危険で陰鬱な洞窟の歩き方を知っている人が懐中電灯を持って現れた

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前回の投稿『いったいどうやったら継続的に「上達」できるのか』で、わたしがどのようにしてアレクサンダー・テクニークに出会い、ホルン演奏に取り入れている師を見つけ、自分自身でそれを学んでいく歩みを踏み出したかをお話ししました。

2005年の夏、ロンドンでピップ・イーストップ先生のレッスンを受けたのがその第一歩だったわけですが、2日間のレッスンだけではもちろん始まりに過ぎず、まだ自分の力で歩みを続けることができませんでした。

【プライドも自信も全部崩壊した先に….】

イーストップ先生のレッスンの後、夏休みを日本で過ごしました。

その夏休みの間、イーストップ先生から教わったことが時々非常に可能性を感じさせてくれることもありましたが、まだまだ理解も自信も伴っていません。そのため、自分の進捗にどんどん焦りが募りました。

焦りと絶望のまま、秋になってドイツに戻り新学期が始まりました。新学期最初のロイド先生とのレッスンの頃には、わたしは音大生・演奏家としての自分の将来をすっかり悲観し、一切の自信も希望も失っていました。

頭の中で、

「ロイド先生とのレッスンのときに、もう学校を辞めることを伝えよう」

と思い詰めて決心していました。

いざ、レッスン室に入ったとき、わたしは学校を辞めると言いかけたところで自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れ、ほとんど何も言えずに泣き崩れてしまいました。

ロイド先生は、わたしのことを少し落ち着けたあと、精神状態が不安定だから今学期は休学して気楽に過ごしながらレッスンやアンサンブルには来たらどうかと提案してくれました。

この提案で少し気がラクになりました。一学期ほど休学して(ドイツの大学ではかなり普通のことでした)、まだ何も変わらないならやめればいいか、と思い、「もう自力では無理だ」ということを完全に認められたからだと思うのですが、学校生活のプレッシャーからも一旦自由になりました。

実際には休学せずにこの秋学期も学校に通うことにはなったのですが、ロンドンのイーストップ先生とのレッスンで感じた希望を思い出し、ドイツでアレクサンダー・テクニークが教えられる金管楽器奏者はいないだろうか、と探し始めました。

辞める前に、学校を休学している間にできることをすべてやろう、と思ったのです。わたしにとって、最後にまだやっていなかったことが、自分が一番学びたいこと・一番欲しい助けを与えてくれるかもしれない師に継続的に学ぶことでした。

【ホルン奏者のアレクサンダー・テクニーク教師を見つけた】

インターネットで色々と探しましたが、中々見つかりません。

そこでいくつか見つけたドイツのアレクサンダー・テクニーク教師養成学校に、メールを出して情報を求めました。

「金管楽器奏者の教師はいませんか?」

とあちこちに問い合わせてみたのです。卒業生のリストなどにあるかもしれないと思ったからです。

すると、いくつかの学校から親切にメールが返ってきました。

驚いた事にドイツ全土で2005年当時、三人のプロのホルン奏者がアレクサンダー・テクニーク教師の資格を持っていることが分かり、それぞれの連絡先が分かりました。

そのうちのひとりでまず最初にレッスンに行ったのが、今回この記事に登場するルネー・アレン先生です。

さっそく連絡をとってアレン先生にレッスンをお願いし、2時間かけてアーヘンという小さく美しい明るい雰囲気を持った古都まで行きました。

ルネー・アレン先生はカナダ人の女性ホルン奏者で、マインツ交響楽団やシュテュットガルト州立歌劇場管弦楽団などの団員を経て、古楽器/現代音楽を主な活躍の場として、パリ/ケルン/オランダ/ベルギーで活動しているという奏者でした。

ナチュラルホルンの演奏家としてヨーロッパでは知られている方です。

在学していた大学でもいちおうアレクサンダー・テクニークの授業が選択できたのでそちらでアレクサンダー・テクニークを体験してはいました。

しかし、その先生はダンサーで、しかもかなり前衛的な授業で、さらにドイツ語ですから細かいところはよく分からず、また楽器演奏の仕組みや練習にどう具体的に活かしたらいいのか分からないままでした。

一方、アーヘンでアレン先生のお宅に伺って始まったレッスンでは、先生はカナダ人でしたから自由に英語で質問できたし、何より「アレクサンダー・テクニークを自分のホルン演奏の礎にしたい」という私の気持ちをよく理解してくださいました。

何年も探し求めていた「自分の道」が突如として見えて来た感じがしました。

【危険で暗い洞窟を照らして、歩き方を教えてくれる存在】

アレン先生には、楽器演奏について一般的に言われている事がいったいどれだけ正しいのか。呼吸・姿勢・アンブシュアなどについてよく言われている事や教則本に書いてあることに感じていた疑問などをどんどんぶつけることができました。

上達するとはいったいどういうことなのか?

いったいどういう仕組みやプロセスに基づいて、楽器演奏はうまくなっていくのか?

カラダの使い方は、いったいどうすればいいのか?

それこそ中学生のときから溜め込んできていたたくさんの大きな疑問を、ようやく吐き出す機会が実現したのです。

実は、それが私にとっていちばん大事なことで、いちばん印象に残っていることでもあります。

他者と共有されない疑問は、とても重く心にのしかかるんですね。
ひとりっきりで真っ暗な洞窟をうろうろしているような感覚でした。

そこに、その暗くて先の見えない危険で陰鬱な洞窟の歩き方を知っている人が懐中電灯を持って現れたようなものなのです。

いまでも、アレン先生に最初お会いして、話を始めたときに感じた希望のような感覚には、思い出すと元気づけられます。何回読んでもワクワクするストーリーのような…。

このアレン先生とのレッスンは、2005年〜2006年の1年間と、2008年の半年間の計1年半に亘り重ねました。(途中、中断した理由は次の記事で触れます)。

そのレッスンの数々で学んだ事は、アレクサンダー・テクニークの世界で作られ発展している様々なメンタル&フィジカルのエクササイズを直接ホルンに活かして、実践していくことでした。

また、

「音は、吐いている息で鳴っているから、吐く方の息を意識するのが大事」

そして

「とにかく積極的に息を使い、しっかり胴体と骨盤、脚でその息を支え、押し出し送り出す」

ということを学びました。

振り返ってみると、いまも実践したり共有したりしていることの多くが、アレン先生とのレッスンで初めて実感したり分かったことからスタートしています。

ブレーメン室内管弦楽団の演奏旅行で日本に来られた事もあるそうです。
またぜひいつか来て頂きたいですね。

Basil Kritzer

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危険で陰鬱な洞窟の歩き方を知っている人が懐中電灯を持って現れた」への1件のフィードバック

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