【正しさの裏表、鏡写し】

「正しい・良い姿勢にしないのは、ラクだから・我慢が足りないから・努力が足りないから」

といった方向性の考え方。

これは、楽器奏法や歌唱法、アレクサンダーテクニークの世界にすらも広く見られます。

このような考え方に、ずっとずっと前から感じていた違和感がありました。

それがようやくまた一つ言語化できたのですが、こういった 考え方に対して湧く疑問が次のようなものです。

◎なぜ自分は正しい姿勢とか良い姿勢を知っていると断言できるのか?

◎なぜそれが機能しなかったり 維持できなかったり 需要に抵抗を見せる人のことを、怠慢や未熟と断定的に ラベリングするのか?

◎自身が提示している正しさや良さに適合しないのに高いレベルで機能している実例が簡単に見つかる中で、なぜそれを認識しないのか?




このような問いを通してみると、実は正しさの提唱者や良さの定義者の側にも怠慢や未熟を見出すことができます。

裏表、鏡写しかのようです。

これは、どちらが正しいかという問いではなく、どのような価値観をもとにして世界を見ているかによって生まれる違いである面の方が大きいように最近は思えてきました。

絶対的あるいはそれに近い正しさ が存在しており、そしてそれを知ることができ、そこに適合しないものは正しくない良くないと判断するのが適切であるという価値観。

正しさというのは絶対的あるいは 客観的には存在していない。あるいは存在していても知ることはできない。あるいは予見することができない。正しさは、対話や集合知、実験、市場原理などを通してその都度発見されていくものであるという価値観。

自分の価値観は後者にあるからこそ、長らく前者の価値観に根ざして紡がれた言葉や教えに違和感や苦しさを感じてきたのだろうと思う次第です。

どちらの価値観が良い悪いという話ではなく、自分の価値観を自分で分かっているか?自分がどのようなメガネをかけて世界を見ているかの自覚があるか?という話こそが本題な気がますますしてきます。

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