奏法論・奏法意識は、
『その人固有の物理・直観・音楽性などを、引き出す/促す/回復する/護る』
その限りにおいてのみ、またはおいてこそ有益であり、したがってそういった効果がない場合や逆効果の場合は採用されるべきではない。どれだけ正しい・確からしい内容であっても。
そう考え始めています。
それは、何も考えない(=音楽に集中)方が結果が良いと思われる・感じられる場合もまた、奏法論・奏法意識は主観の中に入れない方が良いということでもあります。
アーノルド・ジェイコブスは、金管の学生グループに三十分間詳しく呼吸の生理学をレクチャーしたあと、『これは演奏にはまったく使わないので忘れて下さい』と言って聴衆を驚かせたことがあるらしいのですが、『ではなぜそのレクチャーをしたのですか?』と尋ねらると、『みなさん、オーケストラに入っても入らなくても教えることはやることになります。そのときに必要だからです』と答えた。
という話を聞いたことがあります。
奏法論は、誤った奏法論や誤用された奏法論の毒を解毒したり、何らかの逸脱を再度軌道に戻したりするための一時的な用途で用いるもので、本筋は音楽で分かち合いたい中身そのものにあるのであり、それが奏法を形成する主体なのだと思います。