【フィードバックの種類とその相性の個人特性】
自分が行う楽器演奏における、とくに練習・奏法づくりのフェーズにおいて、吹き方の良し悪しの判定を、どのようなフィードバックを用いて行うか。そこに種類と個人差があるようであることに、生徒さんとの対話の中から想い至った。
いま認識しているもので、楽器演奏の上達のプロセスのためのフィードバックの種類として
- ①他者・録音(客観性)
- ②音(聴覚)
- ③違和感・痛み・力み
- ④筋感覚・運動感覚
①他者・録音(客観性)
アメリカのチューバ奏者で偉大な金管教育者の故アーノルド・ジェイコブスやその弟子たちの教えの中に流れる考え方で、そこでは「演奏中は、自分の出している音にも、演奏しているときの感覚にも注意を向けてはならない」と語られている。
代わりに『紡ぎたい音楽・伝えたいストーリー・奏でたい音色』をありありとイメージし歌うことに集中せよと教える。奏者は演じ手であり、演じることに没頭せよ。出来がどうかを気にするのは聴衆の領分であり、演じ手=奏者は、演奏中に自分の演奏を聴いたり気にしたり分析したりする役割ではない、と教える。
では、自分の演奏の質をどうやって管理するのか?それは、信頼すると決めた先生や仲間の誰かのフィードバックを完全に信用しろ、と教える。
音程が高いと言われたら、高いかどうか自分の音をチェックするのではなく、高いと信じて、正しく丁寧にソルフェージュし直しイメージをさらに明確かつ豊かにして、そのイメージに注意を向けきって奏でる。その結果、信頼する聴き手が、改善したと言えば改善したと完全に信頼する。そのように進めていくのだ。
ジェイコブスの流れを汲む奏者たちは、「演奏中、唇の感覚はおかしくスタミナも足りない感じがしたが、歌に集中したら問題なく演奏できた」といったような語りをよくしている。自分のやろうとしていることが間違っていないという自信も現実も、フィードバックをできるだけ外部に委ねることで作り上げていくのだ。
他人を聴くように客観的に批評的に聞けるならば、録音で自分の演奏を聴くのも良いとされる。
②音(聴覚)
「自分の音をよく聴きなさい」そう教える教師が促しているのは、自分の出している音・奏でている音楽をフィードバックに用いることだ。
音がどうなっているか、教師が言葉で、あるいは実演で生徒の音を模倣して表す。そして、自分の音をよく聴くことを改めて促す。すると、「先生の言ってること」が実感を持って気付けて、望む音や目指す音とのちがいを認識する。
③違和感・痛み・力み
「とにかく力を抜いて」そう教える教師や、それを常に意識している奏者も少なくない。これは、細やかな不快感や力みの感覚を重要視、それが減る方・消える方へと進もうとする。そういった方法やアイデアやウォームアップパターンを探していく。
痛みや力みを感知したら、それをある意味で壁やギブスとして用いるのだ。それ以上そちら方向に進まないようにしていくことだルートを修正し奏法を方向付けていくのだ。
このやり方は、そうすることで、あるいはそうした方が、痛みや力みが多いやり方より音が良かったり演奏が効果的にコントロールできたりする実感に支えられている。
④筋感覚・運動感覚
出なかった音が出たとき、思い通りにできたとき、音量が大きいときや小さいとき、タンギングするときスラーするとき、などなど一つ一つの構成要素の動作をやっているときの肉体感覚に注意を向ける。
そして、動作の実行前にその肉体感覚を作る。作ったうえで実行したときに、やりたいことが実行できたことを確認する。そうやって動作の肉体感覚を記憶し想起していく。そうすることで演奏が機能する実感に支えられている。
この4種類があるとして(それ以外もあるかもしれないが)、私はいずれも用いてきた。その中で、最重要でもっとも機能的なようであるのは、私自身にとっては③だ。
そうだと気付いて、明示的に意識的に選択的にそれを用いり始めたのは、ほんの2カ月ほど前で、そこから奏法の機能性があっさり上がったように感じている。
【全て通ってきた】
振り返ると、最初に用いり始めたのは④だ。
「どうすれば上達するか?」を意識的にとい始めたのが高校1年。『音を出す最小単位であるブレスアタックの運動感覚を全音域の全音に関して記憶して、再現できれば望みどおりにコントロールができるようになるのでは?』と考えついたのが高校2年。それがフィードバックとして④を用い始めたときだ。
これで、ハイFまで一応出せるようになった。その意味で一定の効果があった。しかし、記憶したはずの運動感覚が再現できなかったり、再現したはずが音は出なかったりが多く、行き詰まった。
この行き詰まりを打開したのがアーノルド・ジェイコブズのレクチャー CD との出会いだった。吹き方がおかしいんじゃないかとか、自分が出している音がおかしいんじゃないかとか、そういったことをできるだけ考えずに、本当にひたすら歌うつもりで練習を重ねていく、というアイデアにシフトした。
すると飛躍的に音が当たる確率が上がりそしてソロ曲も吹けるようになった。高校2年の冬の頃だったように思う。
大学に入ってから、②との大きな出会いがあった。大学入学してすぐのレッスンで、師事していたホルンの先生に「喉が閉まっていて、音が響いていない」と指摘された。
自分の音が響いていないということが、最初はわからなかった。先生がお手本で吹いてくれる音がよく響いていることもレッスンの最初の数回はあまりわからなかった。しかしそのうち、自分の音と先生の音が全然違うことがはっきり分かってきた。響いている音と響いていない音の差がはっきりわかるようになった。響く音が出る吹き方探しの旅が始まり 、それが今に至るまでの奏法のベースの大きな一面になっている。
【危機を救ったのはいつも・・・】
ここまで、
- ④筋感覚・運動感覚
- ①他者・録音(客観性)
- ②音(聴覚)
の順で自分自身の場合は用いて行った話になっている。
③違和感・痛み・力みはどうなっているのか?
