わたしのアレクサンダーテクニークの恩師、キャシー・マデン先生がこう表現しました。
「パフォーミング・アーティスト(音楽家、俳優、ダンサーetc)の本質は、時間と空間を共有してくれている聴衆・観衆によって『変容させられる』ことを受け入れ、歓迎し、望むことにあるのよ。
そうやって変わることを受け入れているあなたを見て、聴衆・観衆もまた変容するの。それが芸術とクリエイティビティの本質よ。
そして、アレクサンダーテクニーク教師という仕事もまた、『相手によって変容させられる』ことを受け入れることが必要要件なのよ。」
アレクサンダー・テクニークは、ツールです。
管楽器だけのものではないし、音楽家のために始まったものですらありません。
しかし、音楽するひとにはとても役立つツールです。
わたしにとっては、楽器の保持ができなくなってしまうほどの深刻な腰痛から唯一抜け出させてくれた貴重なツールでした。
そして、量、意気込み、根性に依存せずに、限られた時間と体力のなかでも軽やかに前進し成長していくことを支えてくれた最も有効なツールでもあり続けています。
しかし、わたしはアレクサンダー・テクニーク「を」教えることにそこまで興味がありません。
なぜなら、わたしにとって大事でワクワクするのは、アレクサンダー・テクニークというツールを使うことよって可能になる音楽表現だからです。
だから、この音楽表現に寄与するものであれば、アレクサンダー・テクニーク以外のあらゆるツールや知恵にわたしは興味がありますし、どんどん学び、そしてそれをレッスンや講座ではすぐさま取り入れていきます。
メンタルトレーニング、ロルフィング、心理カウンセリング、呼吸法、さまざまな奏法メソッド etc…
そのどれもがそれぞれに役立ってきており、わたしの大切な一部になっています。
しかし、わたしにとってはまだまだ当分、アレクサンダー・テクニークが根幹であり続けるでしょう。
やはり、
・そのひとが持っている力を引き出すこと
・痛みや身体的不調から演奏時に解放されてゆくこと
・長期的に確かに上達を続け自ら発展していく考え方と理解を持つこと
・この世界にもっとすてきな音楽表現が生み出されてくるきっかけになること
において、アレクサンダー・テクニークより有効なものが見つからないからです。
つい先日、ある大学での講座の中で、わたしはアレクサンダー・テクニーク「を」教えなきゃいけないとどこかで思いながらやっていたことに気が付きました。
その間は、講座の中身や雰囲気は悪くないのですが、どこかでもやもやした空気がありました。
しかしその後、もっと個々の演奏の取り組みや課題に寄り添った「マスタークラス」のようなやり方にシフトしたところ、わたし自身がとても活き活きとしてきましたし、何よりその講座に参加していた三十人以上の学生たちもどんどん目がキラキラと輝き始め、質問をしてくれるようになり、様々な学びがとても力強いエネルギーで共有されていきました。
自分がやりたいのはこれなんだな、それに音楽をしているひとが求めているもののもそなんだな、と感じました。
この直感と体験を、大切にしたいなと思います。