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わたしは京都の高校を卒業し、2003年秋から2008年夏までの5年間、ドイツのエッセン・フォルクワング芸術大学に留学しました。
そこで師事していたのが、フランク・ロイド教授です。
ロイド教授は若くしてロイヤル・スコティッシュ管弦楽団の首席としてホルン奏者のキャリアを開始し、次にロイヤル・フィルハーモニックに移籍、その後はソリストや室内楽奏者として活躍しておりフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルにも参加していました。ロンドン・ホルンサウンズの録音では縦横無尽に活躍しています。
さて、このロイド教授が自らが語るところによると、演奏法上の最大の転機は8年ほど前に現在の奥さんと出会ったときなのです。
奥さんはエッセン・フォルクワング芸大の声楽教授レイチェル・ロビンス氏。それまで高音のパワーと全般的な音量に限界を感じていたけれども解決法がずーっと見つからずにいたのが、レイチェル・ロビンス教授と出会ってから、ふと練習をしていたときに、「のどが締まっている!」と指摘されたのです(笑)
ロビンス教授は英国オペラ座で長く活躍され、声楽教師として素晴らしい能力を持っていて、エッセンでも多くの学生に慕われています。
ホルン奏者ならロイド教授には畏れ多くて何も言えませんが、すぐに気が付いて指摘するところが凄いですね(笑)
ロイド教授は初めは「ムッ!」としたらしいですが、言われてみると常に喉にキツさを感じていて、マーラーのシンフォニーを終えた後などは喉や首にダルさを感じていたので、思い当たる節があり、音の鳴らし方や呼吸のやり方などを教えてもらうことにしたとのことです。
それから高音の響きが豊かになり、息のコントロールを基盤に大音量の演奏もより良くなっていったとのことです。40代後半にさしかかってからのことです。
そういう経緯もあって、僕が留学した頃にはロイド教授のレッスンの主眼は「余計なことをしない」「息の流れを邪魔しない」「身体の共鳴を豊かに生み出す」というところにありました。
タンギングも、舌の力に頼るのではなく、空気をリリースするのに必要な本当に最低限度ギリギリの力でやることを5年間何度も何度も言われました。
タンギングの種類も多彩で、発音の仕方として「Ta」「Na」「Thi」「Ca」「La」などあらゆる方法が可能であるとして(なかなか僕にはそこまでできていませんが)、「息が音を作る事」、「息の流れに徹底的に一切干渉しない」、そしてそれをあらゆる音域・音量で実現していく事。
こういったことをいつもいつも教えてもらいました。
学生時代は、それに応えようとしても応えられず大変な思いでしたが、今となっては、それはホルンライフの一生をかけて取り組み身につけてゆくことなのだと理解しています。ロイド教授自身がそれにいつも取り組んでいるわけですから。
こういったアイデアを最も原理的に組み込んだシンプルな練習が、
このように一つの音をゆっくり、楽にバランスよくコントロールできる範囲内でクレッシェンドし、そしてデクレッシェンドしていく、というものです。
ずーっと昔のPipers誌上のインタビューでもロイド教授はこれに言及していますが、現在でも基本に据えています。
この基本的な練習フォームの中で、全ての音を全ての音量において豊かに響くものにしていくという意図があるワケです。
そして、この基本と同じアイデアを音階やアルペジオ、跳躍、リップスラーにも敷衍していきます。
音階ならば、同じように音階を通してクレッシェンドしていき、そしてデクレッシェンドしていきます。音階はスラーでやってもいいし、様々なアーティキュレーションでやってもいいのです。アルペジオや跳躍、リップスラーも同様です。
主眼はどの形式やパターンでも、「音の響き・共鳴」「息がスムーズに流れ出ていく事」「邪魔をしない」」ことにあります。
余談ですが、
個人的に、ロイド教授の練習方法や取り組み方を理解したと思えたのは、ロイド教授が2006年秋にリサイタルのために来日して、我が家に泊まっていたときでした。
その数日間、毎朝ロイド教授の練習を聴くことができたのです。だいたい30〜40分程度で、やっていることのレベルが自分とはかけ離れていて雲の上でしたが、それでも練習を「聴く」事を通して上記の事を意識して基本に基づいて練習していたのがよく理解できました。
Basil Kritzer
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はじめまして。
いつも興味深く読ませていただいております。
ロイド氏の演奏は山形フェスティバルで聴きました。
さて、僕の場合、オケのハードな練習や本番後、声がかれます。
これも喉に力が入っている結果だったのでしょうか。
考えさせられてしまいました。。。
massy さん、はじめまして。
福井でウィーナーホルンをされているmassyさんでしょうか?
