*この記事は、私の1500本以上のブログの中の関係記事や700本以上のメルマガの記事をAIに分析させた上で、AIに書かせてみたものです。やはり自分で考えて書く文章とは別物になりますが、実験としてやってみました。
〜ジェイコブズ、イーストップ、トゥーレ、マデン、ロッコをめぐって〜
以下は、私自身が過去に書いた文章や、レッスンについて残してきた記録をもとに、AIがそれらを横断的に分析・整理したものです。したがって、単純な回顧録ではなく、複数の時期に書かれた記述から、現在の私の奏法観がどのように形成されてきたのかを再構成した分析です。
私の現在の金管楽器指導を考えるとき、特に大きな意味を持っている人物が五人います。
アーノルド・ジェイコブズ、
ピップ・イーストップ、
ウルフリード・トゥーレ、
キャシー・マデン、
ロジャー・ロッコ。
ただし、この五人を「五つの奏法を組み合わせて現在の奏法を作った」と考えるのは、あまり正確ではありません。
むしろ、それぞれが異なる時期の私に、異なる種類の問題を開いてくれたと考えたほうが近い。
そして現在になって振り返ると、それらが互いにかなり深いところでつながっていることが見えてきます。
なお、実際の時間軸は、概ね次の順序です。
竹原先生による高校時代の原体験 → アーノルド・ジェイコブズの思想との接触 → ピップ・イーストップ → ウルフリード・トゥーレ → キャシー・マデン → ロジャー・ロッコ
ジェイコブズは、ある年に一度会って転換した相手ではありません。高校時代から思想として先に入っています。イーストップとトゥーレは二〇〇五年、マデンとの集中的な学びは二〇一一年、ロッコのレッスンは二〇二六年です。後から来たものがより本質で、先の人は補助だ、という図にはしません。
1.その前段階にあった「もっとラクに吹きなはれ」
ジェイコブズ以前に、現在の私の奏法観の重要な原体験があります。この人は上記の五人には入りません。しかし抜きにして語ると、後の探究の出発点が消えます。
高校時代、京都の高校の吹奏楽部でホルンを吹いていた私は、竹原先生――当時、大阪市音楽団(現在の大阪シオン・ウィンドオーケストラ)でトランペット奏者を務めていた音楽家――の合奏指導を受けました。
当時の学校ではコンクールに向けて非常に厳しい練習が行われ、金管楽器には「もっと出せ」「もっと気合を入れろ」といった指導が繰り返されていました。その結果、金管セクションは力み、音は荒れ、疲労も蓄積していました。
そこで竹原先生が合奏を止めて言ったのが、
「もっとラク〜に吹きなはれ」
という言葉でした。
半信半疑でやってみると、金管楽器の音は、それまでよりむしろ大きく、美しく、透明で、よくブレンドしました。しかも音程もよく、疲れにくい。
これは、当時の私にとってかなり重大な経験でした。
「良い演奏をするには、ものすごく頑張らなければならない」という、それまで何となく持っていた前提が、実際の演奏によって覆されたからです。
この体験は、後にアーノルド・ジェイコブズの考え方に惹かれ、さらにアレクサンダー・テクニークに関心を持っていく土台の一つになった、と私は後年振り返っています。
ここで重要なのは、これは単なる「脱力」という技術を教わったという話ではないことです。
「頑張ること」と「結果を出すこと」は同じではない。
この身体的・音楽的な実体験が、後の私の探究の出発点の一つになったのだと思います。
2.アーノルド・ジェイコブズ――「身体から音を作る」のではなく、音楽が身体を動かす
その後、高校生の頃から私の中に入ってきたのが、アーノルド・ジェイコブズ(Arnold Jacobs、1915–1998)です。長年シカゴ交響楽団の首席テューバ奏者を務めた、二十世紀を代表する金管楽器奏者・教育者です。
私の場合、ジェイコブズとの出会いは、後の先生たちのような一回の劇的な転換ではありません。高校時代からその考え方に惹かれ、本や伝えられた言葉を通じて、長く参照し続けてきました。
ジェイコブズから私が受け取った最大の転換は、
「身体を操作して音を出すのではなく、まず音楽を思い、その音楽的イメージが身体を動かす」
という方向性です。
これは非常に大きな思想転換でした。
呼吸、アンブシュア、姿勢、舌などを「正しく操作する」ことによって音を作ろうとするのではなく、まず「何を演奏したいのか」がある。
