先日、恒例の出勤前ホルン練習であらためて、
『管楽器演奏の主たる力仕事である息の圧力生成』の手段として、
先日、恒例の出勤前ホルン練習であらためて、
『管楽器演奏の主たる力仕事である息の圧力生成』の手段として、
ときどき意外に思われるようですが、わたしは身分は会社員です。
BodyChance という、アレクサンダーテクニークのレッスンを提供し、教師を育てるスタジオを運営している会社の社員です。
中学生のときからホルンという楽器や、オーケストラ、吹奏楽の作品にのめり込むようになって
ティーンズ時代は音楽聴いてるとイマジネーションが爆発し別世界に行けた。
ぼくの天職、仕事は『音楽のためのアレクサンダーテクニーク教師』なのですが、
『魂の本業』は1日30分のホルンの練習なんですね。
欧米発祥の芸術や手法に関して、
•日本でやられているものは正しくないから日本のはだめ(と欧米帰りのひとが言う)
先日、数年ぶりにちゃんとホルンのレッスンを受けました。
結論としては、「受けてほんとうによかった!」。
できないところがある自分、音を外す自分、バテる自分。
そんな自分をひたすら「ダメダメダメダメ」とダメ出しし続けながら楽器を練習、演奏することにやっぱり慣れきってることにまたも気付いたので、意識的に「自分にとてつもなく甘く」接しながら楽器を練習、演奏してみる。
きょうの入門セミナーでは教えていて、いろいろと大きな発見・学びがありました。
ホルンの方をレッスンしていたとき、
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「基礎」や「技術」の有無やレベルと、「演奏する自由」「演奏する権利」を引き換えにしてしまわないこと。これ大事です。
たちえば、高音が出るように「なったら」あれしようこれしよう、というふうに考えるより、「高音が出るとしたらなにしたいか」を考えてみましょう。そこで浮かんできた望みやビジョンに向かって、まっすぐ「いまできる次の一歩」を踏み出しましょう。
演奏をしているひとはきっと、その心の奥深くでは、たとえ何らかの理由で演奏能力が著しく損なわれ、上手下手で言えばすごく下手になったとしても、演奏をしたいと願っていると思う。
それならば、演奏に求められるのはただ演奏することだけ。質、上手さ、正確性、ぜんぶ喜ばしいボーナスなんだ。