【生徒の論理的能力を尊重する教え方】

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わたしのホルン&アレクサンダーテクニークの師匠、ウルフリード・トゥーレさんへインタビューその3です。話題は、わたしがトゥーレさんから続けて学びたいと思った、鮮烈で不思議な体験から、アレクサンダーテクニークのちょっと専門的な哲学の話へと進んでいきます。

前編はこちら↓
https://basilkritzer.jp/archives/8369.html

【第3回〜生徒の論理的能力を尊重する教え方〜】

バジル
『それでは、最初の伝統的・正統的なアレクサンダー教師養成校でのトレーニングにおいて、あなたにとって欠けていたもの、そしてどのような経緯でドン・ウィードのトレーニングを受けることにしたのか。そのあたりをお話し頂けますか?』

ウルフ
『わたしにとっては、ごく当然の帰結に思えた。ドン・ウィードのワークショップに参加したとき、ちなみにパフォーマンスのためのワークショップだったから実際にホルンを持ってきて演奏することができたんだけれど、ドンのワークショップに参加するたびに、「前回の続き」から始まる感覚があったんだ。

間隔は1ヶ月〜2ヶ月あるんだけれど、それでもちゃんと前回到達したところから始めてくれるような気がした。

それがどうしてそうだったのかは当時わからなかったけれど、かなり興味を感じた。

そうやって生徒の課題に勤勉にアプローチするには、二つしか方法がないと思う。

ひとつは、ひたすらしっかりカルテを書いてそれに基づいて進めていく方法。もうひとつは、

目の前の生徒さんのいまこの瞬間を本当に分析して、そこから新鮮な学びを進めていく方法。わたしはこちらにレッスンや教育の方法として大きな興味を持った。

それと、ドンは基本原理のクラスを提供していた。テキストだけを使うクラスなんだ。先に言っていた、眠かったクラスだね(笑)。フランク・ピアス・ジョーンズやF.M.アレクサンダーの著書を抜粋して、誰しもが持っている既成概念や価値観に自分で気づかせていくことを狙った講義形式のもの。最初は眠かったしついていかなかったけれど、徐々にその内容の大事さに目が覚めていくようになった。

ほかにも解剖学や、レッスンにおける手技の使い方のクラスがあった。

ドン・ウィードのメソッドともいうべき”Interactive Teaching Methods”(訳注:直訳すると「双方向的指導法」)の、非公式ながらも最初のスクールに入ったのが1993年頃だと思う。最終試験が1997年だった。最終試験は、解剖学の試験が3時間、F.M.アレクサンダーの著書についての試験が3時間、フランク・ピアス・ジョーンズの著書についての試験が3時間、これらは基本原理に関するものだね。さらに副科目的な位置づけで人格修養に関する試験が3時間。そのうえで、レッスン試験があり、レッスンの振り返りの質疑応答がある。最後の最後、その質疑応答で「あのときこういうふうなことをレッスンでやっていたけれど、それはどういう理由か?」といったことを聞かれたときにうまく答えられないと不合格になることもある。わたしは幸い合格できたけれども。

アレクサンダーテクニーク教師としては充実しているし、生徒さんたちから好評なのは基本的にドン・ウィードのスクールでのトレーニングで培われたことの方のようだ。ワークショップでやって生徒さんの役に立っているようなことは、最初の伝統的なトレーニングで得られたようなこととは考え難い。全てドン・ウィードとのトレーニングから来ていると思う。』

バジル
『お話したことがあると思いますが、僕が最初にあなたのフライブルクのお家に行ったときのこと。

お家に入れてもらって、カウンターに座らせてもらってコーヒーを淹れてくれました。すると猫ちゃんがぼくの膝に飛び乗ってきた。

おもむろに、紙と鉛筆をあなたが持ち出してきて、”The Poise of the Head in relation with the Body in movement is the key to ease and freedom of movement” =「動きにおける体全体に対する頭部のありようが、動きにラクさと自由の鍵である」と書いたんです。

それをぼくに読ませて、「じゃあ、ホルンを吹いてごらん」と。

一回目はすごく緊張してボロボロだった。

そのあと、あなたはぼくに「もう一度これを読んで、これについて考えてmごらん」と言ったんです。”The Poise of the Head in relation with the Body in movement is the key to ease and freedom of movement” =「動きにおける体全体に対する頭部のありようが、動きにラクさと自由の鍵である」、これの何をどう考えるか具体的には何も言わずに。

