から一流になれるほどのゆるぎない力」を備えている人間ばかりで成り立っているわけではない。人間の脳は可塑性がありどん なことでも身につけられる。先天的によりは後天的に「段々と」一流レベルになっていける「潜在能力」の段階で止まっている人の方がはるかに多い。

教育の役割は、一流を磨き鍛えることだけではない(どうしても、それだけになりたくはなる。「成果」として分かりやすいし、打てば響いて教えている側とし ても満足感が得られやすいからだ)。まだ形になっていない「潜在能力」を注意深く「守り育てる」ことが一番重要だ。それが分野全体のためになる。

「潜在能力」の段階では、外圧をかけても潰れるだけになってしまうことが多いのでは?と思う。

頭数がたくさんある時代なら、「潜在能力」の中から、どんどん一流になっていける「強さ」を始めから備えているものだけをピックアップして鍛えていくのが確かに分野全体において一時的に効率がよかっただろう。手と時間のかかるものは、さっさとふるい落とせばいいのだから。

しかし、時代が変わり、頭数の絶対数が縮小すれば、その分野に「関わる人」は全て貴重な人材なのだ。そのとき、前の時代に効率がよかった手法ではもう合わなくなってしまう。これからを担うはずの「潜在能力」を積極的につぶしてしまい、みずから裾野を狭めていってしまう。

「潜在能力」は全ての人にあるのか? それとも限られた人にしかないから、才能の無い奴はどんどんつぶすといいのか? どちらの立場を取るのかで見解も行動も手法も全て変わって来るだろう。私はもちろん、前者である。さらに言うと、前者は「事実」であり、後者は「思い込 み」だと考えている。

いま思い返すと、なぜ高校を出てわざわざすぐに外国(ドイツ)に行くことに執着したのか? 「ダメだし文化」「褒めない文化」「振るい落としそぎ落とすシステム」への耐性が育った環境と背景から自分には無いことを無意識的に理解していたからかもしれない。

演奏者として、とても一流ではなく、圧力にとても弱い自分。でも自分の大切な「潜在能力」を潰してあきらめて終りにしたくなかった。それなら、耐性の弱い人間に対してより寛容な環境に行くほかない、という気持ちがあったのだ。ある意味、生きるために逃げたとも言える。

私が言っていることは、一流で結果を出し、強靭に耐え抜いてきている人達には「甘え」や「まやかし」に聴こえるかもしれないし、無意識的に大きな反発を感 じさせるかもしれない。何より、私が「一流の結果」を残していないからだ。そんな奴に何が分かる?偉そうに言いやがって、となる。

しかし、私は「耐性や強靭な才能がさっぱり無い中でどうやって自分を潰さずになんとか続けていき成長していくか」に関しては「一流の能力」がある(ずいぶん偉丈高な言い方ご容赦ください)。それは、自分が夢や好きなことを「続け」ないと生きていけない人間だからだ。

褒めないのが日本流、ダメ出しが日本の伝統。そういう言い分にも一定の正しさがあると思うし、事実のある一面なのは確かだと思う。特に、その中で生き残り結果を出してきた人にとっては。

しかし、私が気付いた大切なことは、「耐性が無いのは私だけではない」ことだった。「ダメ出し文化」「褒めない」中で育った日本人自身の数多くの「潜在能 力」が潰れ、本当に辛い思いをし、傷付いている人が多いこと。そんな「システム」や「文化」は本当に「伝統的」で「日本の」文化なのか?

そんなはずはないだろう。社会の和を大切にし、文化的そして身体的に欧米よりよっぽど繊細な感受性を持つ「日本」の本来の姿は、全員の才能を最大限に引き出すことの方がしっくりくると思うのだ。

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