わたしは、日本の管楽器文化の最大の土壌であり、未来を担っている中学・高校吹奏楽部で「ひとりひとりがハッピーになりほんとうに上達する」指導の在り方が根付くための努力をすることがライフワークだと思っています。
しかし、もうひとつとても大事に思っているのが、アマチュア演奏家として音楽に情熱を注いでいる社会人の管楽器プレイヤーの方々との交流です。
実際、わたしのレッスンにわざわざ来てくれる方々の7割がそういう方々です。
【その情熱に敬意を】
アマチュア演奏家の方々とレッスンをするとき、わたしはみなさんの情熱に本当に感激します。
大人になって、自分や家族を養うための仕事を持ち、その仕事でのプロフェッショナルとして日々闘っている。その忙しい日常のなかで、仕事以外の時間とエネルギーの非常に多くを楽器演奏に使われています。
その覚悟、熱意、純粋さ、コミットメントは、大人として生き抜いてきている経験の重みに裏打ちされ、音大生を遥かにしのぐ「音楽への愛」となっています。
とくに40代や50代になっても演奏活動を続けている方々の中には、演奏技術の発達が非常に高度なレベルにまで及んでおり、ホルンを始めてまだ16年のわたしからすると、少し憧れてしまうほどの「年月による熟達」をされている方たちがおられます。
よく、はじめてレッスンでお会いする際に
「わたしなんて、全然ダメなんです〜」
「あれもできない、これもできない」
とまず最初に言われます。
しかし実際聴くと、たしかに技術的な誤解やちょっとしたズレなどで一見「うまくいってない」ところが目立っていても、実はすごく難しいパッセージが吹けていたり、音域もとても広かったりと、背後にある確かな基礎を感じることの方が多いです。
わたしはそういう音とその音を奏でるアマチュアのプレイヤーに接していると、内心「よし、オレも練習頑張ろう!」と刺激をもらっています。一抹の羨ましさも感じ、それがわたしにとってエネルギーになっています。
はっきり言って、アマチュア音楽家に関しては、熱意も、技術的な熟達度も、日本は世界のどの国よりも遥かに上です。こういった真面目でかっこいいアマチュア演奏家たちが、アジアにも関わらずここまで西洋のクラシック音楽が豊かに息づく日本の音楽文化を支える真の主役だと思います。
そういったアマチュア演奏家の方々の指導にあたるのは、プロの演奏家か音大生なのですが、どうも日本のアマチュア演奏家の存在がいかに大切で凄いものかに気付いていない指導者が一部にいるようです。
大人の集まりであるアマチュアオーケストラにおいて、恐怖政治のような合奏指導がなされている話がよく耳に入ってくるのですが、どうして大人を相手にそこまで人を見下したり圧迫したりできるのか、わたしには理解できかねます。
アマチュアの演奏家の方々も、なんとなく「プロは偉いから…..」「先生だから….」という雰囲気になってしまって、そういう指導者を許容してしまうことがあるようですが、わたしからのアドバイスは「そういう指導者はクビにする方向で考える」(!)になります。さまざまな要因でそう簡単にはいかないことも多いでしょうが、少なくとも、そういった指導者はクビに値すると「知っておく」だけでも気持ちがしっかり保てると思います。
少し話を戻しますが、アマチュア演奏家の方々がレッスンにいらした際は、専門家として指導する側が、彼らアマチュア演奏家の日々の取り組みの偉大さ、その神聖ともいえる価値を、なんとかして言葉で伝えるようにしましょう。
アマチュア演奏家の方々自身が、ご自身のやっていることの凄さと価値に全く気付いていないことが多いからです。
芸術家であることに、プロであるかアマチュアであるかということは一切関係がありません。ちがいは生計を立てる手段として成立しているかどうか(成立させる選択をしているかどうか)です。アマチュア演奏家もれっきとした芸術家です。芸術家を特徴付ける最大の要素は、「あくなき向上心」です。その向上心ゆえに、アマチュア演奏家の方々は、決して自分の演奏に満足しません。
この向上心は美しいものですが、自らの進歩や、奏でている音楽の価値、音楽を奏でることを人生においてずっと続けていることの素晴らしさに目を向けることを忘れさせがちです。
そこで指導者としてできる簡単かつ重要なことが、レッスンで出会うアマチュア演奏家の方々の取り組み、そして年月を重ねるなかで得ている熟達を賞賛し、敬意をはっきり言葉で伝えることです。
指導者は鏡に過ぎませんから、自らのやっていることの良さをアマチュア演奏家の方々が知って実感できれば、それは彼らの更なる前進を促し、活動意欲を刺激することになります。それはとても価値ある事です。
【関係のアップデートを】
上述したこととも関わりますが、社会人のアマチュア演奏家の方とレッスンをするうえで大切なのが、「教える/教わる」関係のアップデートです。
