趣味で吹奏楽をされている U さんよりご質問をいただきました。
【質問者】
こんにちは、アマチュアで吹奏楽を続けております社会人です。
最近、貴ブログを見つけ、幾つか記事を拝見し、考え方に共感しました。
以下、「歌う、というモード」「想像と創造こそが「基礎」」を読んだ感想と質問です。年末に失礼ですが、お時間のある時にでもご返信していただければ…
私は現在、前者の記事で言う「こう奏でたい!」という具体的な感情が自分の中に少しも見いだせないのが悩みです。
私も、「基礎を固めなきゃ!」「正確に演奏しなきゃ!」という思いがいつも先行しており、記事を読んでハッとさせられました。しかし、同時に、私には「こう奏でたい!」が無く、自分には音楽性が無いのかな…と思いました。
当方は、文化部で一番人数が多いから、という理由で吹奏楽を始めました。それまではJ-POPすら聴かないくらい音楽には興味なしでしたから、本当に偶然の出会いです。だから初心なんてものも有りません。
でも、先生に怒鳴られたり、先輩が上手な人だけをえこひいきしたり、本番で大失敗したり、嫌な思いをしつつも何故か惹かれるものが有って続けています。でもそれが何か、自分でも分かりません。
勿論、自分なりに努力して何かを見出そうとしました。例えばプロの演奏を聴き比べるとか。でも、匿名でないとこんな事言えないぐらい恥ずかしい事ですが、正直、数分もすると集中力が切れ、すぐ飽きてきてしまうのです。
「こう演奏したい!」は無いけど、何となく演奏がしたい…「それなら辞めてしまえば?」と言われても致し方有りません。それでも、辞めたくないのは確かなのです。
こんな私に、何かアドバイスをいただければ幸いです。
【バジル】
吹奏楽をすることが、Uさんにとって揺るぎなく「好き」なことで、大事なことであることがよく伝わってきます。
「なんとなく演奏がしたい」
これは素晴らしいことだと思います。等身大ですし、自然です。
もしかしたら、吹奏楽の合奏がとにかく好きなのかもしれないのではないでしょうか?
個人練習や基礎練習で行き詰まるのは、それが原因かもしれません。
もしかしたら、なるべくたくさんの時間を合奏練習への参加に使う(個人練習の時間を削ってでも!)ことが、Uさんにとってはいちばん自然で、楽しくて、楽器もうまくなる道なのかもしれません。そういうことは、普通にあることです。
どうでしょうか?
【質問者】
こんにちは、ご返信いただきありがとうございます!
仰る通り合奏は好きですし、個人練習も基礎練習も好きです。アンサンブルも好きです。
言葉足らずで申し訳ございませんが、何が行き詰まっているかと言いますと、
どの規模で吹いても、基礎練習でも曲でも、
・運指を覚える
・音を当てる
・アーティキュレーションを正確に吹く
というノルマをこなす
(誰かと合わせる時は、加えて、
・他の人の音を聴きながら吹ける
・指揮者の指摘通りに吹ける
というノルマをこなす)に終始しているのが現状で、やりたい事を自発的に考えられないのです。
むしろノルマをこなすことだけに興味があり、やりたいのかもしれません。典型的な良い子ちゃんタイプだと思います。
もしかすると、想像力を持ちたいと思うのも、私にとっては新しいノルマでしかないなのかもしれません。何だか書いている内にこういう価値観しかない自分が嫌になってきました。
ちょっと話が大きくなってしまいましたが、今行き詰まっていることは、「自発的に音楽の演奏でやりたい事を見つける方法」だと思います。
【バジル】
Uさん
ノルマとして挙げられたことはいずれも、
『音楽を奏でたいように奏でるために、自分がやりたいこと』
の範疇に入るものだと私は思い、感じるのですがいかがでしょうか?
やりたい音楽の構成要素であり、やりたい音楽の実現へのステップですよね。
そして、ノルマでない理由は、それらをやる義務はないということです。
できるかできないかと関係なく、それらはやりたいことだからチャレンジすること、なのです。
挙げておられることはいずれも、自発的に望んでいることのように思えます。
それを「ノルマ」であり、「やらねばならないこと」「義務」「最低限のこと」を解釈することで何かずれているのかもしれません。
いかがでしょうか?
