吹奏楽団でトロンボーンを演奏しているアマチュア女性奏者とのレッスン。
ハイBbはたまにかすることがあるだけで、リップスラーでは到達したこともなかったとのことだったのが、
1時間のレッスンでハイBbはとても楽に、とても余裕もあり、とてもくっきりした音で出せるようになり、ハイFも結構ちゃんとした音色で引っかけられるようになった。
何を変えたらそれができるようになったかというと、
- 高校の時に教わった呼吸法
- 同じく高校の時に教わった「プレスしてはいけない」というルール
① 高校の時に教わった呼吸法
- 空気はお腹に入れる
- 先輩が肩に手を置いて体重をかけ、肩は上がってはいけないと教える
- 胸のあたりは動いてはいけない
↑
これを内面化して、これに従った呼吸をずっと頑張って試みてきたという構図。
ひとまず「ただ普通に吸うだけ」に置き換えた。
② 同じく高校の時に教わった「プレスしてはいけない」というルール
↑
マウスピースで歯や歯茎の骨を唇・肌越しにちょっと押してみる/押しても良いことにしてみる、という意識に置き換えた。
これで前述の変化と成果が得られたわけです。
金管楽器演奏の「絶対的基礎」というか
◎ 論理的にも物理的にもこうしないと吹けないと思われる
◎ 全員がもれなくやっていると思われる
ことが、
- これから出す音を心の中で歌う(ソルフェージュ)
- マウスピースを口に接触させている
- ②をしながら息を吸う
- ②をしながら息を吐く
ちなみに順番は人によって入れ替わることがあれども、このABCDの順番が機能的なことが統計的には多いかなと私は考える。
このABCDが「大枠」であり、
- 呼吸法
- アンブシュア
- シラブル
- タンギング
- 姿勢
のいずれの意識も議論も、この大枠の内側の話であって、この大枠を揺らがせるような細かい意識や議論は、その内容が誤りであるか、大枠を揺らがせるような誤った使い方をしているかなのではないかとも考えられる。
別の言い方をすれば、細かい話より前に何かわざわざ意識するなら、この大枠を確認して意識して実行する方が、まずは良いのではないかという気がする。
今回のレッスンのケースでは
すごく変化と成果が大きかったのは、高校の時に教わって実行した内容がそれだけその方の演奏をひどく邪魔していたということであって、その邪魔が外れたことによる潜在的な能力の発揮のキャッチアップが一気に進んだということなのだと思う。
高校の時に教わった呼吸というのは典型的な腹式呼吸で、そのやり方がうまくいく人がいるのは確かだ。
ではなぜこの方には長年に亘り大きな害になっていたかというと、
その一番の根本的原因は、他人の体の動きをその権利もないのに禁止し制限したというところにあるのではないかと思う。
呼吸法の教え方が、他人の体の動きの権利を侵害するものだったのだ。
教えた呼吸法のモデルが、
- 解剖学的な誤り(空気がお腹に入るという思い込み)を含むこと
- 典型的な腹式呼吸以外の呼吸法を誤っているという決めつけ
なども一部原因ではあると思うが、より根本的には、体の動きを他人に対して禁止および命令することができる、という誤った哲学的思い込みにこそあるのではないかと思う。
「プレスしてはいけない」という教え方もその点で同じなのだ。
観測ベース・事実ベースでは割とみんな普通にプレスしていて、一定以上の力でプレスをしないと、例えばホルンの場合だとハイFが出ないということが計測されている研究もある。
事実から離れたモデルが問題を起こしているという面もあるが、プレスしないように意識をするとうまくいく例があるのもまた事実で、そこはどのような主観的意識を用いると良いかという話であり、客観的事実と意識の内容を一致させる方が良いかというとそうとも限らない。
なので、客観的事実を正解として、それ以外の奏法モデルや主観的意識を排除するのも、実は害になると思うのだ。
他人の体の動きや、他人の主観的意識を自分が禁止・制限・命令できるという思い込みが、この場合も害を為すのだと思う。
そう考えると
楽器演奏の技術を教える・楽器演奏の上達をサポートするということは、その根底において、
「どうすればうまくいくかということを、あらゆる可能性を排除せず探っていくこと」
に尽きるのかもしれない。
教える側の奏法モデルを相手に押し付けるのではなく、
- そのモデルが機能するかどうかを細かく丁寧に確かめ、
- もっと機能するように微修正したり、
- 機能しないようだったら、これまで考えても来なかったような奏法モデルを考慮する
ことが、教える側に求められることなのではないだろうか。