海外でピアノを学ばれている方からメールで受けた質問。そこから続いたやり取りをご本人の許可のもと掲載します。
【質問者】
はじめまして。
もうすぐ、試験を控えております。
以前より本番で、他人にどう思われているか、などととらわれてしまい安定した演奏ができないため、これでは心地よくないということで半年ほど前からいろいろと調べておりましたところ、アレクサンダー・テクニークを知りまして、
今はいま住む海外の街で先生について学んでおります。
体のむだな緊張についてはうまく対処できるようになってまいりましたが、まだまだ舞台の上では気がつけば歯を食いしばってしまっていたりと、難しいです。
今日は舞台前にできることについて伺いたく存じます。
今、いろいろと興味がございまして、スポーツなどの方面からも本番前にできることを調べているのですが、どの方法がより効果的なのか、いまいちよく分かりません。
調べてみたところ、リラックスしながら集中している状態(弛緩集中ともいうらしいです)というものが一番好ましい状態だそうですが・・・
今のところ、使えそうなものは、
- 残像トレーニング
- メソード演技法のリラクゼーション
です。
先生のブログで知りましたアドレナリンサーフィングはぜひ活用してみたいと思います。
しかし、それのみでどっしりと落ち着いていられるか、まだ不安があります。
もうひとつ疑問なのは、先生がおっしゃったように、本番前に集中するトレーニングをするよりも、動きながらアドレナリンを発散させていたほうが良いのですか。
舞台の上では、俳優の方のように、感情豊かに、しかし余裕を持って演奏ができれば、と常々思っております。
お忙しいとは存じますが、何かご助言をいただけましたら幸いでございます。
【バジル】
舞台上での弛緩集中を本気で目指すなら、わたしのように基本的に非常に「あがり」の傾向が強い人間は、舞台上で起き得ること、
たとえば
・失敗する
・格好悪い姿を晒す
・コントロールできなくなる
といった「恐れていること」が仮に起きてしまっても、『それでも自分は大丈夫=次の日からも周りに愛されて健康に幸せに生きていくことができる』という確信を用意して本番に臨むことが決定的に助けになります。
これは、ドキドキしないわけでも、汗をかかないわけでも、ソワソワしないということでもありません。そういったアドレナリンの作用は相変わらずあるし、感じます。震えることもあります。
しかし、恐れていること自体(失敗して人に格好悪いと思われる、など)を直視して、そうなっても自分の生命、人生は脅かされないということに気づき、受け入れることで、「安心・安全」を見出すことができます。
そうすると、身体が硬くならないのです。身体が硬くならないので、アドレナリンによるドキドキや震えがあっても、テクニックは問題なく機能します。
ただし、すぐ恐れを抱いて硬くなりそうにはなります。ですから、繰り返し、「仮に失敗しても、自分は大丈夫」ということを自分自身にリマインドし続けます。
練習の段階から、「仮に失敗したとしても、大丈夫なんだ」という前提で練習に取り組めると尚よいですね。舞台というのは練習でやってきたことが表現される場ですから。
これはわたし自身が自分のいちばん芯のところでやって取り組んでいることです。
悪い意味での緊張をほぐしていく、とても根本的なやり方だと思います。
【質問者】
バジル先生、早速のお返事、大変うれしく存じます。
おっしゃっていること、よく理解できます。
心の底から、たとえ間違えてしまっても私の価値は変わらない、と思うことができなければ、舞台上で演奏前に頭を自由にして・・・などと実行してもいつの間にか体が硬くなっていますから。
体が和らげば緊張も和らぐ、それはもっともですが、やはり要は思考だと存じました。
実は昨日、先生のブログに書いてあった思考の毒抜きを実際に行ってみたら、
いつも曲を始める前に感じていたひやりとした感覚がなくなったように感じました。
私の場合、メンタルトレーニングというよりも心理的に変えていったほうが良いのかもしれません。
今日うかがいたいことは、
1:控え室を出て舞台に上がるまでの微妙な間
