前の記事に続いて、この記事では私自身の経験を傍証としながら金管楽器奏法の「選択肢」と、選択の自己決定の重要性を主張したいと思います。
私はホルンを演奏していますが、ホルンの奏法・ホルン演奏時の身体運用について5つの側面で象徴的な体験をしています。
それは
・「顎を張ること」について
・「唇を横に引くこと」について
・「マウスピースの位置」について
・「呼吸法」について
・「姿勢」について
です。
この記事では、「唇を横に引くこと」について述べます。
***
【唇を横に引くことについて】
ざっくりとした印象ですが、
昔はどの金管楽器でも「唇を横に引いたアンブシュアにすること」や「音を上げるために唇を横に引くこと」が推められたり教えられたりしていたことが多かったようです。
いまでも、トランペットの奏者・教師にはそのことを自身の奏法感覚として語ったり、教えたりすることが他の金管楽器よりは多い印象があります。
しかし、現在では「唇を横に引いてはいけない」とか「唇を横に引くのは良い奏法ではない」と言われることのほうが金管楽器の奏法論と教えの世界では多くなっていると思われます。
その変化の最大の要因は、アメリカの高名なホルン教師であった故フィリップ・ファーカスが、唇を横に引いて「スマイルした」ような見た目のアンブシュアの状態を問題視した、というところにあるのではないかと私は推測します。
ファーカスはいくつか著作を出していますが、金管楽器の教本の中ではいずれも非常に丁寧に書かれた良質な本で、それ故にホルン以外の金管楽器奏者からも奏法論を考えるに当たっての最大の参照点になって今に至っているのではにかと思います。
さて、私も「唇を横に引いてはいけない」と教わりました。
そのように教えて下さったのは、前の記事と同じ、中学3年生のときに師事したホルンの先生です。
この先生は、ファーカスのことを私に教えて下さった先生でもあり、ホルン演奏の多くの側面についてファーカスの考え方を基本的に踏襲されていたように思います。
師事したのが中学生のときからで、これはもう25年以上前のこととなるので、記憶が薄くなっているのですが、この教えに関して私の体験したことは
・言う通りにすると吹きにくくなる
・「トランペットならそれでいいのだけれど」と先生はおっしゃっていて、当時の私は「だったらホルンでもそれで良いのではないか」と思った記憶がある
・唇を横に引かないように、と意識することは試したが説得力を感じなくて早い段階で採用しないことにした記憶がある
といったところです。
前の記事の「顎を張る」という教えに比べると、あまり影響を受けなかったように思います。
それゆえ、それほど悩まされはしなかったのですが、それでもやはり「自分のアンブシュアはダメなんじゃないか」という不安を深める材料として心に引っかかってはいました。
その引っ掛かりが取れる場面というのが、その後のホルン人生で3回ありました。
***
《ピップ・イーストップさん》
一つめは、ドイツのエッセン芸大での学生時代のことです。
いろいろうまくいかずドン底だった頃のなのですが、なんとかしようともがいてはいました。
アレクサンダーテクニークに興味を深めたのもそんな時期です。
いまとちがってインターネット上の情報がまだ限られていた頃ですが、それでも一生懸命に検索するうちに、
英語で書かれたホルン演奏とアレクサンダーテクニークに関連した記事をいくつか見つけました。その多くがピップ・イーストップという人によるもので、この人は
・ロンドンのフリーランスホルン奏者で
・『ロンドン・ホルン・サウンズ』にも参加している一流の奏者で
・アレクサンダーテクニークの資格を取得している
ことが分かりました。
そこで、実際教えを乞おうと思い、ロンドンに行きました。その顛末、学んだことはこちらの記事にあります。
この記事の「唇を横に引くことについて」の文脈では、このときイーストップさんとのやり取りではこのようなことがありました。
それは、レッスンの中で、イーストップさんのところに来るまでの経緯を話していて、これまでどんな奏法をしていて、どのように否定され、その結果どうなってしまったかを説明していたときでした。