そして身体は、その実現のために働く。
ジェイコブズ自身は生理学や身体について非常に深い知識を持っていました。しかし、だからこそ、その知識を演奏中の操作として使うことには慎重でした。
呼吸の生理を講義したあと、「演奏には使わないので忘れてください」と伝えた、という話が残っています。
私自身も後年、ジェイコブズについて「身体を考えるな」と単純化するのではなく、身体を深く知った上で、演奏の主役を身体知識にしないという逆説として理解するようになりました。
本に書かれた姿勢や呼吸の描写を、文字通りの操作指示としては受け取らない、と書いたのもそのためです。結果としての姿勢を操作しようとすると、緊張が増える。
これは現在の私のレッスン観のかなり中心にあります。
3.ピップ・イーストップ――「先生から正解をもらう」のではなく、自分で自分をコーチする
次に二〇〇五年夏、私がロンドンまで赴いて二日間学んだのが、ピップ・イーストップです。イギリスのホルン奏者であり、アレクサンダー・テクニークの教師資格も持つ人でした。
当時の私はドイツの音大に在学していました。入学後に吹き方を大きくやり直され、音が出にくくなり、練習しても前に進まず、腰と背中を痛めていました。上達したいという意思はある。しかし、何をどう練習すればよいのかが分からない。だめなら退学するつもりで行った、最後の望みに近い出会いでした。
イーストップは最初に「何がしたい?」と聞きました。私が求めたのは秘伝ではなく、うまくなるための原則でした。返ってきたのは、出したい音、音量、発音、跳躍、リップトリルといった分解と、それに対応する四つの練習でした。エチュードは、技術練習としても音楽としても基本的に無駄だ、とも言いました。
しかし、後から考えると、私に残った最大のものは個々の練習メニューではありません。メニューは徹底的すぎて、すぐには使えませんでした。残ったのは、
「自分の問題を自分で分析し、自分で課題を設定し、自分自身をコーチする」
という発想でした。
つまり、先生から「正しい奏法」を受け取って、それを再現するという教師‐生徒関係ではない。
自分自身が、自分の演奏について考え、試し、結果を見て、次の課題を設定する。
これは現在の私の自己コーチング的な考え方につながっています。
ただし、ここには現在の私から見た重要な留保もあります。
分析すること自体が、常に最善なのではありません。
分析は、地図が失われているときの有力な手段です。しかし分析そのものを常時の中心に置けば、別の問題が生じます。分析が目的化してしまうだけでなく、教師側が「この人はこういう問題だ」と分析・分類した瞬間、生徒の経験は教師のカテゴリーに回収され、それ自体が余計な介入になりうるからです。
したがって現在の私は、イーストップから「分析する」という技法そのものを永久的な中心原理として残したというより、
「自分で考え、自分で検証できる立場に生徒を戻す」
という精神を強く受け継いでいる、と考えるほうが正確です。
4.ウルフリード・トゥーレ
〜教師が変えるのではなく、自分で変化を起こせる〜
その二〇〇五年十月に出会ったのが、ウルフリード・トゥーレです。元オーケストラのホルン奏者であり、のちにアレクサンダー・テクニークを本業にした教師です。
私にとってトゥーレとの出会いは、単に「アレクサンダー・テクニークをホルン演奏に応用する方法を教わった」というものではありませんでした。
当時の私は、アレクサンダー・テクニークには基本的なところで惹かれていた一方、大学の授業ではダンサーが教えており、それを実際のホルン演奏にどう結びつければよいのか、まだ十分には分かっていませんでした。
身体も音も壊れたまま、ドイツにいるホルン奏者のアレクサンダー・テクニーク教師を探して辿り着いた一人が、トゥーレでした。
トゥーレとの初回で印象的だったのは、教師が私の身体を直接「直す」のではなく、私自身が考え、理解し、その結果として演奏が変化していったことです。
頭のバランスについて書いた一文を読まされ、考えたうえで吹いてみる。
すると演奏が変わる。
つまり、変化の主体は教師ではなく自分自身だった。だからまた通いました。卒業まで二十回以上になります。
