演奏をしているひとはきっと、その心の奥深くでは、たとえ何らかの理由で演奏能力が著しく損なわれ、上手下手で言えばすごく下手になったとしても、演奏をしたいと願っていると思う。
それならば、演奏に求められるのはただ演奏することだけ。質、上手さ、正確性、ぜんぶ喜ばしいボーナスなんだ。
演奏をしているひとはきっと、その心の奥深くでは、たとえ何らかの理由で演奏能力が著しく損なわれ、上手下手で言えばすごく下手になったとしても、演奏をしたいと願っていると思う。
それならば、演奏に求められるのはただ演奏することだけ。質、上手さ、正確性、ぜんぶ喜ばしいボーナスなんだ。
あれ?なんだか今日は息がうまく吸えないな…. と思って頑張って吸おうとしているうちに
あれ?なんだかアタックで音がかすれるな…. となって発音に注意していると
あれ?肩が凝ってきたな…. となって脱力を心がけているうちに
あれ?きょうは妙に唇がバテるな….
となってしまい、なんとなくモヤモヤと不調なまま一日が終わってしまう。
わたしたち音楽を奏でることを愛するひとたちの多くを、信じられないほど苦しめている「あがり症」。読者のみなさまの中にも心底、悩んでいる方がいらっしゃることでしょう。
あがり症は、「治す」ものでも、「克服する」ものでも、ましてや「紛らわす」ものでもありません。あがり症は「乗り越えていく」ものです。とても怖いけれど、乗って、越えていくもの。大きな大きな「波」のようなものです。
音楽の演奏や練習に真剣に取り組んで行くなかで、だんだんとわたしたちは「失敗」に詳しくなっていきます(もちろん、成功にも)。
演奏や練習のときに、思っていたことや望んでいたことと異なることが起きたとき(ここではそれを失敗の定義とします)、あとで振り返ってなぜそのような結果になったのかを考えますよね。
演奏、なかでもその身体的な面(姿勢、呼吸、手や指のフォーム、アンブシュアetc)に関して言われたり見聞きしたりする「禁則」の驚くほど多くがほんとはやって大丈夫なこと、やっても構わないこと、やった方がいいこと、やる必要があることのいずれかに当てはまる。
「禁則」の多くはもともとはそれなりの意味や理由があったのだろうけれど、それはある時代や状況や関係する特定の人間のコンテクストにおけるもので、常識や論理を少し活用すれば到底一般化できないものが多い。
– – –
【質問】
口を普通に閉じて吹く、ということについてお聞きしたいのですが、私はユーフォニウムですが、低い音は、普通の口に閉じて吹くと、うまく音がでなかったりします。低音は頬も片方だけ(右側)膨らみます。