【動きをマスターする】

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わたしのホルン&アレクサンダーテクニークの師匠、ウルフリード・トゥーレさんへインタビューその4です。

ここからは、ウルフさんのアレクサンダーテクニーク教師としてのキャリアと、ビジネス展開について伺います。北ドイツ放送交響楽団ウィーン放送交響楽団など一流オーケストラの団員へのレッスン提供、ブラジルでの理学療法士向けのプログラム、アスリートの怪我からの復帰支援、などなどその仕事は多岐に亘ります。

前編はこちら↓
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第4回【動きをマスターする】

バジル
『フルタイムでアレクサンダーテクニーク教師として生計を立てるようになってから、どれぐらいになるのですか?』

ウルフ
『1987年からやっている、と言える。1986年にトレーニングを終えたから、その翌年からずっとやっているね。』

バジル
『活動の中心が、演奏からアレクサンダーテクニークのレッスンへと移行したのは、徐々にそうなっていったのでしょうか?それとも意識的にそういう決断をしたタイミングがあったのでしょうか?』

ウルフ
『まちがいなく、意図して行ったよ。

1987年〜1997年に、シュトゥットガルト音大でアレクサンダーテクニークを教えていた。でも、シュトゥットガルト州の財政問題で300人の教員のうち100人の契約を打ち切ることになってしまった。わたしもそのうちのひとりになったのだ。

そのタイミングで、むしろホルンの演奏の仕事に重心を傾ける決断にしても自然ではあったけれど、わたしはそうしなかった。毎週、毎週、週末に合唱団の伴奏でオーケストラで演奏をするような生活に戻りたくもなかったんだ。

だから、10年間続いていたシュトゥットガルト音大での講師職が突然無くなった1997年に、チューリヒ交響楽団も辞めた。もっとアレクサンダーテクニークの勉強をしたいぐらいだったしね。

その時から、いろんな知り合いや友人たちに連絡をするようになり、ブラジルなども含む国内外でワークショップをやるようになり始めた。幸いにもいずれも大変うまくいった。

ブラジルでは、現地の理学療法士が、理学療法士向けのプログラムを作って欲しいと依頼してきて、そうして理学療法士向けの継続発展学習のための学びを提供する仕事がブラジルで続くようになった。スイスに住んでいるくせにフランス語やイタリア語は上手にならなかったけれど、ポルトガル語は勉強に身が入ったよ!

それ以外にも能動的に、アレクサンダーテクニークを教える機会を探した。

1999年には、ある国のプロのオーケストラの全団員にレッスンを提供する仕事を得た。当時その国は社会主義的な政府だったから団員の健康水準の向上に意欲的だったんだ。それが後に、北ドイツ放送交響楽団で同様の仕事をすることにつながった。ハノーバーに友人がいて、その友人が労働者健康福祉局に願書を渡してくれ、北ドイツ放送交響楽団に年に1〜2回行って団員にレッスンを提供することになった。

また、ウィーン放送交響楽団についても同様の仕事をすることになった。』

バジル
『いまウルフさんはご自身のウェブサイトを”The Motion Master”と銘打たれていますが、これはアレクサンダーテクニークだけでなく何か次のフェーズに移行しているということなのでしょうか?』

ウルフ
『これは仕事上の判断だね。このワークへの侮辱を意味していることでは決してなく、でもアレクサンダーテクニークという名称を避けるようにしている。

というのも、ひとが持つ「アレクサンダーテクニーク」という名称に付随した先入観や既成概念があるからだ。ひとは誰しも自分の「引き出し」を使って考えるから、レッスンやワークショップなどをするにあたって「アレクサンダーテクニーク」という名前を出すと、「ああ、知ってるよ。レッスン受けたことがあるから。全部知ってるから別にいいよ」というような態度を誘発してしまいかねない。それが、相手にとっても役立つかもしれない中身を伝えようとするときに障害になるんだ。

だから、”The Motion Master”という名前を使うようにしている。実際、自分の動きをマスターするという点においてアレクサンダーテクニークの中身を表現しているしね。また、聞く耳や興味を持ってもらいやすい。だから有意義な時間を作りやすい。

それで思い出した話がある。

あるときオリンピックにも出場している体操選手とレッスンしていたときに、その選手に「あなたは動きのマスターね!」と言われて、「それはいいな、使わせてくれ!」というきっかけで誕生したネーミングなんだよ。

教えているものが、「動きをマスターすること」と関係しているという印象を持ってもらうことができると、レッスンやワークショップに参加するひとたちにとってこれらのレッスンやワークショップは、参加者がそれぞれに自分の動きをマスターする「場」なんだなと考えてもらえるんじゃないかと感じている。

そういう意味で、モーションマスターというのはアレクサンダーテクニークからの活動形態としての延長であって、わたしは変わらずアレクサンダーテクニーク教師だ。アレクサンダーテクニークという「ラベル」の問題を避けているだけのことなんだよ。』

バジル
『ぼくも、そういうひとがどうしてもしてしまう「ラベル貼り」を微妙に操作して外すように意識しています。人々がぼくというものやぼくの活動内容に「これってこういうものだよね」というラベルを貼りつつあるのを感じる始めると、そこから徐々に、本当に少しづつ自分の発信しているコンテンツの中身や方向性を変えていきます。それで2〜3年経つと、「こういうものだよね」と思われていることがぼくの発信に全然見当たらなくなるようにするんです。もちろん、ラベルを貼られることは避けられないですけれどね。でも、いったんなんらかの形でコミュニケーションが取れたら、それは一方的に本を読まれているだけだとしても、相手にどう思ってもらうかということはこちらから定義できる面があると思います。』

ウルフ
『それはいいね!ひとつのアートだ。気に入ったよ。』

バジル
『 いまウルフさんは、どういった方向に向かっていますか?何か新たな活動の形や中身は浮上してきていますか?』

ウルフ
『この14年間、医療機関と連携して、怪我からの回復、むち打ちなど事故の後遺症からの回復、慢性の腰痛の克服に取り組む患者さんたちとレッスンすることを続けてきた。もう深刻な状況ではなくなっているけれど痛みや不自由さは残っていて、それとどう付き合っていくというカテゴリーの人たちだね。

その14年の経験を通じて、圧倒的にケアやサービスが欠けている領域があると気づき始めたんだ。

それは、プロになりたてのアスリートや、これからプロになりつつあるアマチュアのアスリートたちだ。

このグループに限らず、スポーツにおいてはどんな年齢やジャンルでも怪我は起きる。統計的にもはっきりしている事実だ。

怪我をすると、手術をしたり治療をしたりで医師からのケアを受ける。それが済んだら理学療法などのリハビリがある。そこまでは素晴らしい。でも、治療はやがて「完了した」とみなされることになる。

治療やリハビリが終わりとされた後、アスリートたちは間もなくトレーニングや試合に戻っていくんだけれど、怪我の前の能力は戻っていないのに元通りのトレーニングをすることを当たり前に求められてしまうんだ。

つまり、「医学的な治療の終わり」と「通常のフルトレーニング」の間で、大半の反復的な怪我が起きている。それは、その期間はどう移行すればいいのかを多くのひとが知らずにいるからなんだ。動きについて、あまり理解されていない。

そこを、わたしが埋めることができる。

実際にもうすでにそのための知識の提供は行っていて、7単位10週間のコースを設けている。Sportsmotionmastery.comで詳細はわかるよ。』

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最終回【自己コーチング法を求めて】へ続く
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