2:舞台に上がり、いすに座ってから弾き始めるまで
に、何かほっとできる言葉(キーワード、考えること、)があればよいと存じまして・・・
どうやら、このタイミングで外部にとらわれてしまうような気がいたします。
特にいすに座ってからは、試験ですので試験官の顔を見た後、ゆらいでしまわぬよう何か決まったことを思いたいのですが・・・
以前、舞台で行うことを決め準備万端にしていったつもりなのに、いざいすに座った瞬間あたふたしてしまい、頭を自由にしきれず、背中を下に落とせず、曲にも集中できず・・・と、総合的に崩れてしまった苦い思い出があります。
本番では感覚がどうも違いました。
ですので、何か切り替えられるキーワードなどを作れたら、と存じました。
今のところ候補は、
・自分を信じよう
・好きなものを思い浮かべる
・みな同じ魂(私と観客の関係です)
・自分のペットを思い浮かべる
・ここにいることを、感謝します
それとも、受けにまわるのではなく、この曲を聞かせたい!と攻めて行ったほうが心理的に良いのでしょうか。
上記のものやほかの言葉、あるいはバジル先生が実行していらっしゃるものが
ございましたら、ご教示いただけましたらうれしく存じます
【バジル】
受けに回るか、攻めていくかということでいいますと、効き目があれば、どちらでもいいし両方使ってもいいと思います。
わたしは、前回の本番は「どうなっても絶対大丈夫だから」という声かけを使いました。
失敗したら信頼を失うとか、そういうことに囚われていたからです。
「失敗しても、明日からも幸せで健康な人生は続くんだから大丈夫。力抜いて、しがみつかずに、えいっ!と演奏しよう」
と。
でも次はまた変わるでしょうし、変える必要もあるでしょう。自分自身が時間とともに変化するからです。
いまは(きのうからですが)、「真に自分らしく、自分のそのまんまで、等身大で」と思っています。
技術的にも緊張・無駄や力みが、等身大でなくなる(=ちゃんとやらなきゃ、あんな演奏しなきゃ、こんな演奏であるべき)ような思考から発生していると気がついたからです。
【質問者】
実は、あれから独自に思考の毒抜きを続けている際に、曲を弾くこと以外に大きな不安があることに気がつきました。
どうやら、試験そのものよりも、試験を行う教授陣にたいして不安を抱いているようです。
私は普段ふつうのコンサートでならば予想以上に大胆に振舞うことができるのですが、試験ですとどうしても「評価される、見定められる」立場ですし、
以前、ある教授に言われた「君は年若く入学したから、卒業試験をやり遂げられるか心配だ」(私は飛び級で入学しました)という言葉が今になって
頭の中をちらつき始めています。
当日、動揺せずにうまく対応できるか心配になってきました・・・。
このような場合、思考の毒抜きなど、どのように試験当日まで心のケアをしていけばよろしいですか。
【バジル】
なるほど、教授陣の考えが、ご自身にとって気になっていて不安になっている要因であることに気づかれたのですね。
それは非常に大きな気づきだと思います。よくぞそこまでお一人で気づかれましたね。
教授の「心配だ」という過去の言葉が、とても深く心に入り込んでいるのかもしれません。
また、もしかしたら年長者の心配や不安に敏感なタイプでもあるのかもしれません。
いずれにせよ、大変ポジティブなのは、不安が音楽的なことや技術的なことではなさそうなところです。
一個の音楽人としては、しっかり自分自身で進んでいけるお力をお持ちなのではないでしょうか。
思考の毒抜きのテーマにできそうなのは、例えば
「わたしは卒業試験をやりとげられない←それは本当だろうか?」
「教授はわたしがうまく演奏できるか心配だ←それは本当だろうか?」
「教授はわたしがうまくやりとげられないと思っている←それは本当だろうかだろうか」
といったものがやってみる価値があるかもしれません。
「年若く入学した」これは…….実は褒め言葉ですよね。
【質問者】
お返事ありがとうございます。
さて、思考の毒抜きにつきましては、演奏前日に行ってみましたところ、もうほとんどその恐れがなくなっているように感じました。