【質問者】
ご返信ありがとうございます。
確かに、自発的にしていることなのは、ご推測いただいた通りです。「自分にも、自発的にやっていることが有る」ということが、分かり少しポジティブになれました。
しかし、自発的といえど、上記の事は正確さにのみ関係しており、バジル様の仰る想像とか創造としては成り立っていないと思います。本文にある通り、どう歌うかを考えられたら、と思います。
実は最初の質問をした昨晩から、ずっと自分が音楽な好きな理由を考えていて、その中で少し道筋が見いだせたかもしれません。
「プロの演奏を聴いてもすぐ飽きる」とは書きましたが、音楽を聴く事自体は好きなのです。
ただ、ハッピーエンドじゃない曲、そもそも吹奏楽じゃない曲などなど、普段演奏する機会の無い曲ばかり。
ここ数年は、演奏する曲や楽器への理解を深めなきゃいけない!と、好きな曲を聴くのをすっかり止めてしまいました。(別に嫌いな曲ではないのですが。)
でも今、好きな曲の好きな部分を思い出して、その効果を真似してみたいな、と思いました。これって第一歩ですよね?
好きなものに触れる時間を長くして答えが得られたのなら、「自然で、楽しくて、楽器もうまくなる道」は仰る通り、これかもしれません。
実際、どう吹けばそれが再現されるのか、まださっぱり分かりませんし、与えられた曲に合わない効果である事も多いと思うのですが、そこら辺の解決方法は、まずは自分で探ろうと思います。
とにかく、記事を読み、相談に乗っていただいたことがきっかけで一歩前進できた気がするので、大変感謝しております。ご感想だけでも返信いただければ幸いです。
ありがとうございました。
【バジル】
なるほど、Uさんが挙げておられた
・運指を覚える
・音を当てる
・アーティキュレーションを正確に吹く、
・他の人の音を聴きながら吹ける
・指揮者の指摘通りに吹ける
というのを創造性と切り離して考えておられるのですね。
だとすると、もちろんしんどくなると思います。
これらは、ひとつひとつが(つくりたいものをつくる)創造のツールです。
そしてひとつひとつがツールそれ自体としても創造的で芸術的なものなのです。
音楽のツールの楽器それ自体が芸術作品であり創造性を発揮されて作られているように。
そして、義務感のまま音楽を聴こうとして、それで感動や楽しみを覚えない自分自身に接していたのも、
「音楽をしたい」という気持ちが無いのではないか、と自分自身を疑う理由になったわけですね。
わたしも、そして多くの音大生も、実は音楽大学に入ってしばらくすると、たのしみとして音楽を聴かなくなったり
以前ものすごく感動していた曲にも感動を感じなくなったりします。そしてそんな自分に愕然とするものです。
しかし、後々わかってきたのですが、それは音楽を生活や人生の大切な一部として組み込むことができたからこその変化だと思うのです。
いわば、初々しい恋から、地に足がついた愛に変わったというか。その変化をネガティブに感じてしまうことがあるみたいです。
好きな時に、好きなものを、好きなだけ。
それで良いわけです。
大事なのは、これは常に移り変わっていくものであり、毎日新鮮にそれを改めて「問いかける」ことだと思うのです。
【質問者】
成程、私が自発的にしていたことも、創造だったのですね。
自分の今までを否定する必要はないのですね。
前向きな理由や目標に昇華して、今までの事も続けていけたらと思います。
音大生でも、感じ方が変わるんですね。これには驚きです。
「好きな時に、好きなものを、好きなだけ。」
長い目で見れば、確かに私にとっても音楽の好きな部分は移り変わっていっていますね。以前のマイブームにまた戻ってくることも有ります。義務に囚われず、新鮮に感じるものや、良いと思った部分を無視しないで長く続けていきたいと思います。
周りを見渡しても、私が感じていたことを感じる方は少なく無いと思います。
目上の方に相談しにくい風潮も根強いので、是非共有して下さい。
この度は誠にありがとうございました。
こんにちは。ユーフォニウムを吹いている高校生です。いつもブログを拝見させていただいております。
ずっと悩んでいることに何かアドバイスを頂きたくコメントしました。
中学のころは起こらなかったのですが高校に入ってから急に、チューニングB♭の下のFからlowB♭までの間の音を吹くとき、口が震えてアンブシュアが安定しなくなりました。そのせいでマウスピースでも楽器でも音が震えてしまいます。鏡で見ると、口角が痙攣しているようです。吹いていて震えている状態でアンブシュアはそのままに楽器を離しても震えています。口の筋肉が弱いのでしょうか?何かいい練習法があれば教えていただきたいです。よろしくお願いします。
いちごさま
もしかしたら、「ディストニア」かもしれません。
一度、佐藤拓さんという方(こちらhttp://musik.grupo.jp/profile)に相談してみてください。
お返事ありがとうございます!
