五人に横に並んでもらって「手を挙げて下さい」とお願いすると、手の挙がる高さも角度も軌道もまったく別々になる。
これは「手」が意味するものも、「挙げる」が意味するものも、ひとそれぞれ異なるからだ。
ひとが自分の身体のパーツ、サイズ、位置関係、稼働範囲、動きに関して「思って」いるものは脳科学的に「ボディイメージ」と呼ばれている。
ボディイメージは、身体の感覚から作られる像「ボディスキーマ」とセットで「ボディマップ」と呼ばれる。
楽器演奏や歌唱の技術的指導には「ボディマップ」のコミュニケーションが伴う。
しかし、教えている側も教わる側も、いましている話がボディイメージのことなのかボディスキーマの話なのか区別できなくて苦労する。
「感覚」はある動きの結果生まれるもの。その動きは「ボディイメージ」に基づく。
従って、何らかの感覚を体験してほしい/体験したい場合は、その感覚の話をいくらしてもたどり着かないことが多い。
代わりに、指導者ならばその感覚をもたらしている「ボディイメージ」、つまり身体のことをどのように考え、どのように動かしているか、「感覚抜き」で教えてあげるとよい。
教わる側は、先生が話す「感覚」をもたらしているボディイメージ=身体の知識、理解、動かし方を探り当てたいのだ。
しかし!
ボディイメージもボディスキーマも二つでひとつ。ボディマップという統合的機能を成す。だから、いま自分が感覚の話をしているのか、それとも感覚をもたらした身体の動きの話をしているのか、分からなくなって無理はない。
識別し的確な言語表現をするためには当然、訓練が必要になる。
途方もなく感じられるかもしれないが、実はスタート地点はごく簡単。「なるべく身体の現実の通りに、的をしぼって言い表すとどうなるか」から興味本位で実験を始めるとよい。
「手を挙げて」という単純な指示ですら、五人五通りの動きに解釈される。楽器演奏や歌唱のような繊細で高度な活動になると、指導者と教わる側のコミュニケーションに苦労があるのは、そりゃ当然。
例えば、「手は手首から指先のところ。それを、頭の上に掲げてみよう」と工夫するのも、単純だけど大事な第一歩。
まとめると、不調の原因は感覚ではなく「身体のことをどう思っているか」「現実の身体と思っている身体のズレ」にある。即ち指導の壁もミスコミュニケーションも、そしてそれらを乗り越えるヒントもここにある。