慣習的な上下関係が大きなウェイトを占める日本社会。なかでも大学までの学校教育はその社会にフィットしていく訓練の場でもありますから、先生と生徒の関係、先輩と後輩の関係が、(必ずしも悪い意味ではなく)「服従させる/する」関係として機能しています。
しかしこういった関係は現代社会では、「主体的にものを学ぶ」うえでマイナスに働きがちです。
アマチュア演奏家の方がわざわざ時間とエネルギーとお金を使ってレッスンを受けにくるとき、それはものすごく主体的で個人的な選択として行われています。誰にも、何にも服従する義務はなく、レッスンは求めているサービス/サポートを得るために受けているのです。
にも関わらず、長い学校教育で培われた習慣で、「指導者」という存在を前にすると、何でも服従してしまったり、思っていることを言えなかったり、したい質問や疑問を呑み込んでします傾向がアマチュア演奏家の方々に見受けられます。
そこで、アマチュア演奏家の方々を指導する際は、指導する側の方から能動的に、「上下関係」を壊して、もっと単純かつフェアな「教える・教わる」の関係に持っていく工夫をする必要があるでしょう。
わたしがよく使っている方法として、「冗談」があります。こんな「冗談」を繰り返し言う事で、対等な存在同士として、「教える・教わる」の関係に段々なっていきます。
例1「質問や要望ありますか?ない?じゃあ帰っちゃおうかな〜」
→ グループレッスンの時間中に、まだ時間があるにも関わらずシーンとするときに、よく言う冗談です。これを言う事で、指導者を「使う」責任が習う側にあることを暗に伝えています。完全なる大人として、自分で決めて自分で払ったお金の「元を取る」最大に方法は、どんどん指導者に質問をすることです。
例2「よく分からないことや納得できないことは、全部右から左へと聞き流しましょう!」
→ これを言うのは、「言われた通りに頑張ってやってきたのに改善しない」という悩みを抱えている社会人アマチュア演奏家が多いからです。起きているのは、「プロの先生が言う事ならば言う事を聞かねばならない」という意識が勝ってしまい、実は理解できないことや納得できない事でも頑張ってやろうとしてしまっているのです。分からないのは自分が悪い、できないのは自分が悪い、そういうふうに自己否定ばかりしてしまって、よりよい指導を要求したり、指導者を変えてみたりと、「外側」に働きかけることをやらないでいてしまうのです。「理解」に関しては指導者が大きな責任を負うことを知らせてあげて、自分を責めずにもっと自分のための物事を考えることを暗に伝えています。
例3「みなさんは、お客様です!神様です!」
→ こうして文字だけにすると「えっ….」となりますが、実際にセミナーでこれを言うと、大ウケします(笑)。これも、お金を自らの意志で出して学びにくる「教わる側」であるアマチュア演奏家の方々の自意識が対指導者との関係において不当に低くなりがちなのを、敢えて指導者より「上」の立場に置くようにすることで、「服従する/させる」ような関係からの脱却を促しているのです。
【具体的に、持って帰れるものを】
長く自発的に演奏生活を続けているアマチュア演奏家の方々は、巨大なモチベーションを内側に備えています。
指導者としては、そのモチベーションを刺激し活性化させるだけでも、十分価値あるレッスンとなります。それは、仕事をしながらも演奏生活を続けていく彼らが、人生の荒波にもまれ、時折疲れてモチベーションを見失うことがあるからです。
しかし元来がものすごいモチベーションの持ち主たちなので、それを再活性化させてあげるだけでも、アマチュア演奏家の方々にとっては非常に嬉しく幸福に感じるのです。
そんなアマチュア演奏家たちは、立派な大人であり、論理的に物事を考えます。真剣に取り組み、様々な壁を越えようともがく楽器演奏のことになると、日常以上に(場合によっては普段の仕事以上に!?)論理的に突き詰めて考えているでしょう。
そこで、指導者としてはその「論理エンジン(燃料は巨大なモチベーション)」に明確な「ナビゲーション」を与えてあげるとよいのです。
レッスンの中で、まず上達もしくは上達の手応えや予感を感じられるように持っていきましょう。
そして、
「いま分かったように、ぜひこれからしばらく Aと考えて Bを意識して C とするようにしてみてください」
というふうに、「まとめ」あるいは「お持ち帰りプラン」 を伝えてあげるようにしましょう。
「持って帰れそうですか?」という確認をするのもよいでしょう。
なかなか言葉にしたり、形式化したりするのが難しい音楽とその繊細な技術の世界。
しかし、指導者が身につけ高めるべきスキルが、まさにそこにあるのです。
生徒に努力の大切さを滔々と説く一方で、指導者が指導そのもののスキルを高める努力をしていなければ、それはちょっと変な話ですものね。