決めつけは可能性を奪う / 練習・演奏・指導

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自分に対しても、他人に対しても決めつけは有害です
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・すぐに自分や生徒さんをダメだと決めつけない
・安易に正しい奏法とか良いフォームとかいう話にすがらない
・エライひとの言っていることを自分の考えより自動的に優先しない

自分や生徒さんにしっくりくる上達していける奏法や、いま悩んでいることの解決策を見つけ出していくには、以上のことが大事になってきます。

〜しない、という話ばかりになってしまっていますが、じゃあどうしたらいいのでしょうか?

それは、

じっくり落ち着いて観察する

ことです。

【ブレーキを踏むのをやめる】

レッスンで取組むことのひとつは、『自分のやりたいことに対してマイナスに働いているクセを理解する』ことです。

自分が気づかずにかけていた自分自身へのブレーキから足を話すと、とてもラクになるし、希望が見えてきます。

ブレーキは、身体の動かし方や奏法に関するイメージのこともあれば、自分自身に関する思考や信念であることもあります。

「頑張りすぎ」がブレーキになっていることもあれば、必要な力を使うことを悪いことだと思い込んでいたのがブレーキになっていることもあります。

【ブレーキの発見には、観察あるのみ】

さて、ブレーキを発見するためには『今、自分が何をやっているのか』を知る必要があります。それを知る方法は、ただ一つ。観察です。

レッスンでは、

① 生徒さんが自分自身のやっていることや考えていることを観察することを手伝うとき

② 教師が代わりに観察してフィードバックを与えるとき

③ ブレーキの代わりにアクセルの踏み方を教えることで結果的にブレーキの正体を明らかにするとき

があります。

3番目は、「やりたいことを実現するにはどうしたらいいのか」をダイレクトに考え明らかにすることで、それを阻んでいるブレーキが何なのかが浮かび上がってくるケースがある、ということです。

アクセルを観察することでブレーキが視野に入ってくる、というふうに考えることができますね。

【何かをすることで、やめられることもある】

レッスンでは、生徒さんのアクセルとブレーキを観察するにあたって、いくつもの方法を用います。

〜見る〜
生徒さんがどこをどのように動かしているか、全身の動きを見ています。

〜聴く〜
生徒さんの言っていることや声質、あるいは楽器の音を聞いています

〜知る〜
生徒さんの動き、表情や発言の内容・傾向を観察して、生徒さんの考え方を窺い知ります。

〜感じる〜
視覚や聴覚あるいは雰囲気などから、生徒さんの動きや考え方、感じ方を自分の身体と感覚で感じ取ることもあります。名手の演奏を見ていると、奏法が感覚的に感じ取れるのと同じことです。

これらはいずれも、自分が自分の指導をするとき=普段の演奏や練習の場面でもそのまま用いるものです。レッスンでは、観察するということはどういうことなのか、どういうことが可能なのかを知る・体験することもまた重要な学びです。

これら観察において重要なのは、なるべくバイアスなくただ観察することに徹するです。

【刷り込みから自由になろう】

例えば姿勢。

・良い姿勢=背スジを伸ばす
・悪い姿勢=猫背

ということが、びっくりするほど当たり前に信じられています。

しかし、実際に試してみてもらったら分かりますが、ずっと良い姿勢を保とうと頑張るのと、「猫背もOK」という意識を持って背骨の可動性を使って演奏するのとでは、大抵後者の方が演奏がうまくいきやすいものです。

つまり、自分で試してみて、結果を観察することで、何が自分自身にとって役立ち何がブレーキとなるかを見つけ出していくことができるのです。

しかしそれでも、「良い姿勢」「悪い姿勢」の刷り込みは強烈なものです。

背もたれにもたれていたり、ちょっと猫背気味になっている気がしたりすると、それが実際の演奏に対して助けになっているのか妨げになっているのかを確かめる前に、すぐに

「これではダメ」

と思ってしまうものです。

これは観察をすることなく、良いか悪いかという判断を加えてしまっているとうことです。「良い/悪い」という判断になってしまいます。

有意義な観察のためには、判断を保留してただ観察を続けることが大切です。

【「疑問形」を使いこなす】

姿勢の例で続けます。

背もたれにもたれて座っている自分や生徒さんがいるとします。

もしかしたら、「背もたれにもたれるのはダメ」という判断があなたの中にあらかじめ作られているかもしれません。そして場合によってはその判断こそがブレーキになっていることもあります。

判断を保留して、自分や生徒さんのためのアクセルを見つけだしていくうえで非常に効果的なのが、『疑問形で問いかける思考』です。

・ いま、背中のどのあたりからもたれているかな?
・ いま、背中のどこがどれぐらい椅子に触れているかな?
・ 頭はいま、胴体に対してどうなっているかな?
・ 腕や脚はいま、どういうことをしているかな?
・ 身体はひねっているかな?
・ この体勢で演奏するのは、普段とどうちがうだろうか?どんな感触のちがいがあるだろうか?
Etc…

と様々に問いかけてみるうちに、自分や生徒さんの『いま何をどのようにやっているが段々、なんとなく見えてきます。

それは『ただそうなっている』のであって、それが良いとか悪いとかは実験したり比較したりするまで何もわからないし、判断しなくてよいのです。

そのように判断を保留してただ観察を続けていると、そのうちに何らかの傾向やパターン、関連または因果関係に気が付くようになってきます。

そうすると、色々と推測も付きますし、有意義な分析(=よりよい理解)が得られてきます。

気をつけたいのは、この疑問形思考は、懐疑や疑念ではないということです。

疑問は、よりたくさんの情報、あるいはより大切な情報を得て前に進むためのものです。

一方で懐疑や疑念は、〜はダメだという決め付けが背景にあり、前に進ませまいとするものです。

【ひとりでに生まれる気づき】

するとそのうち、例えば

・ 椅子に座る時に腰を反らせて背スジに力を入れている
・ 座っているうちに頭が落ちて来て上半身が丸まり込んでくる

といったような、何かしらの傾向、クセ、習慣などに気が付くようになってきます

自分や生徒さんのやっていることをこのように認識出来るようになってくると、その傾向やクセの

・存在理由
・必要性の有無

を考えることができます。

これからもそれをやりたいのか、あるいはやめたいのか、選択肢が生まれます。また、なぜそのようなことをやっているのかが理解できていると、自分自身に対しても生徒に対しても共感を持って接することができます。

共感できていると、より抵抗感なく前に進みやすくなります。否定していないからです。真の理解は、否定ではなく共感と選択につながっていきます。

疑問形思考から行う観察

パターンや傾向、因果関係の認識

理解から生まれる共感

抵抗感のない新しい選択

というこのプロセスは、椅子の座り方のみならず、

・ 歩き方
・ 弾き方
・ 吹き方
・ 歌い方
・ 息の吸い方・吐き方
・ 考え方
・ 言葉の選択
・ いま自分が奏でている音
など

いろいろなことを対象に行うことができます。

練習することは、自分が自分の指導者になって自分を前進させることです。

レッスンを受けるのは、前進の術を先生から学び取ることです。

レッスンをするとは、自分が自分を前進させる力を基礎に、それを生徒さんと分かち合うことです。

ぜひ、練習する・レッスンを受ける・レッスンをする それぞれの場面で、

『疑問形思考を活用した観察』

を積極的に問い入れてみてください。

Basil Kritzer

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