山形での演奏、時々話題になりますね。
ぼくはその頃小学生でホルンにすら出会ってなかった(^~^;;
声が枯れるとのことですが、
咽頭や喉頭に圧力がかかっているのかもしれませんね。
ひょっとしたら首や背中に過剰な筋肉の努力があるのかもしれません。
高音やフォルテは空気の圧力が強い分、頭の安定化のために首の筋肉が活用されます。
本来は脊椎に近いかなり深部のバランス感覚に優れた筋肉にできる事なのですが、どうしてもより表層の大きくて強い筋肉に頼りがちなる事が多いです。
ポイントとしては、深部の筋肉にはそれほど努力感がないケースが多いということでしょうか。
ですので、吹いているときや吹こうとしたときに体全体を通してどういった動きや張りが生まれるか観察してみるといいかもしれません。
観察してるうちに、「これはここまでやらなくてもいいかも」ということが見つかってくるかもしれません。
そうすると、喉に加わる圧迫が減り、付随的に響きや音量や吹き易さが増すことがあるかもしれません。
是非試してみて下さい。
恐れ入ります、福井のウィンナホルン吹きです。
よく「ここまでやらなくてもいいかも」というようなこと、やっています(^^;
そういうものが、結果的に喉に負担をかけている、と捉えればいいのですね?
試してみます!
ありがとうございました。
massyさん
僕もウィンナホルン大好きです!持ってないけど(・_・;;
望む音や音楽に対して、身体的に「やりすぎている」「力みすぎている」というような意味です。
またいつでも書き込み待ってます(^0^)/
はじめまして。
演奏とは縁のない生活をしています。お話を聞いて、古武術を連想しました。大して力も入れずに、大きな力のある相手を倒す技。250ccのエンジンしかなくても、ナナハンのパワーが出せる。無駄なところに力を入れず、一点に集中させる。ある瞬間をとれば人間にはひとつのことしかできない、雑念を取り払ってその一点、ひとつのベクトルに集中する、。。こういうことかいな?と。脳の問題ですね。。わたくしも雑念をとりはらう脳の育成につとめたい。。と、おもいながら、人生末期に近くなりました。
古井戸さん、はじめまして。
ありがとうございます。
武道においても音楽においても、「自分自身を使う」という点で共通しており、自分自身の思考と身体の統合的な在り方が肝要になりますね。
「自分自身の使い方」を考えたときに、心身が最大に機能するのは、本来そこにあり自然そのものである人間のメカニズムを最大限に解放したときかもしれません。その機能は元来自然によって設計されているのだとしたら、それに対する干渉をやめていくことこそが方法になると思います。
武道においては、「戦闘」という究極の場面でのその機能の発揮を突き詰めて行ってるのだと思います。
バジルさんは高校卒業の後、すぐに留学されてたんですね。
フランク・ロイド氏といえば7年くらい前に芸大に来た時のことを思い出します。
その時は話している内容もさることながら、ロイド氏自信の身体の動きが印象に残りました。
身振り手振りで説明するのですが、腕の動きにまったく胴体がつられない(もっていかれなない)。私が同じように動けば、かなり感じるであろう引っ掛かりが無い(あるいはとても少ない)ように見えました。
講座の最後に無伴奏の曲を演奏されたのですが、まさに音を出すためのムダが少ない、それまでに見てきたホルニストとは違う感じでした。
さてレッスンの内容についてです。「余計なことをしない」「息の流れを邪魔しない」「身体の共鳴を豊かに生み出す」とありましたが、「余計なこと」という場合、具体的にどういうことを余計ととらえていたのか、という事に興味があります。
もう一つ「身体の共鳴」というものについても気になります。逆に「身体が共鳴」しない状態という事にも同じように気になります。
また機会があれば、是非ふれてください。楽しみにしてます。
Kのさん
初コメントありがとうございます(^0^)/
ロイド先生、天性のアスリートなところあります。
身体についての知識も特にないんだけれど、とても動きの能力に優れています。頭もいいし。天才ってヤツですわ、うらやましい (~_~)
本当に音を出す無駄が少なくて、口元なにもせずにプッと気付けば音がワ?ッと響いている感じです。うらやましい…