また、トゥーレからは、息と唇を二つの変数として扱う「ダブルパラメーター」のような、ホルン演奏に具体的に関わる考え方も学びました。正しいフォームを固定する練習ではなく、息だけ変える、唇だけ変える、両者を協調させる、というものです。
しかし、後から振り返ると、個々の奏法上のアイデア以上に重要だったのは、「自分で考えれば、自分で変化を起こせる」という経験そのものだったのだと思います。
トゥーレには、
「教師の重要性をことさらに強調するのは有害」
という趣旨の考えもありました。
F.M.アレクサンダーの最初の教師は、アレクサンダー自身である、とも言いました。
これは現在の私の教師観にかなり深く残っています。
教師とは、生徒を「形成する人」なのか。
それとも、生徒自身が考え、試し、発見することを可能にする人なのか。
現在の私は後者に大きく傾いています。
これは「自由にやればいい」という意味ではありません。
むしろ、教師の専門的な知識や判断を、生徒本人の経験や判断に取って代わるものにしないという意味です。
教師の役割を単なる「身体の仕組みを教える係」にまで落とし込んでしまうと、生徒自身が変化の主体であるという、一番重い部分が消えてしまいます。
トゥーレが私に残したものは、奏法上の具体的な方法だけではなく、「教師と生徒の間で、誰が変化の主体なのか」についての根幹となる考え方でした。
5.キャシー・マデン――「脱力」ではなく、意図を実行できる身体
そして二〇一一年、私にとって決定的な集中がありました。
キャシー・マデンは、ワシントン大学でパフォーマンスのための協調を教えてきたアレクサンダー・テクニーク教師です。ホルン奏者ではありません。シアトルを拠点としています。
私は二〇一一年、彼女が日本で行ったアレクサンダー・テクニーク教師養成課程の授業に集中的に参加し、十二回ほど授業を受け、そのうち約六回では実際にホルンを持って演奏を見てもらいました。
私は後に彼女を、ホルン奏者ではないにもかかわらず、総合的には自分にとって最大のホルンの恩師だと書いています。
なぜか。
マデンから受け取ったアレクサンダー・テクニークは、「力を抜く方法」ではなかったからです。
むしろ、
「必要な力は使う。必要なときに力めることもプロの技術の一部である。問題は、望んでいる活動を邪魔する干渉が起きていないかどうかである」
という考え方でした。
二〇一一年の私の記録には、骨盤底、呼吸、唇、腕の動きなど、かなり具体的な身体的内容が出てきます。
しかし、それらを現在の私が「正しい身体の使い方」「本来あるべき身体」として受け取っているわけではありません。
マデンのより根本的な教えは、
「協調作用とは、望みを持ち、それを実現できること」
という考え方にあります。
演奏なら、
「どんな音を出したいのか」
を思い、その音を実際に演奏できる。
そして、その実現を邪魔しているものがあれば扱う。扱ったあとは、その扱いを演奏の主役にしない。
ここで特に重要なのが、身体感覚を演奏のガイドにしないという考え方です。
アレクサンダー・テクニークでは「自分の感覚があてにならない」という問題意識があります。マージョリー・バーストウからキャシー・マデンへと続く系譜では、それがかなり実践的に徹底されています。
身体感覚は、運動や意図の結果として生じる。
だから「こう感じるから正しい」「こう感じるから間違っている」と判断することが、必ずしも適切ではない。
骨盤底の意識や唇を前へ出す指示なども、新しい正解(本質)を押し付けるためではなく、「こう吹きなはれ」「こう奏でたい」という音楽的アイデアが、身体の動きとして自然に組織化されやすくなるための条件を一時的に体験させる手段として、私は後から位置づけ直しています。
この点で、ジェイコブズの思想と非常に興味深く重なります。両方を長く使った結果として見えてきた一致であって、最初から一つの体系だったのではありません。
6.ロジャー・ロッコ――最後に残ったものは「歌う」ことだった
そして二〇二六年四月、私はロジャー・ロッコのレッスンを受けました。アーノルド・ジェイコブズの系譜に位置するアメリカの金管楽器指導者です。
ここで私は、以前の自分の理解をかなり修正することになりました。
ロッコは、音のイメージを実現するための具体的な身体運動を細かく処方する先生ではありません。