それまでずっと1日に一度は思考の毒抜きをいたしておりましたので、それが効果あったのではないかと存じます。
先生がブログに書いていらっしゃるように、演奏している途中に自分で自分を評価しないように芸術に関してのみ集中する練習をしておりました。
舞台に上がる前は、ひたすら体をほぐすことと、感謝をしておりました。これも先生のブログから得たことで、視点を自分ではなく他人に当てたら、どきどきはしましたが、事前に計画したとおりに弾けました。
ここでひとつ新しい質問があります。
先生のブログで本番前は落ち着こうとするのではなく、体を動かしたりして興奮の波に乗って行くのが良いということを知りましたが、緊張には瞑想、深呼吸も良いとほかのサイトで知りました。
しかしこれは、落ち着こうとしているのでは?それとも、落ち着こう、とあせるのが良くないのであって、瞑想や深呼吸自体に問題はないのでしょうか。
【バジル】
実は、
「体を動かして興奮の波にのっていくこと」
「深呼吸すること」
「瞑想すること」
には共通点があります。
いずれも、「余計な思考を流して、『いま・ここ・この瞬間』に自分自身を存在させる」というものです。
じーっとするタイプの瞑想は、興奮レベルが高いときにいきなりするのは難しいでしょう。「体を動かす→深呼吸する→瞑想する」 という順番に活動レベルを静めていくとよいでしょうね。
逆に、本番に向けてはまだあまり緊張や興奮を感じていない段階で 「瞑想する→深呼吸する→体を動かす」 というふうに活動レベルを高めていくのもまた興奮の波にうまくのっていきやすいと思います。
【質問者】
なるほど、つまり過緊張気味のときは静めていき、あまり興奮していないようでしたら(つまりリラックスしすぎている)高めていけば良いということですね。
なんとなく分かってきました。
ところで、活動レベルを静めていくというのは、余分なアドレナリンを発散させるということか、それとも完全に落ち着いてしまっても良いということですか?
まだいまいち分からないことが、舞台上では澄み切っていて凪いだ心でいたほうが良いのか、それともいくらか興奮していたほうが良い演奏ができるのか、ということです。
バジル先生はどう思われますか?
アスリートのメンタルトレーニングでは、気合を入れるのも良いと書いてありましたが、音楽は芸術で、舞台では弱さも哀しみもすべて表現したいところですので、また別の話だとも思えますし・・・
あと、これはほかのサイトで読んだことですが、興奮しすぎていてもよくないし、リラックスしすぎていてもいけないので、自律神経をちょうど良いところまで持っていくのが良いと読みましたが、つまりはそういうことなのでしょうか?
【バジル】
わたしが思うに、そして多くのパフォーマーやアスリートが口にしているように、「心が澄み切って凪いでいる」状態というのは、いわゆる「ゾーン」に入った状態と同じことだと思います。
そして、この「ゾーン」は、落ち着いている状態ではないでしょう。演奏あるいはパフォーマンスのための高められた集中力・フォーカスが働いています。
これは、興奮を抑えて至る状態でも、興奮をやり過ごして至る状態でもなく、興奮を受け止め、通過し、自分の力にしている状態なのではないでしょうか。
そういう境地に行くことは、もちろん深い理解に基づく練習が必要ですが、繰り返し再現可能だと思います。
・演奏する音楽に、これまで良い心で向き合ってきていて
・その音楽のことを理解して親近感を育み(自分の一部になっており)
・自分の力量をよく理解し、自分に不満を持たず平和と愛を育てていて
・聴衆と良好な関係を自分の中で作り上げてきていて
・演奏空間と良好な関係を作ってきている
・演奏することを望んでいる
ことが、「ゾーン」にわたしたちを連れていってくれるのではないでしょうか。
また、こういった要素・バランスを確立するためには、多くのひとにとっては自分と深く向き合うことが必要になりますね。思考の毒抜きはその方法のひとつです。
これらを実現していくのは、基本的には時間がかかると思います。しかし、方向としてとても自然で、ハッピーで、またパフォーマンスの力を高める方向ですからそれに向けて取り組む過程はとても手応えが感じられるものと思います。