実は、これこそは どれよりも前からあり、どれで行き詰まった時も打開の鍵になっていた。
私は中学1年でホルンを始めたが、初めてまもなくからホルンを吹く時の身体的不快感や違和感を持っていた記憶がある。トランペットやフルート、サクソフォンだとその感覚はないのに、なんでホルンになっちゃったんだろうと モヤモヤした気持ちを抱えていた気がする。
中学3年生の時にソロコンテストに出場し、演奏も結果も悪くはなかったのだが、それに大きく食い違うようにして、 力みの感覚に強い 違和感と不安を覚えるに至っていた。
これの解決の糸口が見つからないまま高校に進学し、中学までとは全然本気度が異なる夏の吹奏楽コンクールの取り組みに四苦八苦していた。
そんな中大きな出会いがあった。
当時、大阪市音楽団長の竹原先生が私の高校吹奏楽部の金管セクションの指導に来てくれた時のことだ。その時の詳しい話はこちらに書いているが、
竹原先生は、とにかく、繰り返し繰り返し、楽に吹きなさい力を抜きなさい と私たちに語りかけた。すると、私自身の体の力みが抜け、その時に楽に高音が鳴り、それとまさに 同じ時にバンド 全体からすごく爽やかで柔らかな素晴らしい音が一度鳴ったのだ!
アレクサンダーテクニークに興味を持つ大きなきっかけでもあったと思う。
『力まない・無理しない・自然な感じ =良い音が出る、高い音が出る』という、個人的な革命的実体験だったのだ。
④筋感覚・運動感覚に頼ることの行き詰まりをジェイコブス流の①他者・録音(客観性)で打開したあと、また別の所から行き詰まった。
詳細はここでは省くが、高校3年のとき、完璧主義的で自罰的な思考傾向が高じて、演奏も身体的姿勢も完璧主義になってしまい、背中にひどい痛みを覚えるようになり、その夏はホルンを辞めるぐらいの気持ちまで追い込まれていた。
夏のコンクールが終わって、1週間休んでから、もし相変わらず背中が痛ければホルンはやめてしまおうと思っていた。1週間休んだ後 恐る恐る ホルンを吹いてみた。その時にどんなと主に考えたかというと、夏のコンクールから解放されたのもあり、「とにかく力を抜いて吹こう」とやり始めたら、ハイF までとても楽に綺麗な音で出せた。そのおかげでホルンをやめることは踏みとどまれた。
②音(聴覚)を用いていた大学時代、ここでも行き詰まった。
その行き詰まりの過程と、打開の詳細はここに書いている。
大学の1年目を終えて、高校の時よりさらにひどい背中の痛みに苦しむようになった。この時は高校の時よりさらに気持ちも追い詰められていた。
しかし、やはり体の痛みや力みにフォーカスし、それを解きほぐしていくことで大転回が起きて、ホルンを続けていく道筋を見出すことができた。
その頃はイチロー選手がメジャーリーグのシーズン アンダー 記録をまさに更新していく時期のことで不思議なことではあるが彼のプレーを毎朝見ていると、背中が一時的に楽になりホルンを吹く時の自然で新しい感覚まで想起できて、これが生命線になって続けていくことができた。
そしてこの5年間、またも③違和感・痛み・力みがフィードバッグの根幹となった。
5年前、三叉神経痛、舌咽神経痛を発症した。そうだと分かるのにも2年かかり、混乱した。
しかし、振り返ってみると違和感・痛み・力みが減る方向へと、奏法を整理し組み直し、楽器も探し、マウスピースも大きさから始まって探し、それぞれよりしっくりくるところへと導かれていったことが分かる。
【あなたの最重要フィードバッグは何か】
このように仮に分類し、自分の経験を振り返ると、真のガイドは、③違和感・痛み・力みだったのではないかと思う、
他のフィードバッグ系統も、意味を成すうえでは重要な役割や必要性が有ったのだろうけれど、ガイドしていたわけではなかったのかもしれない。
②音(聴覚)は、二次的に重要または不可欠だったのかもしれないと思いもするが。
さて、あなたはどのフィードバック使ってきているだろう?
それは機能しているだろうか?
別のフィードバックを実は使っていた時の方がうまくいっていたということももしかしたらあるのかもしれない。
あるいは フィードバックを変えた時にうまくいき始めた経験とか。
ここにもまた、個人差、個人特性 、多様性があるような気がするのである。
了