【自己コーチング法を求めて】

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わたしのホルン&アレクサンダーテクニークの師匠、ウルフリード・トゥーレさんへインタビュー最終回です。

最終回の今回は、逆インタビュー。ウルフ先生のレッスンについて、生徒のわたしの立場から経験を詳しく話します。

前編はこちら↓
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最終回【自己コーチング法を求めて】

バジル
『ありがとうございます。今回伺いたかったことは全てお訊きすることができました。

もともと今回のインタビューでは、わたしがインタビューするだけでなく、ウルフさんの方からも、あなたのレッスンを受けたぼくの体験談を聞いておきたいという話でした。

何かそのあたりのことで、ぼくに対して質問はありますか?』

ウルフ
『以前くれたことがあるメッセージや、きみもアレクサンダーテクニークの教師になったことを考えると、きみの人生にとってひとつ意味のある出来事だったのかな、と思うのだけれど、そうなのかな?』

バジル
『はい。間違いなくそうです。』

ウルフ
『なぜ、あるいはどのようにして意味のあるものになったのだろう?』

バジル
『ウルフさんのレッスンに初めて行ったのは、2005年10月でした。その前後の数ヶ月間は、ぼくの人生の大きな大きな転換期でした。

ドイツのエッセン芸大に入学したのは2003年。19歳の頃です。

あなたのところに行ったのはそれから2年後だったのですが、大学で習っていた師匠はぼくに不必要なアンブシュアの変更を施し、それによりまったく音が出なくなりました。

それで、とにかくたくさん、猛練習を続けていましたがホルンの面で成果はなく、しかもひどい腰痛に悩むことになりました。

アレクサンダーテクニークに関する本は、すでに何冊か読んでいました。読んでいて、そこに書いてあることがなぜか自分の状況にすごく関わっているように感じてはいました。

少し話が飛びますが、日本で過ごしていた2005年の夏休み、ホルンの状況は全然良くならず、無力感で打ちひしがれていました。それで、夏休みが終わってドイツに戻ったら、学校を退学して引き払って、日本に帰国してホルンを辞めて一般大学に入り直しでもしようと決意しました。かなり落ち込んでいて、抑鬱的な状態になっていました。

いざ、夏休みを終えてドイツに戻って学期初めの最初のレッスンで、ぼくはもう「先生、さよなら。学校やめます。二度と会うことはないでしょう」と告げる気持ちを固めてレッスン室のドアをノックしました。

でも、入室して出てきたのは言葉ではなく、止めどなく流れる涙でした。心が決壊していました。何も言えずに、赤ん坊のように泣きじゃくりました。そんなぼくの様子を見て、先生は「今学期はもう休学して、一旦落ち着け」となだめました。

家へ帰って、少し落ち着いてから、「ドイツを去る前に、やれることは全てやろう」と思いました。それで考えてみたんです。「まだやってないことは何だろう?」って。

すると、すごく興味のあったアレクサンダーテクニークをまだ本気では追求していなかったことに気付きました。エッセンの大学にあったアレクサンダーテクニークのクラスに参加してはいたのですが、そのクラスの先生はダンサーだったので、内容をどうホルンに活かすかが分からずにいたんです。

それで考えました。ドイツにプロのホルン奏者でぼくにアレクサンダーテクニークを教えてくれるひとはいないか?と。探してみると3人ほどそれらしきひとが見つかって、そのうちの2人はぎりぎり通える距離にいたから、メールをしてすぐにレッスンを予約しました。そのうちのひとりが、あなただったというわけです。

もしこれで、手応えやきっかけがなければ、もう本当に最後だと思ってレッスンに行きました。

ちなみに、いまの妻と出会ったのもその時期なので、本当にいろんなことがいっぺんに起きていましたね(笑)』

ウルフ
『ワッハッハ(笑)』

バジル
『ウルフさんとのレッスンの価値を本当に明確に理解するようになったのは、ある意味、エッセン芸大を卒業して日本に戻り、アレクサンダーテクニーク教師になるべくトレーニングを始めてからかもしれません。』

ウルフ
『それは興味深いね。レッスンを受けた頃は理解していなかったけれど専門的に学ぶようになってから分かったことは何なんだい?言い換えると、あのときもっとどう習っていたら、どんな説明をされていたらよかったのかな?』

バジル
『‥‥うーん‥でも、実際レッスンを受け続けたわけですから、あの一回目のレッスンはその後も続けることにしたという点において完璧だったと思います。』

ウルフ
『ワッハッハ!いまのを聞けてよかったよ!完璧じゃなくもっと良いレッスンにすることはできたと思うんだけれど、君がそう言ってくれてとてもハッピーだよ!』

バジル
『2回目のレッスンのとき、確か北ドイツへ移動する途中に家に寄ってくれて、夜中の23時くらいにレッスンしてくれたんです。

まだ一回目のレッスンの意味や中身を理解しきっていなかったので、疑っていたわけではないのですが、どのようにレッスンを受けたらいいのか分からず戸惑っていた面がありました。すると、あなたはちょっと説得してくれたといいますか、レッスンを続けるべきだと言ったんだったと思います。