ロイド先生が「無駄」と考えていたのは、舌・首・喉あたりの過剰な緊張ですね。これは本人の考えですが、舌が根元で緊張して喉が狭まったり、あるいは舌の使い過ぎ頼り過ぎで息のコントロール感覚がなく、発音が強いはっきりとしたものだけになる。そういうところをよく言っていました。
僕はアレクサンダーテクニークを勉強する中で、ロイド先生が注視している緊張パターンも実はもっと広い全体的なパターンなのが後から分かってきましたので、詳細についてはロイド先生と必ずしも同じ考えというわけではありませんが、発想はとても肌に合いました。
また、「共鳴」に関しては、響いた音とそうでない音の聴き分けを習い始めた当初に教えられました。本当にしっかり耳を使わされました。
ロイド先生は「喉を開けるんだ」と本人の感覚で言っていますが、僕はむしろ「響いた音」が出てるときは身体全体のバランスが良くて「何もしていない」ときに鳴り、逆に「響かせる為に喉を開けよう」とすると口腔内が狭まるのか緊張パターンになってくるのか、むしろ響かないことが多かったので、ロイド先生の言っている「方法」とは逆のことをやりました。
これもアレクサンダーテクニークの勉強を通して分かったのですが、共鳴に重要なのは身体のなかのスペースなのですよね。そのスペースはバランスが失われるとともに圧迫されるので、結局「自分自身の使い方」の副産物として共鳴も得られます。椎骨間のスペースもとても重要らしい(伝聞)ですが、そうだとしたら頭と脊椎の関係性を自然で動的なものにすると椎骨間のスペースも圧縮されずに済みますね。
個人的には、「共鳴」は人間が自然に持ってる構造を通して得られる自然な機能だと思います。ただし、その構造を音楽に活かすという点では多くの場合意識的な訓練も重要なのかもしれない、というところでしょうか。
こちらもすぐにお返事いただき、ありがとうございました。
ロイド氏の言う共鳴というのは、出ている音の響きのことのようですね。身体の共鳴というのも、どちらかというと感覚やイメージのことなのかもしれませんね。
それとは他に、共鳴に重要なのは身体のなかのスペースとありますが、椎骨間のスペースが共鳴するということがよく解りません。
ホルンなどの金管楽器で共振するのは管内の空気で、身体の振動はどうも空気の振動が楽器やマウスピースから戻ってきたもののように思えます。実際に音を生み出すほどの共鳴にはならないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
ただ椎骨に圧迫するような力が加われば、唇は振動しにくくなるような気がします。そういう意味で椎骨間を圧迫しないように、ということには賛成できます。
細かいことのようで申し訳ありません。最近は共振(共鳴)について考えることも多いので、ちょっと気になってしまいました。
kのさん
返信が遅くなり、すみません!
コメント頂いて気が付いたのですが、共鳴とう言葉と反響という言葉を混同していました。英語だとどちらもresonanceと言うんですが、日本語だと意味が違いますね。
ですので、ぼくが共鳴と言っているなかには、共鳴と反響の両方があります。
まず、頭蓋骨や胸骨や骨盤などは実際に一緒に振動します(これも共鳴と言えるのかな?)
そして、椎骨間などのスペースに関しては、「共鳴」ではなく「反響」のためのスペースですね。
いわゆる「力んだ」状態では身体においての反響がつぶされてしまいます。
言い換えると、状況において最も効率的にラクに動けているときに、本来の身体の反響スペースが活用されるわけです。
また、kのさんが気づかれたように、脊椎を通して状況に対して不要・不合理・過剰な圧迫があると生体有機体としての機能が全般に阻害されます。それがF.M.アレクサンダーさんが発見した原理で、後に生物学的にも確認されている事です。
人間を含む全ての脊椎動物は動きが頭と脊椎に沿って組織されるので、脊椎に対しての圧迫は手足や身体の他の部分の機能も阻害することになるわけです。顎関節や唇も例外なく。
お返事ありがとうございました。このようなやりとりを出来る人はなかなかいないので、とてもうれしいです。
さて、このバジルさんが言われる「反響」という言葉は、ホルン(の中の空気)の振動の身体への戻りととらえてもいいのでしょうか?
もう一つは脊椎を通して不要、不合理、過剰な圧迫、とありますが、具体的(というか物理的と言ったほうがよいかもしれません)には、どういった動きを考えていますか?
