中学生と高校生のとき。
フィリップ・ファーカス「ホルンの演奏技法」を読み、ホルンの演奏技術の総体を知った。
吹奏楽部の世界では知り得ない深みがあり、導きであった。
でも、その中にはどうしても疑問なことや、自分を不安にさせるような内容もあった。(そして後にどうやら正しくないようであることも知った)
その後、フロイディス・リー・ヴェクレの「ホルンがもっとうまくなる」を手にした。吹奏楽部的根性論やファーカスの論を相対化できるような俯瞰的で実用的な本だった。
その次に、アーノルド・ジェイコブズのレクチャー音源に出会った。そこで語られることは、吹奏楽部的世界観でもファーカスの論でも納得できずかつ触れられていないように感じた自分の実体験や感覚を鮮やかに言語化していて、深い説得力があった。
同じ頃にはアレクサンダテクニークから派生したボディマッピングの本も手にした。これは当時悩んでいた力みの問題に唯一触れてくれた本だった。
大学生の頃には、ドイツで師事していたホルン教師や、その教師を批判する近辺の他のホルン教師のどのレッスンでも効果や納得は得られず、自分の深い疑問・問題意識を理解してもらえることすらなかったように感じた。
そんななか、ロンドンのホルン奏者ピップ・イーストップ氏のエッセイをインターネットで見つけ、そこで語られていることこそが 自分が一番必要としていることだった。
例
「自分で自分を教える」
これが自分の実体験であり現実だったので、書籍やインターネットの情報というのは生命線だった。
なので、直接のレッスンや生身の環境で学ぶこと以外は価値が低い、あるいは玉石混交といったように評してあまり信頼性がないというように見る向きには同意しない。
与えられた考え、情報、自分の意見に一致しないものを否定したいのが本当のところで、そこを情報の質や信頼性の問題にすり替え・混同して述べられていることが少なからずあるのではないかと思う。
情報や持論の公開・共有と、それらを受け入れる受け入れない同意する 同意しない、そもそも読む読まない観る観ないの自由と責任が個人に与えられていることが歴史的にみても人間社会のかけがえのない獲得物ではないか?
わたしはそれを前提にしない論こそが質に問題があると思う。