それでなんとなく、「考えて」みて吹いてみたら‥‥こんどは完璧に吹けちゃったんです。

不思議な体験でした。

正直に言うと、気持ちの7割くらいは、「このひと信用できないんじゃないか….」というような気持ちでした。というのも、何かを教えてくれたような気はしなかったというか、レッスンというものに想定していたこととは異なる中身だったから。何か手と使って体を調整してくれて….みたいなものをイメージしていたんだと思います。

でも、間違いなく変化はその場で起きた。即座に。しかも、何かをやってもらうことなく全部自分で起こした変化だった。その体験は消せないものとして残りました。

だから、信用できないような気持ち、満たされないような気持ちがあった一方で、レッスンが終わったあとその体験を振り返れば振り返るほど、「これはまたウルフさんに会いにいかなきゃ」と思い始めました。

この最初の体験については、実はそのあとずっと、いまに至るまでなんども振り返り立ち戻って考えることがあります。自分の教え方やレッスンの進め方、考え方について迷いが生まれたときなどに。

どいうのも、ぼくのレッスンのやり方は世界の多くのアレクサンダーテクニークの先生たちの多数派的なやり方とはかなり異なっていますから、自分のやり方でいいんだろうかと自信が無くなることがあるのです。

でもそこで、あなたとの最初のレッスンを振り返ると、自分のやり方も、そりゃこういうやり方になるな、と納得がいくのです。』

ウルフ
『素晴らしいね』

バジル
『ぼくにとって大事だったポイントは、あなたとのレッスンで体験した変化、改善が「全部自分がやった」ということです。それが大きな力を与えてくれる、重要なポイントです。』

ウルフ
『そう。君にここで問いかけがある。F.M.アレクサンダーの、最初のアレクサンダーテクニークの先生は誰だい?』

バジル
『‥‥彼自身ですね。』

ウルフ
『そうなんだよ。彼には、教えてくれる・やってくれる先生はいなかったんだ。そのことをわざわざ喧伝する必要はないけれども、その事実を我々アレクサンダーテクニーク教師は受け入れよく心地よく理解している必要があると思う。

この事実を隠したり、教師の重要性をことさらに強調するのは、このメソッドに対しても生徒さんたちに対しても、有害なことだと思う。』

バジル
『あなたと、ホルンの先生たちとの関係性にあった気苦労も、ここで明確につながってくる気がします。ウルフさんは明らかに、「質問なんかするな。黙って言う通りにやれ」という古い教え方が好きではないですよね。』

ウルフ
『ハッハッハ、その通りだね。』

バジル
『その点、ナイジェル・ダウニング先生はあなたに、自分で自分を導く方法論を示してくれたように思えます。』

ウルフ
『そう。生徒の、論理的な能力に訴求していく教え方。F.M.アレクサンダーがそういう言い方をしている。これは詩的な表現に聞こえるけれども、地に足のついた具体的な価値観だと思う。』

バジル
『インターネットの技術は、物事をあらゆる領域でにそちらの方向に押し進めていると感じます。あらゆることを、自分一人でやることを容易になっていっていますし、情報はより共有され、自分のところだけにとどめ隠しておくというようなことは難しくなっていっているように思います。その情報を持っているのが地球上で本当に自分一人でもない限り、どこかの誰かがいつかがその情報を共有するでしょう。アレクサンダーテクニーク教師も、正解や正しいやり方を知っているのは自分だけ、というような態度で居続けても、情報や知見を共有していくことなく21世紀を生きて行くことは難しいと感じます。』

ウルフ
『ひとは、はじめは真っさらだ。その真っさらさを教師は分かっておく必要があると思う。真っさらなひとは、教師などからどんどんそのまま言われたことを吸収する。だから、間違った情報や考えも吸収することになる。そういう情報は「ノイズ」だ。そうやって「ノイズ」も多分に含んだ様々な情報を抱えてやってきた生徒さんを手助けしていくとき、生徒さんが自身にとって建設的で有益な情報を取捨選択し整理していく過程を自らやっていくことを助力する立場で教えるのか、その力を奪って「やってあげてしまう」ように教えるのか。そういう違いがある。』

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第4回【動きをマスターする】へ続く

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