基礎を固めるつもりで、身体を硬めていないか?

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『基礎を固める』 という言い方があります。ごく当たり前に使われる、何ということもない言葉に感じます。

しかしこの言い方は、練習=演奏をするひとが自分が望む演奏を実現する力を身に付け、伸ばしていく作業を表現するものとしては、実は不適切な比喩表現ではないかと思います。

この記事では、その代わりとなる、よりよい考え方と言葉の使い方を探ります。

【基礎って?固めるって?】

『基礎』という言葉。辞書に拠ると、まずは「物事が成立する際に基本となるもの」とあります。

そして「建築物の重量を支え、安定させるために設ける最深部の構造」とあります。

同じように、『基本』という言葉を辞書で調べると、「物事が成り立つためによりどころとなるおおもと」とあります。

「よりどころ」とはどういう意味か。「たよるところ。ささえとなるもの」とあります。

こうして調べてみると、『基礎』ということばに、

・支え
・安定
・よりどころ

といった意味合いを誰しも感じているであろうことが見えてきます。

基礎を固めるということは、それを固めるということです。

『固める』には

・柔軟なものを変形しにくいものに変える
・寄せる、まとめる
・不安定なものを安定させる
・外部からの力に侵されないように備える
・状態を保つ

といった意味合いがあります。

【基礎を固めることで下手になっていった…なんで!?】

実はわたしは、『基礎を固める』という発想で練習や勉強に取り組むと、

まず、身体が硬くなり、
→練習や勉強から、理解や進歩の手応えが失われ、
→それをカバーするためにとにかく「もっと頑張って」
→疲弊し身体や心の調子を崩す

という悪循環にはまりこむことがよくありました。

そして、レッスン活動の経験の数と多様性が増すにつれて、同じような悪循環に苦しみ悩んでいるひとが一定数いることに気付かされました。

これは、『基礎を固める』ことをやろうとしても、うまくいかなかったり逆効果だったりするひとたちにとって、『基礎を固める』という言葉の表現から感じていること、得る発想がおそらく同じであることを意味しています。

それは、

1:何かを動かないようにすることで
2:何も考えずに自動的にできるように
3:ひたすら回数を重ねる

というような発想です。

この発想に基づいて実際には何をするかというと、だいたいつぎのような流れになります。

身体をなるべく動かさないようにしようとして、身体を力ませる

うまくいかない

恐れや焦りから、絶対的な「正解」を探し求め始める

変化を嫌がり、思考停止する

変化や実験を排除していて、身体を固めているので停滞する

焦る

ひたすら繰り返せばそのうちうまくいく、と練習量にすがる

疲れる、硬くなる、パフォーマンスが下がる

さあ、これをお読みのあなたにも当てはまるでしょうか?あるいは、身の回りの誰かがこれに陥っていないでしょうか?

・もしあてはまるなら、さらに読み進めてください。脱『基礎を固める』式の練習モデルを説明します。

・もしあなたが楽器や歌の指導、あるいは部活の顧問をされているならば、一部の伸び悩む生徒さんの助けになる考え方がありますので、ぜひ読み進めてください。

【練習の作業に介在しているべき二つのポイント】

演奏の技術や知識を身に付け伸ばしていくうえでは、

①自分以外の外の世界への働きかけ
②やっていること自体への興味・好奇心・快感

がその取り組みに介在しているかどうかで、

・成長の過程が楽しめるかどうか
・継続的かつ長期的な成長ができるかどうか
・向上心と努力が自発的かつ長期的に継続するかどうか

が決まってきます。

この2点を、赤ちゃんが歩けるようになるその過程を例に見ていきましょう。

わたしたちは歩くことができます。

ところで、忘れがちですが、実は「歩く」という能力は訓練によって身につけた技術なのです。

そんなことすっかり忘れて、歩くことをまったく意識しなくてもできるという点において「歩く」ことの基礎はとてもよく固まっていると、言えるでしょう。

では、歩くことを、『基礎を固めよう』と歯を食いしばるように頑張って努力して身につけたように感じていますか?おそらくそんなことはありませんね。

それは、歩く技術を身に付ける過程に、上記の①と②がちゃんと介在していたからだと思うのです。

まず言える事は、わたしたちはみな、「歩きたがった」ということです。

それは、興味を引いたモノを手に取ってみようとする欲求であったり、お母さんのところに行きたいという欲求であったり、です。

つまり、①自分以外の外の世界への働きかけ が「歩こう」とする動きを起こしているのです。「歩くぞ」と思っているわけではありません。考えていることは、外界に対して何かしたかったり、外界から何かを得たかったりするようなことなのです。

同時に、赤ちゃんは自らの身体を動かすことそれ自体に興味、好奇心、欲求があるようです。

もちろん、意識的に考えてやっているわけではありませんが、身体を動かしたくなっていて、動かしていると気持ちいいのです。②やっていること自体への興味・好奇心・快感 ですね。

自分が実現したい演奏を実際に遂行する力を形成・獲得し、伸ばしていく歩み。それが『練習』なのですが、では『基礎を固める』ことに固執する代わりに、赤ちゃんを参考にして

