学生のとき、アンブシュア変えて奏法が分からなくなって焦って練習量に突っ走って結果、身体を痛め、どうにもならなくなり、追い詰められ疲れ果てホルンをやめる決心をした。
決心すると、その日のうちに気が楽になったので、もう別になんにも頑張らずに吹けばいいやと思って、それで吹いてみたら嘘のように気持ちよく、楽で、ちっとも痛くなかった。
そのときの心の充実感は非常に素晴らしいもので、何ヶ月ぶりかに気持ちが晴れた。そんな自分の様子を見ていて、「これからは誰になんと言われようと、ホルン奏者としてキャリアを積めなくても練習だけは毎日自分のためにやろう」と決心した。
思えば、その決心がこれまで10年間のぼくにとってのホルンを吹く理由の根本であり続けた。自分の心を晴れやかにするため。最低でもって前を向くため。底辺の、どん底の力みたいなもの。
今朝、非常に久しぶりに、練習するやる気が起きなかった。練習を始めても、なかなか身体がほぐれないしエンジンがかからない。思考も心も好転しなかった。ふだんは風邪でも練習すれば一瞬元気になるのに。
後で散歩しながらじっくりそのことを観察し、ゆっくり考えていたら、ふと気付いたことがあった。
いまは、この10年間とちがって、ホルンを演奏することを通じて、他者との関わりたいと思っている。他者との関係においてホルンを使ってやりたいことがある。例えば講座などで、ミニコンサート付きでやって欲しいというような依頼があればぜひ応えたいのだ。学びの場に音楽がもっとあって欲しいのだ。
これまでは、底辺の決心の強みが自分を前進させ続けてくれた。でもこれはマイナスをプラスに変えるもの。悪い状況や状態、マイナスやネガティブをスタート地点として前提にしている面がある。
もう、マイナスをプラスになんとかするという大変な動機では身も心もやる気になってくれないのかも。なぜなら、いまはもっと楽しく前向きに、「音楽を通じてやりたいこと」のイメージがあるから。そっちを動機にして、そっちを目的に練習について考え、組み立て、練習を実行すればいいのかもしれない。
そうでないと良い練習はできないところまで変わってきたのかもしれない。暗い時代(もしかしたらある意味思春期?)にケリがついてきてるというか、乗り越えつつあるというか。自分を受け入れつつある、という面もあるのかも。
みなさんは、音楽を通じて何がしたいですか?