わたしが『自分を否定しないこと』の大切さを深く理解するにあたって、
身を以て体験した大きな出来事が二つあります。
どちらも、ドイツの芸術大学でホルンの演奏を学んでいた頃のことです。
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ひとつめは、20歳のとき。
様々な無理を重ねて、育った日本を振り切るように離れて、アメリカ人の両親とも何も縁のないドイツの大学に入学して1年が経っていました。
憧れのオーケストラに入団することを夢見て18歳で渡ったドイツでしたが、大学では技術的に誤った指導を受けて演奏能力が大きく損なわれてしまい、非常に楽しみにしていたオーケストラや室内楽の授業で音楽を存分に学ぶことがまったくできずにいました。
野球の投手が、自分に合わないフォームの指導をコーチから受け、まったくうまく投げられなくなってしまい、筋トレやランニングくらいしかやれることがない、そんな状況に似ていると言えばイメージしてもらいやすいかもしれません。
わたしは、誤った指導を受け入れてしまったということも、その結果演奏能力を失ってしまったということも、その現実を受け入れることができずにいました。
不安や失望に目を向けまいと、とにかく何時間も練習室に籠もって練習量を限界まで高めて演奏能力を早くもとの水準に戻そうとしていました。
しかし、それにより演奏能力が高まることはあまりなく、起きたことは疲れやストレスから始まった酷い背中の痛みでした。
痛みは悪化する一方で、根性でこなす練習量という唯一の希望にもすがれなくなってしまいました。
大学の夏休みで日本に帰っていたある日、
『練習しないと、音大生の水準にすら戻れない』
『でも練習しても、全然できるようにならない』
『ひたすら頑張ることでなんとかしようにも、背中が痛くて長時間練習することすらできなくなってしまった』
そんな八方塞がりで、もう気持ちが完全に折れてしまいました。
そして、大学を辞めて日本に戻ることを決心しました。
ホルンは、趣味として楽しくやるだけでいい、もう上手にならなくたっていい、そう思うことにしました。
・・・すると不思議なことに、背中の痛みがスーッとほぐれました。
身体の感覚が大きく変わり、もう上手にならなくていいんだ、好きなようにやっていればいいんだ、と思うことができたところで、
ふとホルンを吹いてみると、これまた非常に不思議なことに、とても気持ちよく、奏法においてもとても納得できる感覚で、しかも何故かとても深く響く音で吹くことができたのです。
その感覚は10分ほどしか続きませんでしたが、理解できないながらもある種感動的な体験で、
『明日もやってみよう』
という気持ちにさせてくれる体験でした。
こうして何日かこのような《10分だけの、とてもしっくりくる時間と感覚》を体験することが続き、
『この時間を自分のために毎日作る。それを何よりも大事にしよう』
と決意しました。
今後、人生を、演奏のキャリアをどうしていけばいいのか。それはまだ何も見えませんでしたが、学校もホルンも辞めてしまうことだけは、思い留まることができました。
この体験、感覚は、
《いまの自分の状態をまるごと受け入れる》
そんな種類のものだったのです。
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ふたつめは、22歳のとき。
上述の体験のあとから、根性で長時間頑張るというモデルからは一気かつ完全に脱却し、非常に短い練習時間ながらも演奏能力はそのあとから一貫して伸び続け、
なんとか音大での勉強にもギリギリついていけるようになっていました。
しかし、人前で演奏する段になると、非常にアガってしまい、まったく音が出せなかったり、身体が完全に虚脱してしまったりして、酷い失敗ばかりすることが続いていました。
この状況をどうにかしたいと思って、音楽家向けのメンタルトレーニングを教えているフルート奏者を見つけて教えを乞いにレッスンに通い始めました。
しかし、様々なテクニックを教えてもらい、それらをフル活用して何度か本番に臨んでも、良い結果にならないことが続いていました。
それをその方に伝えると、
『おかしい。ここまで通って結果が伴わない人は初めてだ』
と言われてしまいました。
おいおい、俺は前代未聞にダメなのか!?と思いましたが、その次に続いた言葉がありました。
『あなた、もしかしてホルン奏者以外に人生を生きる道がないと思っているんじゃない?』
わたしは、そうだ、当然だ、と答えました。
そう思っていました。わざわざ日本を離れ、国籍のあるアメリカにも行かず、ドイツに来てホルンの勉強をしてしまっているのですから。
しかし、メンタルトレーニングの先生はこう言うのです。
『そんなの、失敗するに決まっている!どうなるか分からない音楽家というキャリアにチャレンジする人こそ、他の道、他にもできそうなことややりたいことを2つ3つ考えておくものなのよ!』
と。
そしてこう問われました。
『本当に、他に何もしたいこと、興味を持っていることはないの?』
と。
・・・その問いこそが、決定的でした。
そう問われて考え始めてすぐ、心がスーッと開いていくような感覚を感じたのを覚えています。
そして、ふと思い出すように、
《そういえば、アレクサンダーテクニークという身体の使い方のメソッドを専門的に勉強して、教えられるようになりたいと思っている》
ことに気がついたのです。
それを先生に言うと、
『次の本番までに、その進路について調べてきなさい!』
と宿題を出されました。
帰宅するなりわたしはその宿題に取り掛かり、日本にもアレクサンダーテクニークの教師養成校がいくつかあることを知りました。
そして、大学を卒業した後の次のステップとして、それに取り組むぞ!というビジョンがはっきりと見えました。
すると、非常に心が軽くなりました。
大学で師事していたホルンの先生にも、そうしようと思う、ということを伝えました。
その後迎えた次の本番。
いつものように心臓はドキドキ、口はパサパサ、手足はガクガクブルブルしていましたが、
本当に不思議なことに、すんなりと音が出て、しかも『失敗しても別に全然いいや』と思えていられて、
大学に入って4年目にしてはじめて、納得感のある本番の演奏ができました。
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この二つの体験は、わたしにとって今でも、
《自分は何をするひとなのか》
《自分は何のためにホルンを吹いているのか》
ということを指し示す根幹的な指標です。
《どうも、自分はこういう人であるようだ》という現実を直視し、心から受け取り受け入れる、そんな体験です。
それがとりもなおさず、『自分を否定しない』ということです。
うまく説明できないことは多々ありますが、ある種の真実として、自分を動かしている学びなのです。
Basil Kritzer