わたしが奏法の話をするときは「中和解毒剤」として用いている、というところからの続き。
【血清的奏法論】
私が奏法の話をするとき、それは構築的テクニック論ではなくて、事実関係・解像度・適用範囲などに誤りがあるよく流布している奏法論を自分に適用したり適用させられたりしてうまくいかなくなっている人が、その悪影響の「中和」ができるような、「血清」のような情報として提示しているイメージです。
ボディマッピングと基本的には同じ意味合いかなと思います。