前回の記事に記した通り、わたしにとって「正しいアンブシュアの追究」は、非常に多くの犠牲とダメージを伴うものでした。
様々なアンブシュア理論とそれに基づく指導において設定されている「正しいアンブシュア」を身に付けるべく努力することが多くのひとを上達へと導く一方で、まさにその「正しいアンブシュア」を獲得したはずが以前より明らかに演奏能力が落ちてしまったり、あるいはどれだけ頑張ってもそのアンブシュアを身につけられないひともまた多くいます。
– – –
金管楽器を演奏するひとにとって、
「あなたのアンブシュアには問題がある」
– – – –
きょうは、楽器演奏を学ぶ中で先生や教則本から
・顎を張りなさい、と教わったがそれがうまくいかなくて悩んでいるひと
・顎を張りなさい、と教えているがそれがうまく伝わらなくて困っている先生方
練習をしながら、少しでも音が外れたりすると『もっと上手でちゃんとしたホルン奏者にならなきゃいけない』と思って、身体を緊張させていたこと、そして音を出す前に毎回、『いまから外れるかもしれない、いまから自分のダメさが証明されるかもしれない』と考えて身体を緊張させていたことに気付いた。
そこできょうは『どれだけダメなホルン奏者でもいいんだ。ちっともうまくならなくても、それでも自分という存在はOKなんだ』と、わざと意図的に考えながら練習してみた。この考えは、アレクサンダーテクニーク用語で言えば気付いた緊張への『抑制』として働く。
きょうは主に金管楽器の話です。
つい最近わたしが自分の普段の練習のなかで気付き、試しているアイデアがあります。
それは
アンブシュアも構えも姿勢も、左右非対称を恐れる必要まったくなし!