一度相談してみます。
バジル先生、たくさんのアドバイスとヒントの詰まったブログ、毎回うなずきながら拝見しております。たくさんのコメントを読むにつれ、みなさん色々と悩みながらも音楽に向き合っておられるのだと感じております。
可能ならば先生にひとつアドバイスをいただきたくコメントいたしました。
私は中学時代を吹奏楽部に在籍して過ごしました。休日も無くとても厳しい練習でしたが、コンクールでは(個人的には好きな表現ではありませんが。)強いと言われる有名校でした。高校入学と同時に反動でやめてしまったのですが、四半世紀が過ぎ、趣味として再開しようとやっと思えるようになり、一年前からレッスンに通い始めました。
楽器を持てば吹く機会を探すもので、吹奏楽団に入団したのですが、なかなかレベルが高く(さらには自分のレベルも低く)演奏会の曲を練習していたのですがきちんと吹けることなく(表現とか解釈以前の話で、リップスラーが上手くできない・細かい音符が指がまわらずタンギングとのタイミングが合わない・高音に当てられないなど技術的な問題で譜面通りに吹けない)で本番を迎えました。
きちんと吹けない状態で本番を迎えたことが、お客様への申し訳ない気持ちでいっぱいです。楽団に入ることが自分のモチベーション維持のためにもいいだろうと思っていたのですが、自分の進歩と楽団のレベルの差を感じて苦しくなっています。
一度退団し、レッスンを続けてレベルアップしてから再入団を考えたほうがいいのしょうか?学校の部活とは違うので団とのマッチングは自己判断しなければならないのですが、どのようなことに注意して判断したらよろしいでしょうか?大のおとなが情けないですがどうかアドバイス宜しくお願いいたします。
ポロおじさんさま
いちばんのストレスが
A:お客さんに対しての申し訳ないという気持ち
B:レベルの高い仲間に対する引け目のようなもの
C:楽団との趣味的/性格的相性のずれ
のうちどれなのかによって、どうずべきかは変わってくると思います。
退団や移籍がよい選択肢になるのは、「C」の場合のみです。
A:お客さんに対しての申し訳ないという気持ち
演奏者の責任は、自分のおかれた状況の範囲内でベストの練習と準備をし、そして本番ではただ演奏することだけです。
生み出された音や音楽は、これは演奏者のものではなく、聴衆が受けとるものであり、それをどう感じるかはほんとうに聴衆ひとりひとりの内面的自由に属する領域です。
ですから、自分ではダメだったと思っていても、聴衆にはとても喜んでいるひとがいるものですし、逆もまた然りです。
なので、演奏者はステージ上では、自己評価も結果の評価などはせず(これは批評家の仕事です)、演奏をすることのみをやっていればそれで 100点満点 なのです。
むしろ、自分の演奏をステージ上で自分が評価していれば、そちらの方が責任を果たしていないとすら言えます。演奏の仕事中に批評の仕事をやり始めたわけですから。
きちんと吹けないという判断は、聴衆がしているわけではなく、ご自身がされています。
なので、それを相手に対して申し訳ない、と思うのは、実はちょっと間違った思い込みかもしれないのです。
間違った思い込みをベースに、せっかく入った楽団をやめるのは、悲しいことではないかな、と思います。
B:レベルの高い仲間に対する引け目のようなもの
楽団の仲間の方が自分より上手い。
これは素敵なことです。
そういう環境にいる方が、どんどん上手になります。
仲間があなたを受け入れてくれているならば、あなたがあなたを拒否して退団してしまっては、やはり悲しいことです。
