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『アンゼッツェンとアインゼッツェン』に関する記事を翻訳完了!
学生時代に散々悩まされたテーマだった。少し、粘膜奏法の話にもつながる。
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『アンゼッツェンとアインゼッツェン』に関する記事を翻訳完了!
学生時代に散々悩まされたテーマだった。少し、粘膜奏法の話にもつながる。
自分にとってものすごく大事だったり、愛していたりすることに関しては、ときには自分の体調やほかの大切なものを一時犠牲にしてでも頑張るってことは当然ある。それは責任感というものだ。
でも、「他人に迷惑をかけるから」とか「周りが頑張っているから」自分を犠牲にするのはかなり危ない。
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非常に個人的なことなのですが、 ふと気付いたこと、感じたことがありました。もしよければ、読んでください。
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音楽に触れてその良さや素敵さが感じられないとき、それは自分の場合、何かズレた精神状態のとき。
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いま、体調を崩しております。そんな中でこそ、感じることや気づくことがあるものですね。
以下は、その個人的なつぶやきです。
今週いっぱい休養して、月曜の国立音楽大学での授業ではスッキリ復帰したいと思います!
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体調崩して、仕事も在宅でできることを少しやるだけで、ホルンの練習はお休み中。
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音楽をやっていて辛いこと苦しいことはいっぱいある。
でも、それは音楽が苦しいことや辛いことなのではない。音楽をやるなかでの人間関係や自分自身との関係のなかでの苦しみなんだ。
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ボストンブラスなどで活躍してきているチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツさんのPodcastを聴いて大いに楽しんでいる。http://www.pedalnotemedia.com/the-brass-junkies/(英語)
アメリカの優れた金管演奏家たちが毎回新しくゲストに来る形のインタビュー。様々な奏者の人生、キャリア、経験、考え方や練習法を知ることができてとっても面白い。
音楽を、ほんとだいぶ素直に聴けるようになってきた。
難しく考え込まず、厳しく批評するでもなく、自分と比べて落ち込むでもなく。 音に触れて楽しむ。味わう。
音大入ってからこれが何年もできなくなってた。
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音階練習やアルペジオの代わりに、気に入った曲やフレーズをいろいろ移調して練習するなどして、練習をもっと音楽的にしたら不思議と、気が楽になった!
音楽と技術が自分の中でもっと切り離されていたときは、音階とかアルペジオとかの基礎練はどこか数値維持や更新をモチベーションにしたフィジカルトレーニング的な面があった。
ロシアンプラスの演奏を聴いて、金管楽器の演奏スタイルが独特だなあと感じる。あまりロシアの音って接する機会がないから。特にトランペットが独特で個性的。けど実に素敵。
こういった個性とクセの境目は非常に曖昧だと思う。大事なのは、びっくりするぐらい独特でも、磨かれてくると紛れもなく素敵だということ。個性を普遍的美しさに昇華させるのが技術、経験、人格の成熟なのかも。
ひょんなことから、ホルンの演奏を20秒ほど撮りたいと頼まれ、Laudatioの冒頭部分をカメラの前で吹くことに。
なんとなくプレッシャーというか本番の感じにギクッとするがうまいことハラが座り自分を受け入れ適度に諦め。すると不思議な力が抜けた感覚。