「舌で切る!!」その2 ピップ・イーストップ著 バジル・クリッツァー訳

☆ロンドンのホルン奏者、ピップ・イーストップ氏の論文です。
原文→http://eastop.net/?p=265
(この論文は1997年夏に、「ホルン・マガジン」第5巻No.2で最初に出版されました)

 ここで、速いスタッカートのアーティキュレーションの隙間に隠れていた、「舌で止める」ことの発見を通して何を探求していけるだろうか?すでに示唆したように、ゆっくり練習することでアーティキュレーションをきれいにするという方法は、うまくいかないかもしれない。ゆっくりなテンポのときにどれだけ美しく演奏できても、インテンポでやると何も良くなっていない。私の仮説は、次のようなものである:わたしたちが、アーティキュレーションの向上を意図して取り組むためにテンポ落とすとき、うっかりテンポだけではなくアーティキュレーションのやり方まで変えてしまっているのではないか。テンポを落とすと、「音をなめらかに消え入るように終える」という余分な事を差し挟んで練習しているのではなかろうか。

 伝統的に、すべての音を消え入るように滑らかに終えるというホルン演奏上の要求は、あまりにも当然になりすぎて、「舌で止めて」音を中断するやり方は不必要とされてしまい、冷ややか目で見られるようになってしまった。しかしながら、現代音楽では、このような音の効果は、明確に要求される。正直言って、こういう「時代遅れ」な感じの音は、奏していて実はけっこう楽しい。音が、お湯を風呂から抜いているときに、途中でまた栓をしたときのような感じで止まるような音響効果が、面白いのだ。ホルン演奏のタンギングのメカニズムを説明するのに、風呂の栓の例えは、実はけっこう的を得ている。栓を抜いたら、水(空気)はまた流れ始めるのだ。(もちろん、これは単純化させて説明したものだが。)

 モーツァルトの例に戻ろう。管が長いと、音はもっと粗っぽくなるだろうか?はじめにBb管で試し、つぎにF管で試してみよう。普通は、管が長い方が音が粗いだろう。実は、このことが、舌と風呂の栓の比較をみていくときに、面白いヒントになる。

 Bb管でこの例を、比較的少ない息の量で吹いているとき、息は相対的に短い管を通り抜けていく。この動いている息の流れは、口を抜ける息の通り道が舌によって塞がれたまさにその瞬間に中断される。同じ事をF管でやっているときは、相当分多く、そして重い息の量(ただし、動くスピードは変わらない)が通り抜けており、それが止められる必要がある。その結果、息が多いため、慣性の力がより強く、それを止めるためには舌により強く負荷がかかる。必然的に、より長い管においては、次の発音のために舌を離すのにもより力が必要である。短い管では逆であるので、音も長管ほどでこぼこしない。私が「止めて、離す」という言葉を使っていることに注意して欲しい。私はなんらかのやり方で、舌がピストンのように働き、空気を唇の外と楽器の中へ運び出しているという広く受け入れらている誤解を促進しなように、気を配っている。似たような誤解には、舌がピアノのハンマーのように働いていて、器用に口蓋を叩くことで音を作り出しているという誤解がある。実際には、舌は息の流れを、通り道をふさぐ事で止めたり、ふさぐ代わりに通り道から退いて空気が流れるようにしたりしているのである。

 クリアーなスタッカートをするには、舌が弱いよりかは強い方が良いかもしれないことを示唆したが、正しい強化方法になるようなやり方でエクササイズを作ってみて実際に試してみるのも良いだろう。これは先に述べた指示に従って、ゆっくりと、わりと汚い、四角く音を始めて止める練習をやれば簡単な事だ。説明した通りにこれをやってみれば、しばらくするとおそらく、舌の付け根が慣れない負荷の仕事の結果疲れ始めることに気がつくだろう。これは良い兆しで、舌はほとんど全て筋肉でできているから、その筋肉が反応していることを意味し、ごく自然な事にエクササイズを通して強くなって行く。この疲れや痛みは、だいたい顎の先とのど仏の真ん中ぐらいにある柔らかい組織のあたりで感じるだろう。

 私の考えでは、タンギングする事が、ただ単に音を吹くより良いことであり、その理由がいくつかある。なかには、舌の関与全くなしで発音することを勧める奏者もいる。これは、舌で止めた音の不快を聴衆に与えないためであろう。だが、私からすると、これは音を綺麗に丸くするということをやりすぎている気がする。子音なしで文章を話すことと比喩的に似通っている。少しの舌の関与でもたらされる音色のバリエーション全くなしで何でも演奏してしまうと、味気なく鈍重な感じがしてしまう。

 また、タンギングなしでは、拍に遅れて聴こえてしまう危険がある。とくにホルンセクションではそうだ。一般的に言って、指揮棒の動き・他のプレイヤーの合図・メトロノームの音などのような、外部から来る刺激に同調して発音する事は、ほとんどいつも必要である。タンギングなしでは、音が鳴り始めるのに必ず少し間ができることで、これがおぼつかない。タンギングだと、これが精密にコントロールできるのである。

 ただし、私はフレーズの始めの音の発音にタンギングが必要である事は間違いなく強調するが、演奏全般に「舌で止める」ことを促すつもりはないことははっきりさせておこう。こんなことをすると、ひどい聴こえ方がしてしまう。単に、実践的に使える技術的な手段としての特定の価値を啓発したいのだ。私自身の演奏にも、私の生徒たちの演奏にも、とても役立ったのだ。

おわり

ブログでは読めない話もたくさん!ぜひメルマガをGET♪

レッスンの申込や出張依頼などについては、こちら!

「舌で切る!!」その2 ピップ・イーストップ著 バジル・クリッツァー訳」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 「舌で切る!!」その1 ピップ・イーストップ著 バジル・クリッツァー訳 | バジル・クリッツァーのブログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です