それをきっかけに、ぼくは自分の中にある最大の疑問を言葉にし、あなたと共有しました。あなたに対する疑念ということではなく、ホルンを演奏することに関する大きな大きな疑問です。

いまでもそうなのですが、探し求めていたのは、自分が到達したいレベルまで上達していけるような「自己コーチングの方法論」のようなものでした。

それまで受けてきたホルンのレッスンというのは、決してそのレッスンの中身が悪いというわけではないのですが、レッスンとレッスンの間でどうすれば自分は上達していけるか、ということについて全く分からないままだったんです。

練習と上達の間に相関性も見出せなかったし、誰もわたしが抱えていた疑問を受け止めてくれるひともいませんでした。

その深い問いを言葉にしたら、ウルフさんあなたは「なるほど、何を悩んでいるのかわかったぞ」というような表情をしました。そして、あるエクササイズを教えてくれました。

ナイジェル・ダウニングから教わったものだとあなたは言っていましたが(訳注:詳しくはこちら『息と唇のダブルパラメーター・エクササイズ』)、そのエクササイズがきっかけとなってぼくの演奏技術がいくつもの領域で進展し始めるようになりました。

こうやって、2回目のレッスンでは自分の疑問を言語化できて、それに対して提案をもらえたからだと思うんですが、1回目のレッスンより納得性が高かったです。1回目のレッスンも劇的な効果だったのですが。』

ウルフ
『素晴らしいね。わたしもよく覚えているんだ。1回目のレッスンで会ったときのことをね。

多くの金管楽器プレイヤーが、本能的に楽器の演奏の仕方を分かってはいるんだけれど「金管楽器を演奏するうえでの、物理的なメカニクスは何なのか?」という問いを立てることがないのだと思う。息の流れはどうなっているのか、唇のアパチュアはどうなっているのか、唇はどれぐらい振動するのか、といったことを視覚的にイメージしない。

君に関しても、ホルンを演奏するときに、物事がどうなっているのかという視覚的イメージがあまり明確でないのかな、という印象を受けたのを覚えている。

それにしても今日聞いた1回目のレッスンの中身、2回目のレッスンのこと、どちらも知ってとても嬉しいよ!

1回目のレッスンが、ああいう形で「完璧」だったというのを聞いて、余計なことを言わないことの価値を思い出さされたね。』

バジル
『実際、1回目のレッスンでウルフさんあなたはあまり話をしませんでしたよ。実のところ、何も教わってないような気持ちになってけっこう不満だったところもありました(笑)、1回目のレッスンの後は。それでも、そのレッスンの中で起きたこと・効果は確かなもので鮮烈なものだったから。

いまおっしゃっていた、「物理的メカニクスに関する視覚的イメージ」については、メカニクスに関する誤った情報があまりにも多いからでしょうが、高校生の頃から半ば意図的に、「考えない」ようにしていった面がありました。』

ウルフ
『誤ったイメージは混乱につながるからね。』

バジル
『これはアレクサンダーテクニークから派生した「ボディマッピング」の考え方で説明が付きますが、「わたしたちは身体についての自らの考えに則って身体を動かす」といえる面があるとすれば、誤ったイメージじ基づき悪い結果が伴うよりは何も考えない方がマシでしたからね。』

ウルフ
『そう思う。』

バジル
『アレクサンダーテクニークにおける手技を使ってくれたのは、やっと3回目のレッスンになってからだったと思いますよ』

ウルフ
『本当に!?そりゃ素晴らしい!』

バジル
『しかも、それもカイロプラクティックの方の手技だったのか、アレクサンダーテクニークの売りのあの柔らかい気持ち良いタッチではなく、一瞬の激痛を伴うものでした(笑)。そのあとのレッスンでも、いわゆるアレクサンダーテクニークっぽい手技は一度もなかったんじゃないかな。

同じ時期に習い始めたもうひとりのホルン奏者のアレクサンダーテクニーク教師の方とのレッスンでは、対照的にたくさん手技を使い、身体の使い方に関していろんなことを教えてくれていました。でも、これはその先生に対する批判や否定的な意見ではないのですが、その先生に依存するというか、結局「自分が自分をいかに導くのか」は見えてこないように感じてレッスンに行かなくなりました。その先生は、キャリントン系のスクールと、マクドナルド系のスクールの両方でトレーニングした方だったと思います。

あなたは、キャリントン系ののちにドン・ウィードのトレーニングを受けなおしていて、そのドン・ウィードはマージョリー・バーストウの流れですよね。

振り返ってみると、初めから複数の流派・タイプのアレクサンダーテクニークのレッスンに触れたのが、その中から自分が求めているものを選ぶことができる幸運につながったのだと思います。自分も専門のトレーニングを受ける頃にはアレクサンダーテクニークの世界の主な3つの流派に触れていた。特にcおのちがいを意識することはなく。

アレクサンダーテクニークの世界の政治には全く興味がないし、そもそもアレクサンダーテクニークの世界にも政治があるなんて知る由もありませんでしたが、自分の触れてきたもの中から、自分が求めるものはこれだ、と選んでいったわけですね。ぼくがトレーニングを受けたBodyChanceも、バーストウの流れにある学校です。』

ウルフ
『素晴らしいことを聞けたよ。本当にありがとう!また遠からず、会えるといいね。』

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