ハルマゲドン思考

 

きょう練習していて気付いたこと。吹く音を決めて、そのあと「さあ吹こう」と「吹くと決めたとき」に、身体全体が少し固まる。音を吹くと決めたら、次の瞬間には「外したくない」「当てねばならない」という思考が始まってしまうから。

もう一歩踏み込むと、「外してはならない、当てねばならない」の裏側には「ハズすということは自分のやり方が何か根本的に間違っているから、自分の努力は無意味だ」というようなことを薄ぼんやりと「考えて」いた。そらまあ、緊張するわ。

なんだろうね、この「全て間違っている。全部無駄だった。止めた方がいい」っていう「ハルマゲドン的思考」は(笑)。でも根っこは中学生のときにあるような気がします。「きみのアンブシュアは間違っている」と宣告されたときから、「やり方が間違っているから、一生ダメ」的な背景にある恐怖感は。

この「フォームがダメだから、もう全てダメ。希望がない」的な恐怖は刷り込みだろうな。なぜなら、固定的静的なものの見方のうえに成り立つ「フォーム」なんてものは、身体が動くシステムである以上、実在しない。実在しないものは、中学生にはピンとこない。だから「恐怖感」として刷り込まれる。

まとめると今日の発見は、

①吹くと決めたときに、『外してはいけない』という思考が勝ち、身体が緊張していたというタイミングや連鎖が明確に見えたこと

②『外すことへの恐怖』が、『外すということやり方が間違っているから、自分は根本的にダメで希望がない』というハルマゲドン思考からきている事。

きょうはこのパターンに『音は決めるが、それを吹くとは決めずに、ただ何か音を出してみる』という方法で対処してみた。すると、硬直するパターンはかなり少ない。『吹くと決める』『さあ吹くぞ』のところ・タイミングが硬直パターンが生まれるところだったんだな。だからそれを省いてみたわけだ。

省く、ということはいささか場当たり的な方法だ。たぶん「音を決める→(出すと決めるは省く)→音にする」とはつまりイメージした音をそのまま音にするということ。つまりは「歌う」ということなんだ….と書いていて気付いた!

そういえばこの「省く」という方法って、「とりあえずちがうことをやってみる」ことでパターンから脱する体験を得るということ。

これってつまり、F.M.アレクサンダーが「声を出す」と決めてから

①声を出す
②何もしない
③何か別のことをするという

『反応の選択肢』を用意し、『声を出すと決める』という「刺激」への、新しくより望ましい反応の仕方を選択することを繰り返し練習した、というアレクサンダーテクニーク専門家の間では有名なあの話と全く同じことだ。F.M.アレクサンダーの言っている意味がまたひとつ、分かった。

F.M.アレクサンダーの著書とか、アレクサンダーテクニーク関連の本って、実に難解だと改めて実感。まあ、本が難解というより、「自らのパターンを認識し、変える」という作業がいかに非日常的で complex なことかということなんでしょう….。

刺激に対する反応の選択、という話。これアレクサンダー・テクニークでは相当に基本的で中心的なものなんですが、言葉でイメージしてたり分かってた気になってたことと、全然ちがってた、ってことを今日体感。教師になって1年弱。きょうはじめてここの意味が「分かった」と言えます。

刺激に対する反応の選択、っていう分かるような分からないような文言。「演奏」においての意味は、きょうのわたしのツイートを追ってもらえば、きっと分かってもらえるし共感もしてもらえるかと思います。F.M.アレクサンダーの著作やアレクサンダー関連本は「共感」しづらいんですよね(笑)

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ハルマゲドン思考」への6件のフィードバック

  1. なるほど。
    大人になっても根強く残ってますね、その気持ち。
    救われた気持ちになりました。ありがとうございます。

  2. 読んでまさしく自分のことをズバッと指摘されている感じがしました。

    今までそれをホルンだけでなく仕事でも繰り返して、その都度自分が嫌になり、時にはホルンを辞めて楽器を捨てたり、楽団を外した・失敗した責任をとって楽団を辞めたり、仕事を辞めたり職場を変えたり・・・でもホルンを続けて仕事も続けて、それでまた同じ失敗を何度も繰り返して仕事もホルンも自信をなくして萎縮する・・・。そんな自分の根本的な理由がわかった気がします。変な緊張感と義務感に自分はずっと囚われていたんですね・・・。

  3. 楽器を専門的に勉強し始めて10年、幼少期から緊張しいでしたが元々人前でパフォーマンスすることにわくわくするタイプでした。しかしここ数年、緊張時の上半身の震え(楽器を口に当てておくのが困難なくらい)、体に力が入らず自分をコントロール出来ないで普段何てことなくできることが出来ない、(フォルテなど思い切って吹き込むところは震えもでないのですが、ピアノや音域が低めのとき震えが出てきます。またそのような箇所を楽譜上に見ると自動的に震えるかもという思考が出てきて結果的にそれに飲まれます。)オケなどで自分の音が目立つ場面では音があまりに震えて手も口もガクガク、みんなに振り向かれたりする始末。そのトラウマを乗り越えられず、なんども人前で恥をかき、そのことを思い出すと息がつまりとても前向きには考えられず絶望的な気持ちになります。なぜ急にこんな症状が出るようになったのか分かりません。プロとしてやっていくためオーディションなども控えています。音を通して人を感動させることをしたいのに今の私の状態は人前で一音出すことすら、その場に座っていることすら恐怖でしかたないのです。そのときはもうパニック状態です。しかし乗り越えて行くしかないのですよね。バジルさんのブログの投稿、参考にさせていただきます。

    • wfさん

      はい、関連する記事は、Q&A系の記事を含めてたくさんありますので
      ぜひ参照してください。

      ちなみに、pと低音域で震える、というのは技術的要因も関係している可能性が高いですね。
      息の支え方など。

      参考:
      http://basilkritzer.jp/archives/6366.html
      http://basilkritzer.jp/archives/5025.html
      http://basilkritzer.jp/archives/1470.html

      恐怖感やパニック感情ももちろん大変ですが、それだけでなく一部は技術的なことかもしれません。
      技術的な問題を整理して取り組めると、同じ緊張感のなかでも演奏は機能したり、恐怖感を感じながらも自信を感じたりすることがあります。

      感情の問題、技術の問題、聴衆との関わり方の問題。それぞれ異なります。
      一緒くたに「緊張・あがり」としてしまいやすいのですが、じっくりひとつひとつを観察するのが大事です。

      Basil

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