前記事では、30代半ばで発症(再発)した心身症について、およびそれ以前には「諦め」や「開き直り」といった心境に至ることによって乗り越えていた本番の緊張ですが、そんな 諦めや開き直りといったもの自体が通用しかなくなっていったことについて書きました。
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【コロナ禍で誕生した大切な取り組み】
心身症のメッセージを受け止めながら、少しずつ新たに自分のホルンの吹き方を整理し直す旅路が始まって1年ほどした頃。東京都交響楽団ホルン奏者の岸上穣さんから「一緒にホルンアンサンブルのイベントを企画しないか?」とお誘いを頂きました。
彼は歳が近く、また同じ京都出身で、大学受験まで指示していたホルンの先生が同じ先生でした。そのため高校時代からの20年以上の友人なのです。
コロナ禍のさなか、音楽を演奏する機会がプロの演奏家である 自分自身も数多くのアマチュア音楽家も奪われてしまったことに彼は心を痛めていました。なんとか一緒に集まり 演奏を楽しむ 場を生み出したいと強く願った彼は、野外ならば 集まっても コロナの心配が薄く、演奏や食事を共にしても大きなリスクがないであろうことを思い至り、私有地の小さな森や 大きな公共公園の敷地などで丸1日ホルンアンサンブルとバーベキューを一緒に楽しむ企画を発音したのです。
この企画は今も続いており、「森で音楽を奏でるWaldkonzert」といいます。
日本各地からホルンの愛好家の皆さんが毎回たくさんお集まりいただき、岸上さん・私・そして時にはもう一人 ゲストのプロホルン奏者を迎えて、朝から夕方まで一緒にホルンアンサンブルを楽しみます。
心身症で体に痛みがあり吹き方に迷いがある中で共同主催者として声をかけてくださった 岸上さんには、心身症のことも含めた 悩みを一番最初に打ち明けました。
トップレベルのプロと一緒に演奏することも大事な楽しみな1つとして参加してくださってるあるであろう 参加者の皆さんに対し、申し訳ない気持ち恥ずかしい気持ちがありました。どんな顔を押してどんなスタンスで会にいればいいのかわからなかったのです。
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【「あなただから」と言ってもらえること】
そのとき、岸上さんが私に言ったのは
「いてくれるだけもでいい」
ということでした。
その一言には2つの意味がありました。
ひとつは、彼からすると、私の演奏は恥じるようなものではないということ。トップレベルのオーケストラのプロ奏者ですから、演奏聞けば誰がどのような演奏能力を持っているかは 彼はすぐに把握することはできます。しかしそれで以てプロアマなどの身分には関係なく一人の「音楽家」を批判的にジャッジして下に見るというようなことを一切しない人物なのです。他人の演奏に対して かなり 批判的なスタンスを取るプロの演奏家が多い中で、これは本当に驚かされることです。
ふたつめは、私が他者とのコミュニケーションが円滑にできて、他者に対してリスペクトを持って接することができる人間だと彼は思ってくれたということ。それは私のレッスン活動を見てくれていての評価でした。参加者に楽しんでもらう良い時間と空間としてWaldkonzertを体験してほしいという彼の願いに沿った、いわば「人選」でした。
彼の言葉そのままで言うと、「バジルくんだから声をかけた。他にできる人がいない」という。
自分がどれだけ自分に自信がなくても、
どれだけうまくいかなくて悩んでることがあっても、
「あなただから、頼みたい」
という他者からの望みに接したときに、私はそれに応えたいと心から思いました。
また、この数ヶ月後にも別の人物から「あなただから」というメッセージをもらいました。
こちらはオーケストラ演奏会の企画で、隔年開催されているものに毎回誘ってもらい出演していました。
しかし、このときはやはり痛みと迷いから、一度引き受けた出演を断る方へと気持ちが傾いていて、声をかけてくれた主催者に、電話で不出演の相談をしました。
主催者は一通り私の話を聞いてくれた後、こう言いました。
主催者「よく分かりました。つまり、吹けないわけではないということですよね ?」
バジル「まあ、そうではあります」
主催者「・・・本当にこんな言い方失礼ですけど・・・許してください・・・でも言わせていただきます・・・バジルさん!ふざけんなですよ!吹けるなら出てください。調子が万全じゃなくても、バジルさんが出演してくれるって事をみんなとても楽しみにしてるんです。出演してくれるだけでもいいんです。その辺りの調整はできますから。出てください!」
バジル「・・・分かりました。やらせてください」
この時の投げかけられた言葉は私の脳天に ガーンと響きました。
怒られたということが ショックなのではなくて、「あなただから出て欲しいんだ」という強烈でまっすぐなメッセージに衝撃を受けたのです。
自分が自分をどう思うかでも、人にどう見られるためかでもなく、「一緒にやろうよ」という他者の望みを私はどうするのか?それが問われた時に、そう思ってくれるならそれに応えたい、というのが私の芯から立ち上がってきた想いでした。
実はこの電話をかけた時には、こうやって出演も断ってしまうわけだから、ホルンもやめどきだなとだいぶ思いつめていました。
しかしこの電話を切ってから、私は主催者の想いに誠実に応えるために、そのためだけに練習室へと向かいました。この時の練習が一つの転換点でした。自分が自分の調子を気にすることや、自分の演奏レベルを気にするのではなく、一緒にやろうという思いに応えるために、できる範囲できちんと練習し準備をする。
そんな風にホルンを練習したことはこれまでありませんでした。
このようにして、他者のためにホルンに取り組むという軸が私の中で立ち上がりました。この軸を持つようになってからおよそ3年になりますが、この3年間の中であった演奏の機会には非常に緊張するものもありましたが、ほとんど全て、自分なりにはそれなりに良い演奏をして乗り越えることができました。
この新たな軸を通して見えてきた考え方を以下に分かりやすくまとめます。
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【自意識過剰3つの類型】
私のいわば「病」は、自意識過剰にあると言えなくもないのです。他者のため、という軸がそれに気付かせてくれました。
自意識過剰には3つの類型があるように思います。
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類型①《テンション上がりすぎタイプ》
このタイプの人たちは本番に際して、あまり緊張していると自分では感じないでしょうし、他人から見てもそう映りません。しかし本番であまりうまくいかないことがあります。
典型的には
・本番だけ音量を出しすぎる
・本番だけテンポが速くなってしまう
・本番だけ妙に大げさな表現をしてしまう
という様子が見られます。
何が起きているかというと、興奮してしまっているのです。やる気が暴走してしまっています。やる気に満ちていますから緊張しているという感じはあまりありません。
野球でいえば レフトを守っているのに、平凡な ライトフライに対してライトまで疾走してスーパーキャッチをしてしまうようなものです。
スーパーキャッチでも、アウトを取ったとしても、野球 だとこれを怒られます。なぜか?
