先日、あるトランペット奏者がアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けにきて下さいました。
レッスンをしていて、楽器の構え方についてある興味深い現象が起りました。
私たちの動きの仕組みの中に、「頭の動きが、全身の動きのバランスを決めている」というものがあります。(詳しくはこちらから無料冊子をダウンロードして下さい。)
わたしが所属するBodyChanceのレッスンでは、教師はレッスン受講者の頭の動きと、頭と胴体がどう影響し合っているか見ています。それが呼吸、構え、フィンガリングからアンブシュアに至るまで、演奏のあらゆる側面に根本的な影響力を持っているからです。
このトランペット奏者の場合、楽器を構えようとして楽器を口元に持って行くときに、楽器が視界に見えた時点から頭が前へ下へ少し引っ張られ、胴体を少し縮めるという動きが起きていました。
さらによく見ていると、アンブシュアを作る動きのときに、首の筋肉が緊張して頭がちょっとだけ(ほとんど見えない程度に)プルプル震えるのです。
吹くことにする→構える→音を出す
という一連の流れの中で、頭が前へ下へ引っ張られ身体全体が少し圧迫されるという動きが起きているのが、「頭と脊椎の関係」という基本的ポイントからの観察により見られました。
実はこういう緊張や現象は、あることをしているときに特徴的です。それは「感覚のチェックをしている」とき。構えている感じ、アンブシュアの感じ。それらに「問題が無いか」をチェックしているのです。
感覚がOKかどうかは、チェックしようとしまいと実は音を奏でることに関係ありません。
なぜなら、
「こういう音を吹こうと決める」→「吹く」→「吹いた感覚がある」
つまり順番は
「思考」→「動き」→「感覚」
なのです。
構える感覚、アンブシュアの感覚。それらはいずれも、「吹こうと決める」から「音を奏でる」までの一連の動作の中で結果的に発生している感覚です。
結果的に発生しているのなら、感覚はチェックする事では変えられません。ですが「感覚が問題ないかチェックしている」ときは、その感覚の修正をしようと何かしら始めている場合がほとんどです。
感覚を、自分が正しく感じる感覚に修正しようと思ったら、さきほど言ったように何かしら動くしかありません。動かないと感覚は変わりませんから。
すると、音を吹こうとしつつも、それと同時に正しく感じる感覚を得ようと、音を吹く以外の動作が始まります。それが微妙だけれど邪魔な緊張を発生させます。
ちょっと驚きかもしれませんが、吹きたいように吹けるために始めたつもりの「感覚チェック」が、実は吹きたい音を吹くこととは関係のない余計な動き=緊張になるのです。
でも大事なのはここから。じゃあどうしたらいいんだと思いますよね。
そう、阻害要因の仕組みや分析をいくら知ったところで、吹きたいように吹くための具体的な方法が分からないことには役に立ちません。
ではそれは何か。
そもそも、楽器を構えること、あるいはアンブシュアを作ることは、何の為ですか?吹きたい音を奏でるためですよね。
構えることも、アンブシュアを作る事も、その動作の目的は全て一様に「音を奏でるため」なのです。
身体システムにとって、あなたがこのメッセージを教えてあげることはとても重要です。なぜなら、目的がはっきりしないと、身体はどこに楽器をどう構えたらいいかも、アンブシュアをどれぐらいの力を使ってどのように作ったらいいかも、分からなくなってしまうからです。
あなたの仕事は、「身体に仕事を任す」ことです。具体的にどこをどう動かすかは、身体が知っています。ただし、目的が決まっていれば。
ひょっとしたら、「それは天才しかできないことだろ」って思うかもしれませんね。でも実は、「正しい感覚になっているかチェックする」ことの方が、よっぽど難しいのですよ。
なぜなら、肘を正確に何度くらいどちらの方向に曲げたらいいかとか、アンブシュアのどの筋肉に何グラムの力を使ってどれぐらいの速度で筋肉を収縮させたらいいかとか、分かるはずもないでしょう?
そう、それは全部身体が正確にやってくれます。目的に沿って。
感覚チェックは、分かるはずも無い領域に無理に首を突っ込んでいるのみならず、「音を吹く」こととは関係のない作業なのです。そりゃあ、緊張や邪魔が発生します。
大事なのは、「こういう音を奏でよう」という音楽と音のイメージをあなたが身体に送ってあげることです。
すると身体は、
「じゃあそのためには楽器を口元に持って行こう」
「そしたら息を送り上げてあげよう」
「唇をちょうどよく閉じよう」
と与えられたイメージの実現に必要な動きをひとりでに始めます。いまこのブログを読んでいて、眼球をどちらに秒速何センチで動かそうとか思ってないでしょう?ただ興味と関心に導かれて読みたいものを読んでいる結果眼球が動いている。それと同じです。
つまり、
楽器を構えること=奏でたい音のイメージを現実のものにする動きアンブシュアを作る事=奏でたい音のイメージを現実のものにする動きなのです。
感覚チェックをしているということは、楽器を構えるという動作の目的が「構えること」になり、音を奏でることとは無関係になります。アンブシュアを作る目的も「唇を動かすこと」が目的になり音を奏でることと無関係になります。
すると、楽器の構えもアンブシュアも音を奏でることに対しては効率や機能が低下します。
それが、あなたが感じているかもしれない節目節目のぎこちなさや硬さの正体かもしれません。
試しに、ただ奏でたい音と音楽のことを思いながら、楽器を自分に持って来て、唇を閉じて、息を送り上げてみて下さい。
すべての動作の目的を「音を奏でる」ことにしてあげると、技術的に難しいことを考えなくても、厳しくチェックしていなくても、求めていた一体感や響きが生まれるでしょう。
何より大事なのは、それがあなた本来の音色であり、音楽であり、姿勢であり、アンブシュアであることです。きっと真新しさとなじみ深さを両方同時に感じるでしょう。音を吹いてちょっとハッピーになれたら。それが「正しさ」のしるしです。
極めて興味深く読みました。私は声楽ですが、全く同じようにして、声が出る前に感覚を見つめすぎては注意されます。「声が出るまでに時間がかかりすぎる。緊張して変なことを始めている」と。パッと声を出しなさいと。
かといってパッと出すと、雑で乱暴である、と。つまりは、出す前のイメージが大事なのですよね。
つい自分で全てをコントロールしたくなる。でも結局出来ない。自分でコントロールできないものを外に発する事が怖い。
それをやってしまえるようになるには、感覚をコントロールするのではなくて、息が入ってくるイメージや、鼻や目が開いて息が通り抜け続けるイメージを持つことで可能となる。
師匠からの「声を出す、と思うな、声は「出る」もので、あなたは息を吸い込むイメージをもつだけ」というアドバイスを思い出しました。
yoko.kanekoさま
コメントありがとうございます。
わたしは最近ますます、「出したい音そのもののイメージ」が息も唇も声帯も姿勢をも根源的にコントロールしているのではないかと思っています。
「出したい音のイメージ」+「息を骨盤底から吐くという意図」
それだけを考えています。