辛い自己評価のせいで、そういうことになってしまっては、もったいないと思いますし、長い目で見た成長に関しては逆効果だと思います。
C:楽団との趣味的/性格的相性のずれ
この場合は、退団や移籍はぜひ前向きに検討するとよいと思います。
ご自身が
・もっと楽しめる場所
・もっと気がラクな場所
・もっとうまくなれそうな場所
などを探すわけですから、前向きな選択ですね。
バジル先生。
お忙しいなか早速のお返事、大変感謝しております。
Aのお客様、そして演奏に対する考え方は自分の心の中にはないものでした。「完璧」な演奏を目指すあまり「現時点で100%の出来」と割り切り向き合うことができなかったように思います。『将来的にはもっと上手く演奏できるよう練習を続けるけど、今日の時点ではこれが満点!』と思えるよう気持ちを切り替えられたらと思います。
Bについては全くありませんでした。むしろ一番下手なのは自覚の上ですし周りもわかっていることです。恥ずかしいもとも思いません。歳のせいですかね。上手な人の音がたくさん聞けてラッキーだと思っていますし、色々質問もできてありがたいです。こういう環境にいたほうが引っ張り上げられるというか、つられて上達する気がします。入団を決めた理由のひとつはここにあります。ですが、周りのレベルの高さに合わせた選曲ゆえ、自分がついて行けなくなっているという事態を引き起こしているわけですが….。
Cと上記の気持ちとは交錯してしまいますね。今の場所にいれば上達は早いかもしれないけど、しばらくはついていけなくて大変ですから。その反対として「もっと気楽に吹ける場所」に行きたくなることは多々あります。「上手くなりたいなら揉まれなきゃ!」と「趣味なんだから神経すり減らしてまでやるのもなぁ!」の両方です。
長文になってしまいましたが、一番のストレス原因であるお客様への気持ちの持ちようがわかり大変助かりました。本当にありがとうございます。団の継続は二つの気持ちのどちらが大きいのかよく考えて決めたいと思います。ありがとうございました。
ポロおじさんさま
役に立てたようで何よりです。
「完璧主義は前進を阻む怠慢である」
という名言があるのですが、それがよく響く話でもあるかもしれませんね。
上手くなることは、努力や集中力はもちろん要りますが、よくない疲労や摩耗は上手くなるプロセスに含まれるものではないと、わたしは思います。
うまくなるプロセスは、楽しくて、気持ちがよくえ、エネルギーがむしろ高まるものですから (^^)
練習のやり方や、発想の中から、「摩耗」を引き起こす要素を少しづつ減らしていけるとよいかもしれないですね。
このやり取り、ブログで紹介してよいでしょうか?
バジル先生。
返信ありがとうございます。楽器を再開し始めた時の「時間があれば吹きたくてしょうがなかった!」という気持ちから、「楽譜通りに吹いて曲を仕上げていかなければならない!」というノルマに追われるような感覚に変わってしまったことも、今となっては冷静に分析できそうです。
やり取り、どうぞ公開していただいて構いません。私同様、ほかの読者の方のお役に立てれば幸いです。この度はどうもありがとうございました。
ありがとうございます。さっそくブログ記事にいたしました。
ポロおじさんさま
こんにちは。
このやり取りをまとめた記事http://basilkritzer.jp/archives/4224.html を、9月に発売予定の「音楽演奏と音楽指導のためのアレクサンダーテクニーク入門」(学研)に掲載したく思うのですが、ご許可頂けますでしょうか?
突然のことですが、どうぞご検討頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。