唇を横に引くようなアンブシュアと、そのときの構え方を見せたら、
「ああ、それは顎を前に出して上下の歯をもう少し揃えるための動きだね」
そして
「わたしもそうしているよ」
ピップ・イーストップさんの吹き姿
・
・
・
ロンドンの一流プレイヤーが、さらっと肯定してくれただけでなく、自分もそうだと言ってくれたのです。
たぶん、このやり取りが、アンブシュアに対する呪縛をひとつ消してくれたように思います。
ついでに言うと、こういうアンブシュアの人、一流の中でもそう珍しくないですよね。
唇を横に引いてはいけない、という教え方にはこの事実と、横に引かないように意識しても効果がなかったり、ただ吹きにくくなるだけの人がいるという事実が、どうも考慮から抜けているように思います。
このピップ・イーストップさんの記事は、その後いくつも訳しました。
『楽器を教えることはできない。教えることができるのは、自分で自分を教える方法だけだ』
***
《平野剛さんの研究》
ふたつめは、運動制御学などが専門で、ご自身もホルンを演奏されている平野剛さんの研究です。
にありますように、唇を横に引く作用を持筋肉が、より高い音を出すにあたってよりたくさん活動することが示されました。
プロの奏者でも、です。
であれば、これは唇を横に引かないように意識するとうまくいかなくなることの説明になるかもしれません。
プロも使うような筋肉の活動を妨げてしまうからです。
***
《トーベン・グルーバーさんとのレッスン》
これは2024年の夏のことです。
ウィースバーデン歌劇場管弦楽団の下吹きのホルン奏者のグルーバーさんにレッスンを受ける機会がありました。
グルーバーさんは私より10以上年下ですが、大変楽しいレッスンでした。
彼は「正しいことを教えてやる」「ダメなところを指摘してやる」というスタンス・空気感がまったくなく、レッスンは終始様々な実験を次々に行って、ハマらないものは却下、良さげなものは続行、というふうに展開していきました。
そうするうちに、わたしの演奏がどんどん良くなっていったのですが、苦手意識のある高音がバシッとハマりはじめたときに、グルーバーさんはたしか
「唇を横に引いているね」
と言いました。
過去のいろいろな呪縛のあることなので、ギクッとしたのですが、彼は続けて
「ということはそれが良いってことだね!」
と言いました。
論理的にはまさにその通りで、なんら複雑な話ではないのですが、唇を横に引くことをととにかく嫌うような発言が多い金管奏法論の世界に生きてきたわたしにとっては、それでも大変解放されるような感覚がありました。
***
唇を横に引くことについて、でしたが前回の記事の内容も、この後の記事に続く内容も、構図としては
①教える立場にあるひとが「正解像」を構築する
↓
②その「正解像」と、教える相手を対比させて考える
↓
③「正解像」の方に、教える相手のやり方を変更させる
ここまでは良いのですが、その結果が芳しくないときに
④-a「正解像」の再考、変更、修正
を行わずに
④-b 教える相手がたとえ潰れてしまっても、それを「正解像」に何らかの誤りがあるかもしれないことを考えずに、潰れた相手の資質や努力の問題であると考える
という方に進む。
そんな構図が何故かあるようです。
私が一流の奏者かつ一流の指導者であれば、もっと説得力があったことでしょう。残念ながらそうでもないので、教え手たちに文句を言い続ける面倒な人間に思われてしまうかもしれません。
しかし、多角的に何年も考え続けた論考を公にしています。また実際のレッスンの様子を多数公にしていますので、それらも私の言っていることがただの文句ではないエビデンスになるのではないかとも思います。
わたしも答えはまだわかりません。
しかし、上述したように、世の金管奏法論にや教え方に何かおかしなところはあるのではないかと思います。
そして、批判が目的ではありませんから、現状の代替案として、『奏法および身体運用の決定権は教師ではなく奏者にある』という考え方を提唱する試みがこのシリーズです。
次の記事では、「マウスピースを当てる位置」について述べます。