楽器演奏を学ぶという事は、少なくとも技術的な観点から見れば、楽器を演奏するときに役立つ習慣を作り上げるということを意味する。何か新しい事を学ぶ時、私たちは「それ」をうまくいかせる方法を探るのだ。そうする中でうまくいく方法が見つかると(多くの場合、それは偶然見つかるのだが)、以後はそのやり方で「それ」をやる。そして練習を重ねてそのやり方を習慣化させるのだ。問題は、習慣には良いものと悪いものがあるということだ。悪い習慣を身につけている場合、それが一体何なのかを見出す必要がまず第一にある。それが何なのかが発見できたら、今度は新しい習慣を獲得する必要があり、望ましくは古い習慣を置き換える良い習慣であるとよい。このプロセスは「意識的」(合理的理由付け)である必要があり、それはそもそも悪い習慣を身につけるに至らせた原因が「本能的」(感覚)であるからだ。
「アレクサンダー・テクニーク」で知られる F.M.アレクサンダーは、元々は劇場朗読俳優というパフォーマーであった。そんなとき、「悪い」習慣のせいで彼は声が出なくなってしまった。これらの習慣を「正す」ために、やはり彼はまず最初に、そもそも声を出なくさせなくしてしまっている自分のやっていることは何であるかを発見する必要があった。次に彼は意識的に新しくより望ましい習慣を発達させることを自分に教える必要があった。「自分の使い方において、自分が望む変化を起こすことに成功できるとしたら、私は自分の新しい使い方を導くプロセスを新しい経験のために用いる必要がある。この新しい経験とは、感覚ではなく理由付けに基づいて自分を主導するというものだ」(F.M.アレクサンダー著『自分の使い方』Gollancz,London,1985より)
このプロセスは、発見の旅であり、一歩踏み出せば決して終らないものだ。