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アメリカ在住のヴァイオリン奏者でアレクサンダー・テクニーク教師のジェニファー・ロイグ=フランコリさんご本人に許可を得て、彼女のウェブサイトに掲載された体験談を翻訳しました。(原文:こちら)
✳︎以下、翻訳文✳︎
わたしロイグ=フランコリは先日、学生たちからのレポートを読んでいて非常に明るい気持ちにさせられた。わたしのアレクサンダー・テクニークの授業を履修していた学生たちがそれぞれに得ていた洞察は驚くべきもので彼らはそれを人生、音楽の練習、演奏そして人間関係にも活用していたからだ。
あまりの感銘に、学生たちから掲載の許可を受けて彼らのレポートを一部紹介することにした。わたしのウェブサイトの読者の方々にとっても益するところであると考え方からだ。
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今回は、ヴァイオリンとヴィオラも奏者である Wooram Kwon 氏の 「アレクサンダー・テクニークをオーケストラスタディの練習において実践する」という経験についてとりあげる。以降は、Wooram Kwon 氏の言葉である。
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もうすぐ、オーケストラのオーディションがいくつか控えている。なので、この数日間少し無理をして練習を重ねていた。
しかし、先日のアレクサンダー・テクニークの授業を受講しているなかで、仲間がジェニファー先生のレッスンを受けているところを見学していて、このレッスンで学んだことを活かして自分の練習に応用し、いま自分がそもそも何をしているのかを調べてみることにした。そして、すぐに明らかになったことがあった。
オーディションに向けて練習していたオーケストラスタディー(抜粋箇所)のその音楽を味わい楽しんでいなかったのだ。
その箇所がどのような音楽でどのような意味のものかはすでに勉強してあったし、どのように表現すればいいのかも学んであったのだが、その音楽を愛していなかったのだ。
いつの間にか、オーディションの準備というものは、狙撃の訓練のようなものであり、的の中心を射抜くことで自分が手練れた狙撃手であることを証明するものだと信じ込んでいたようだ。そういう努力だけになっていたように思う。
また、仕事を勝ち取るために、審査員を感心させ満足させることしか望んでいなかった。自分が何を感じているかなんて、全く考えていなかった。自分を音楽に没頭させず、音楽の作り手である自分を完全に無視していた。
わたしはオーケストラスタディの抜粋箇所を、ただ製品のようなものとしてしか扱っていなかった。オーディション本番中の「製品の仕上がり」が大丈夫であれば、自分は満足できるだろう、としか考えていなかった。
これはまったくの間違いだったと思う。なぜなら、そんな製品の仕上がりとか、審査員に感心してもらうとかいったことがわたしがこの愛する楽器を演奏している理由ではないのだから。わたしの人生の生き方として音楽の道を選んだのも、そんな理由からではない。
そこで、わたしはオーディションの準備というものの捉え方を変える努力をすることにした。そのためには特に、抜粋箇所の練習のやり方を変える必要がある。
まず最初に、身体を自由にすることから始めた。何をしていようとも首、関節、骨盤を固めないことを大事にした。
イントネーションの確認、リズムの確立、テンポの安定といったメカニカルな作業はもちろんやる。しかし、その作業において聴覚以外の感覚も活用するよう心がけた。
音楽を、色で視覚化してみたり、音楽の肌触りを感じてみたり、ひとつひとつの音や具体的なリズムの匂いを嗅いでみたりした。コードやリズムパターンの味を味わってみさえした。
不思議な体験だったが、この作業をわたしは楽しんでいた。
そのような過程があったのちに、フレージングやスタイルに取り組んだ。その際、ヴァイオリンとヴィオラの先生は、フレージングやスタイルに関しての「正解」をちゃんと教えてくれてはいたのだが、わたしは自分なりにもう一度探求し自分なりの答えを見つけることを試みた。
特に、フレージングを声にしてみることを繰り返し、身体全体を音楽にかかわらせるようにした。音楽に乗って歩き、踊ってみた。音楽の美しさ、愛、楽しさを、音楽を奏でることで感じるように心がけた。
曲によって、それは簡単にできたり、とても困難だったりしたが、それでも自分のやっていることになんらかのポジティブなつながりを持つよう努力した。
ふとやる気がしなかったり、特定の曲に対して意欲が湧かなかったりしたとき、わたしは、自分に無理をさせたり、練習を押し付けたりしないようにした。でないと、身体も心もストレスを溜め込んでしまうからだ。
また、アレクサンダー・テクニークの授業で話し合った、「定義の保留」についても思い返しながら練習をした。自分の知っていること、知っているつもりのことを「いったん保留」してみるのだ。そうすることで、どれだけよく知っている曲でもなんらかの新しい発見をし、その音楽のなかの何かの素敵さを感じるようにした。
そうしてみると、非常にたくさんの発見があったので、練習日記に記しておいた。
このような取り組み方を何日かしていると、驚くべきことに練習やオーディションに向けた準備さえもが以前よりよっぽど楽しいものになっていた。
抜粋箇所も音楽であるという単純な事実をすっかり忘れていたのだ。音楽とのつながりももっと強くなり、身体全体が音楽を演奏してくれているように感じる。頭でっかちに指と腕でねじ伏せるのではなく。
練習室の中では、同じ時間内に「終わらせる」ことができることの量は、以前より減る。過程がより細やかになり、練習のペースがゆっくりになるからだ。
しかし、同じ練習時間が以前より興味深く、熱中できるものになった。
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以上が、Wooram氏の体験談である。
Wooram氏には、彼のエッセイを公開する許可を頂けたことに感謝申し上げる。わたしにとっては、生徒たちが、最高の師匠として自分自身を見出す様に接するのは非常に心が祝福されるのだ!
心より愛と平和を込めて,
ジェニファー・ロイグ=フランコリ
ジェニファー・ロイグ=フランコリ:
国際的演奏活動を行うヴァイオリン奏者。シンシナティ大学音楽院でアレクサンダー・テクニークを教える。
ウェブサイト:The Art of Freedom 〜Extraordinary Ease for Musicians〜