私としては実際に圧迫しようと思ったら、とりあえず筋力(自分自身の)か重力が思い浮かびます。その筋力や重力を使って、どう圧迫するのか、といってもいいかもしれませんね。また、筋力、重力以外にも何か思い浮かぶことがあれば、教えてください。
私自身は頭と脊椎ということを特別視はしていませんが、無駄な力というものは、なるべく具体的(感覚としてですが)にとらえたいとは思っています。
また逆にうまくいっている状態は、なかなか具体的にはとらえられないような気がします。ただ、具体的に無駄な力を見つけた(そして入れるのをやめた)時は相対的にうまくいくような感覚はあります。
Kのさん
また遅くなりすみません。
反響は、空気の振動が伝わっていく空間で起きることですから、身体の中の空間も反響や振動の増幅が起きますね。
歌手も金管奏者も、身体の中を様々に動かして(細かく意識的ではないでしょうが)それぞれの音程や音量に応じて響きを豊にしていますよね。
さて、頭から脊椎への圧迫というのは、恐怖反射が無意識的に意図や状況にそぐわず起きているときにあるものです。
頭が後ろまたは下、あるいはその両方へ筋肉によって引っ張られている状態です。
脊椎動物(人間含む)は脊椎に沿って方向性を持ってあらゆる動きが組織されており、すべての動きは頭と脊椎の間の調整機能(初源的協調作用)によって決定されています。
手足の動きも、顎や唇の動きの効率性も、頭と脊椎の関係性に影響を受けています。
ただ、頭と脊椎(といよりは身体全体)に関係性を観察したり気付いたり意識したりする事は現在の社会では全く一般的ではなく、それ故に自覚されていないケースがほとんどです。
アレクサンダーテクニークではそこの教育が行われるわけです。
Kのさんの仰っている、「無駄なことをやめる」ことというのは、アレクサンダーは「抑制」と呼んでいました。
その無駄な力が入っているときも、それがやめられるときも、頭と身体全体の関係性を通して理解することができる、というわけです。
書くとややこしいですけれど…
いつもお返事いただきありがとうございます。忘れたころにまた失礼します。
振動(反響)の件です。振動が伝わっていく過程で身体の中の空間も反響や振動の増幅が起きる、とありましたが、これはたぶん間違えだと思います。
電気(マイクなど)など新たにエネルギーが加わらなければ、基本的に振動は伝わっていく過程で減衰します。これは唇で起きた振動が楽器内の空気に伝わる過程でもおなじです。
聴こえる音という意味では大きくなるのでイメージとしては増幅という感じになるのもわかりますが、それは楽器内の空気が共振するからで、振動という意味では弱まる過程です。
身体に伝わるという意味では、身体の振動自体ほとんど音を生みだすことはないと思います。ただ振動の発生のしかただけでなく、減衰のしかたも音にかなりの影響を与えると思います。
頭から脊椎の問題もいろいろ疑問があるのですが、新しく記事を書かれていたのでそちらに質問させていただきます。
「抑制」に関しては、アレクサンダーテクニークの中でも、私の考えていることと一致点が多い気がします。
kのさん
なるほど、増幅というのが不正確なのですね。
身体の振動自体が音を生み出すわけではないのは、その通りでしょうが、身体の中のスペースの中(口腔や鼻腔)での反響(共鳴?)は重要ですよね?
kのさんは、ご自身の骨盤や頭蓋骨が振動しているのに気が付かれたことはありますか?
ネット上の質疑応答だと必ず起きる事ですが、やっぱりちょっとポイントがぼやけてきてるので、kのさんの「言いたい事」をまとめて聞かせて下さると、嬉しいです。よろしくお願いします。
そしたら、kのさんの「考え」と僕の「考え」とを並べて、共通点や異なる点が分かって、言葉の定義にそれほどこだわらずに本質的な意見交換がしやすいかと思いますので (^_^)/
そうですね。ちょっとブログの雰囲気にもそぐわないコメントをしてしまったようで、申し訳ありません。「言いたい事」というほどではありませんが、考えていることをまとめてみたいと思います。
kのさん
是非お願いします。
ブログの雰囲気は、僕は当事者なのでよくわかりませんが(笑)、
特にKのさんのように専門的な背景をお持ちの方には、質問して頂くよりはお考えを述べてもらった方が、見ている人も面白いと思うのです。
コメントのやりとりで互いの意見の突き合わせってなかなか難しいんですよね。
それよりは、KのさんがKのさんの考えをどーんと書いて下さる方が面白いと思うし、ブログ主としてもブログの内容が濃くなって嬉しいです(打算ですみません 笑)。
もしよかったら、メールを下さればそのままエントリーして記事として独立して掲載したいくらいですので、心待ちにしています。