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わたしのアレクサンダー・テクニークの師匠のひとりであるジェレミー・チャンス先生から受けたレッスンの中で気付いた大きなことのひとつが、
『楽器を構え、支えるときに下半身に連動してくれると非常にうまくいく』
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わたしのアレクサンダー・テクニークの師匠のひとりであるジェレミー・チャンス先生から受けたレッスンの中で気付いた大きなことのひとつが、
『楽器を構え、支えるときに下半身に連動してくれると非常にうまくいく』
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わたしはドイツの音楽大学を卒業した後、23歳で日本に帰国しました。それと同時にアレクサンダー・テクニークの専門的指導者になるためのスクール「BodyChance」入学して出会ったのが、このスクールの校長であるジェレミー・チャンス先生です。
そのジェレミー・チャンス先生には、3年以上スクールで学んでいたわけですが、中でも印象的だった場面を今日はお話したいと思います。
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前回の記事まで、わたしがドイツでの学生時代に学んだホルンとアレクサンダー・テクニークの先生たちとのエピソードをお話ししました。
・いったいどうやったら継続的に『上達』できるのか
・危険で陰鬱な洞窟の歩き方を知っている人が懐中電灯を持って現れた
・脳みそが『なるほど』と実感するレッスン
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前回の記事『危険で陰鬱な洞窟の歩き方を知っている人が懐中電灯を持って現れた』で、ドイツで本格的にアレクサンダー・テクニークのレッスンに通い始めたときのことをお話ししました。
そのなかで、ドイツ全土で当時3人のプロのホルン奏者でアレクサンダー・テクニークの教師資格を持っているひとがいて、そのうちのひとりルネー・アレン先生のレッスンに通い始めたことを述べました。
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前回の投稿『いったいどうやったら継続的に「上達」できるのか』で、わたしがどのようにしてアレクサンダー・テクニークに出会い、ホルン演奏に取り入れている師を見つけ、自分自身でそれを学んでいく歩みを踏み出したかをお話ししました。
2005年の夏、ロンドンでピップ・イーストップ先生のレッスンを受けたのがその第一歩だったわけですが、2日間のレッスンだけではもちろん始まりに過ぎず、まだ自分の力で歩みを続けることができませんでした。
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わたしは日本の高校を卒業した後、ドイツのエッセンという街にあるフォルクヴァング芸術大学というところにホルンの勉強のために進学しました。
そんなわたしの大学生活は….演奏能力の向上や、音楽経験という点では前半は悲惨でした。
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じぶんの歌を歌う
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ドイツへの留学へと送り出してくれた高校時代のホルンの師匠、小山先生。
プロ演奏家以外は教えるべきでないという考え方もありますが、わたしはまったく同意しません。
現実的に、学校の先輩や先生、地域の大人、あるいは家族から教わる場面が多々ある。