むしろ、徹底して、
歌う。
音を歌う。
音楽を歌う。
その歌にコミットする。
そして、その結果として起こることを見る。
という方向に進みます。
マウスピースや楽器を使う場合でも、身体のどこをどう動かすかを分析して、それを音の実現に使うという発想ではありません。
「歌うこと」を極端なまでに純化する。
これはジェイコブズの思想を、処方にせず、実行の手順として私に突きつけた経験だったのだと思います。私のレッスンで、最初にマウスピースを吹いてもらうことが増えたのも、この系譜を実践にした結果です。
そして、この経験から私は、自分自身の「観察」に対して疑いを持つようになりました。
生徒が楽器を持って演奏している姿を見れば、教師はそこから問題を推測します。
しかし、その推測が外れることがある。
実際、マウスピースだけ吹いてもらうと、楽器を持った姿から私が下方に見積もっていた以上に上手く鳴るケースが、繰り返し出ました。生徒が自身の神経系と身体でやるかぎり、表出は予想できないし、する必要もない、と考え始めています。
ここで重要なのは、「ロッコが観察するなと教えた」ということではありません。
ロッコの方法を徹底した結果、私自身が自分の観察モデルを疑うようになったということです。
これはロッコ本人の教義と、私がそこから得た発見を区別する必要があります。
7.五人は、現在の私の中でどう統合されているのか
こうして見ると、五人の教えは単純な「折衷」ではありません。
むしろ、それぞれが別の問いに答えています。
- ジェイコブズは、「何が演奏を動かすのか」という問いに対して、音楽的イメージを置いた。
- イーストップは、「自分の問題を誰が解決するのか」という問いに対して、自分自身がコーチになる道を開いた。
- トゥーレは、「教師は何をするべきなのか」という問いに対して、教師が生徒を形成することへの疑問を与えた。
- マデンは、「意図したことを実現する際、身体をどう扱うのか」という問いに対して、身体感覚を主役にせず、必要な干渉だけを扱う道を示した。
- ロッコは、「それらを実際の演奏でどこまで単純化できるのか」という問いに対して、「歌う」というところまで徹底的に戻した。
現在の私の考え方をあえて一つの文章にするなら、こうなります。
「まず、何を奏でたいのかがある。それを歌う。その歌が身体を組織する。身体について何か問題が起きたときには、それを必要に応じて扱う。しかし、扱った身体的問題を演奏の主役にはしない。教師の見立てもまた仮説にすぎない。生徒の身体や神経系が実際にどう表出するかを、教師があらかじめ決めつける必要はない。身体の決定権は本人にある。」
ここには、一見すると矛盾するものが含まれています。
私は身体についてかなり詳しく考えてきました。
呼吸も、アンブシュアも、姿勢も、運動も、神経系も、アレクサンダー・テクニークも勉強してきた。
しかし現在、その知識が豊富になったからこそ、「だから演奏中に身体を細かく考えるべきだ」とは考えなくなっている。
むしろ逆です。
身体を知れば知るほど、身体を主役にしなくてもよい可能性が見えてくる。
そして教師についても同じです。
教師が正しい答えを持っていて、それを生徒に与えることが専門性なのではない。
生徒本人が自分の演奏を発見し、自分で判断し、自分の神経系に起こることを自分自身のものとして引き受けられるようにすること。そのために教師が何をするか、何をしないかが問題になる。
地図が失われているときには、分析も、身体の説明も、具体的な練習も、一時的には使いえます。しかしそれらは目的ではない。常設の中心に置けば、いまいちばん警戒している構造に戻ります。目的は、最終的には「何を奏でたいか」というところに戻ることです。
その意味で、私にとってこの五人の教えは、現在一つの「奏法体系」になったというより、
「奏法体系を固定化しないための、一つの態度」へと統合されつつある、と言ったほうが正確なのかもしれません。
「身体への知識が浅いから無関心でいる」のでも、「教師という存在を否定しているから頼らない」のでもありません。
むしろ、身体についても、教師についても、奏法についても、かなり深く学んできた結果として、それらを最終的な権威にしない。
そこまで来たことが、現在の私にとって、この長い旅路の現在地点です。
了