①自分以外の外の世界への働きかけ
②やっていること自体への興味・好奇心・快感

がそろう練習のやり方を考えてみましょう。

【練習の道筋】

①何を奏でたいか

「きょう・いま・ここ」で、何を奏でたいか。

これが練習のスタート地点です。

朝、まだしっかり目が覚めてなくて、身体も起きていない状態だと、あまり高度で激しいものを演奏するのはしんどく感じるかもしれません。

そこで、ウォーミングアップや基礎練習をすることを選択する のです。

ウォーミングアップしないといけないから、ウォーミングアップするべきだから、基礎が大事だから、ではありません。ウォーミングアップをしたいからするのです。

場合によってはたった1〜2分、ちょっと音を鳴らしたり声を出したりしているうちに、頭が冴えてきて、身体も動きやすくなり、いきなり難しい曲も演奏してみたくなってくるかもしれません。

そうなってきたら、そうすればよいのです。

いつもより少ない準備や、いつも辿る道筋とは異なる感覚で「難しい」と感じていたフレーズを演奏するのは、それはそれで新鮮な体験になります。そのときに、結果は完璧でなくても、良い意味で予想を裏切る意外な手応えが得られることもあるでしょう。

理屈と批判的な客観性で作った「練習メニュー」を、グッと息を止め、辛さとつまらなさをこらえながら消化していく….

「基礎固め」という言葉そんな状況を正当化してしまいがちです。

「きょう・いま・ここ」で、何を奏でたいか? という自分で自分に問うことを始めてみましょう。

「きょう・いま・ここ」で、何を奏でたいか。それを大切にしてください。赤ちゃんのように、やっていること自体に面白さと快感を感じることができます。

②誰のために、どこで奏でたいか

何を奏でたいかに、ということに密接に関係するのですが、

・誰のために
・どこで

何を奏でたいかも自分で自分に問いかけるようにしてみましょう。

これはあがり症を乗り越えることにも非常に役立ちます。演奏が「他者に捧げるもの」として行われるからです。それはうまくいくかどうかという心配や人から悪く思われるかもしれないという恐怖を解消してくれます。

その理由について詳しくは、ブログカテゴリー「不安と緊張の対処法」をご参照ください。たくさんの参考になる記事があります。

③動いてなんぼ!身体は動くもの。動いていいんだ。

基礎を固める、という言語表現から「身体を硬くする」ことにつながりやすいことは先に述べましたが、それ以外にも、音楽の世界では

動くことは、不安定なこと。だから悪いこと。

動かないのは安定していること。だから良いこと。

という考えになってしまいがちです。

しかし、

楽器演奏は身体を動かす事で成り立っている

のが現実です。

・声帯を動かすこと
・胸やお腹の動きで空気を動かすこと
・唇や舌を動かすこと
・指を動かすこと
・腕を動かすこと
・キーやレバーを動かすこと

などなどにより声や音を生み出しています。

また、

・背骨の曲げ伸ばしやひねりを使う
・首や頭の動きを使う
・楽器の動きを使う

ことなどで演奏技術を成立させ、維持しています。

数え上げていけばきりがないほど、音を生み出し変化させコントロールするためには絶対に必要な動きだらけです。

【動くことに対して前向きになろう】

音楽を実際に音として物理的にこの世界に響き渡らせているのは、身体運動であり、わたしたち音楽をするひとは、「生み出したい音楽」に関連づけて、無数に細かい種類の運動能力をひとつひとつ形成し、選択し、洗練させているのです。
非常に洗練された演奏者を見ていると、あまり動いていないように見えることがあります。

ですが実際は、動いていてもそれが自然で効率的なので「動いている」という印象を持ちにくいだけのことがあります。

あるいは、初心者より、動きが洗練されているので動きの幅が少ないから動いていない気がするものの、量が少ないだけで確かに動いていることもあります。この場合、動かなければいけないのです。

「動かないのが良いことだ」という誤解は、生徒さんの発達段階や個性や状況を全く考えずに十把一絡げに「動くな」「動き過ぎだ」「固定しろ」という指示や指摘になってしまうのかもしれません。

この誤解を解消すると、名人たちもたくさん動いていることが見えてきます。

また、見た目の動きの少なさは洗練の結果であり、過程においての動きの多さは必要不可欠であることもわかってきます。

上達のためには、動くことは必要不可欠であり、動かさないように固定するという発想は多くの場合、むしろ上達の妨げになりがちです。

自分に対しても、他者に対しても、動くことを許し、推奨し、応援しましょう。

Basil Kritzer

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基礎を固めるつもりで、身体を硬めていないか?」への3件のフィードバック

  1. いつも読ませていただきながら、自分へフィードバックしています。本番中にバジル先生の言葉を思い出して上手く行ったことも何度か。
    動く動かない、についてですが、フリードマンのマスタークラスを聴講していたことろ、難関のソナタを身体全体を揺すって一見自由に吹いていた音大生に、体を動かすな。目をつぶって聴けば体のゆすりなんか意味がない、と指摘していました。そのココロは、あなたはブレスと発音、スライディング、楽器の持ち方など基礎が全然できていないから、体の動きはそういうところを邪魔する、ということでした。
    (その音大生の師匠が最前列に陣取って聴講していたので、その先生にはなかなか手厳しかったとおもいます)
    実はフリードマンは大きくはないですが、そこそこ動いています。これはバジル先生の記事の後半に繋がるなぁ、とあらためて思いを深くしました。

    • じゅにさん

      わたしだったら、ゆすりをやっていたとして、

      ・そのゆすりが演奏の妨げになっているか否か
      ・何をしようとしてそのゆすりを行っているか
      ・そのしようとしていることを充足するより良い動きはないか

      を探究しますね!

      テクニックはすべて運動であり、安定や固定も運動の組み合わせで生み出すものですから、『動かない』『動くのは悪い』というニュアンスやコンテクストは一切作らずに考えを作っていきます。

      Basil

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