自分の役割を忘れてしまっているからです。
その意味で自意識過剰の一つの形です。
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類型②《自分のことばかりになる》
「上手に演奏しているところを見せたい」
「下手なところを見せたくない」
「がっかりさせたくない」
「低い評価を受けたくない」
このような思考と感情ばかり湧き上がって、どんどん怖くなっていってしまう。
最もよくある自意識過剰の現れ方です。
私もこうなります。
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類型③《他人への迷惑ばかり心配になる》
「私の失敗で迷惑かけたらどうしよう」
「私のせいでみんなの評価が下がったらどうしよう」
「私の演奏がお客さんにとって不快だったらどうしよう」
このような思考と感情ばかり湧き上がって、どんどん怖くなっていってしまう。
これもよくある自意識過剰の現れ方です。
他人のことばかり考えているのになんでこれが自意識過剰なのか?
それは自分の影響力を過大に見積もっているからです。
自分の失敗や能力不足で周りの人 やお客さんに大きな影響を与えてしまうと恐れています。
しかし実際にはなかなか そのようなことは起きません。
ある意味身の程知らずとすら言えるのです!
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【誰か・何かのため】
これら自意識過剰の悪循環を止めるのに必要なのは、「音楽を演奏することを、誰かか何かのためとして位置付けること」です。
・聴きにきてくれている方々に音楽を捧げよう
・一緒に演奏する仲間のために一生懸命音楽をしよう
・この曲を書いた作曲家の想いを描き出すためにベストを尽くそう
etc
例として、上記のような「演奏の目的」を見出すことです。
それが見いだせれば、たとえ緊張や不調で音がうまくコントロールできていないようなときでも、「演奏の目的」のためにその場にいてベストを尽くしていれば、それは本質的には良い演奏になると私は考えます。
仮に演奏の傷を強く非難する他者がいたとしても、です。
そもそも上手に演奏するために演奏していたわけではありません。上手に演奏することを重視または優先するのは自分のこだわりにすぎなかったり あるいは他者からの評価のためであったりします。
「誰か・何かのため」に演奏する軸を持っていれば、目の前のうまくいくいかないや他人にどう思われるかという心配は、「余計なノイズ」に過ぎないものになるのです。
もちろん、それは小さなノイズではないですから、気にしないようにしましょうと言って気にしないでいられるようなものではありません。
意志の力で持って、「演奏の目的」を思い出す必要があります。
それは訓練であり、鍛えられていく力でもあると思います。
このテーマについて簡単にレクチャーしている動画もあります。
こちら
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【まとめ】
6歳から始まった音楽生活は、健康でさえいられればあと三十年、もしかしたら四十年続くかもしれません。
そうしてみたときに、今はちょうど折り返し地点でしょうか。
ここまでを振り返ると、緊張・あがり症の問題の旅と、音楽そのものとの関わり方の変化の旅は、並行したり交わったり絶えず関わっているようです。
心身症の再発を機に「他者のために音楽をする」という軸が生まれたかもしれない私ですが、その軸がまだ無かったころに学んだり取り組んだ、緊張・あがり症を乗り越えるためのスキルは現在の演奏の基盤の一部を成しています。
それらのスキルについて説明しているレッスン動画を列挙して今回の総論を終えたいと思います。
①他者との「関係性」を作るスキルについて
→こちら
②緊張を力に変えるアドレナリンサーフィング
→こちら
③本番の「責任」について
→こちら
④パニックや真っ白にならないために
→こちら
⑤技術としての「開き直り」
→こちら
☆そのほか、緊張・あがり症に関連した全てのレッスン動画や記事
→こちら
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この記事は、フルートメーカー「ムラマツ」の会員向け季刊誌「季刊ムラマツ」において2024年6月・9月・12月号に掲載された記事の元となったものです。
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