ずっと続けている、「自己否定を見直す」のシリーズですが、きょうは自己否定と本番に関して考えていきます。
わたしはホルンを吹き始めてからは、ホルン演奏に関してはほとんどずっとあがり症です。
長年の付き合いで、音大の入試に受かったり、オーケストラの前で協奏曲をちゃんと演奏できたり、プロのオーケストラに仕事で使ってもらった際に良い演奏ができたりと、プレッシャーがかかる場面で力を出せるようには全体的にみるとなりました。
あがり症についてはずっと考え続け、実験を続けていますから、セミナーであがり症に関してレクチャーをすると、その内容が多くのひとに非常に役立ってもいます。
それでもやはりあがり症に圧倒されて本番でダメになってしまうという現象がいまだに時折あります。ですので、まだ全然「完治」しているわけではありません。ただ、なかなか「完治」しないおかげで、様々な「役立つ方法」が見つかりますし、あがり症というものの全体像の理解は深まり続けています。
それについてより詳しくは、著書「管楽器がうまくなるためのメンタルガイドブック」(きゃたりうむ出版)で述べていますので、ここではあくまで「自己否定方式を見直す」という流れの中で本番への臨み方について述べていきます。
わたしが、あがり症にいまだに影響を受けながらもまだ諦めない最大の理由は、もともとは、あがり症ではないから です。
というのも、6歳で始めたピアノに関しては、15歳まで発表会などで演奏していたのですが、あがり症に呑まれてしまうことは一度も無かったのです。
ここではっきりさせておきますが、
・ドキドキする
・ソワソワする
・身体が震える
・口が渇く
・すごく汗をかく
・トイレが近くなる
・胃が気持ち悪くなる
これは「あがり症」ではありません。
というのも、これらは直接的に演奏に悪影響を及ぼさないからです。これらは、興奮の兆候であり、興奮はパフォーマンスに必要かつ望ましいものです。
身体が震えることは、音の震えやミスタッチにつながりやすいですが、身体の震えは興奮を活用せずに抑え込もうとすると顕著になります。
したがって、身体が震えそうなときは、ふつうの発想とは逆ですが、
・大きい音はより大きく
・小さい音はより小さく
・練習よりもっとダイナミックに大げさな表現で
・練習ではやらなかったようなことも即応的にやってみて
吹くとよいのです。
涌き上る興奮は、「使う」必要があります。どう使うかというと、練習のとき以上に「リスクを冒す」とよいのです。興奮は、練習以上のものを出すために起きる現象です。ですので、震えはよりリスクを冒して思い切って演奏すべきときに、小さくまとまろうとすると悪化します。
不思議ですが、もっとリスクを冒して思い切って演奏し始めると、震えはひとりでに落ち着いてくることが多いのです。
では、あがり症とは何でしょうか?
あがり症とは、
・舞台袖や舞台上での極端な自信喪失
・ひとりではちゃんと形になっている演奏技術が突如として機能しなくなる
・身体の極端力み、もしくは力が入らなくなるほどの異常な虚脱状態
を指します。
これらは、実際に演奏を大きく損ねます。これを体験するのは、非常にショッキングなことです。
わたしは、6歳から14歳までのピアノを中心とした音楽人生において、そのようなあがり症を一度も経験しなかったのです。
さきほど述べた「興奮」の諸兆候はもろに経験していました。
しかし、舞台に出ると、震えていても汗をかいていても焦っていても、音楽をするということが明確に思えていて、音楽の表現に自分の全てを捧げることができていたのです。
それが、ホルンでアンサンブルコンテストに出場したときに、初めて全くロクに演奏できなくなるほどのあがり症を体験し、以来、ホルン演奏に関しては繰り返しあがり症に陥りました。
あがり症にならなかった6歳から14歳までのピアノ時代は、いったいなにがいちばん、その後のホルン時代とでちがっているのか?
これがわたしが抱き続けている大きな根本的な問いです。
ひとつ、わたしの場合で明確なのは、ピアノ時代、そしてホルンでも良い演奏ができたケースはいずれも、
リハーサルから舞台に出る瞬間まで、自分の中の恐怖と向き合っていた
ということです。
子供時代のピアノの発表会でも、大きな大きな恐怖感を感じていたのはよく覚えています。発表会の一週間前から、ドキドキして、なんだか身体の芯が真っ黒い底なしの空間になるような感覚を感じていました。
当日の朝になると、両親にも「緊張しているんだね ( Are you nervous )?」と聞かれるぐらい、誰がみてもわかるほどに緊張の色を浮かべていました。
リハーサルを終え、本番までの空き時間….。
ずっとドキドキドキドキして本当に緊迫感を感じていました。応援しているサッカー代表チームの重要な試合が拮抗しているときと似た感覚です。
しかし当時は、あがり症なるものがあるとも知らなかったですし、強烈な怖さを覚えてはいても、具体的に恐れるべきことや危険なこと、失うものは何もありませんでした(失敗したら体罰を受ける、というようなことも幸いありませんでした)。ひとの評価もとくに気にしていなかったのです。
純粋に、興奮と恐怖感の大渦に呑まれ、もまれる。ただそれだけでした。
ごまかし方も、逃げ方も知りませんでした。
そうすると不思議なことに、発表会のときに毎回、舞台袖の暗いところでじっと待っている途中、出番のわずか数分前というところで全ての恐怖がスーッと、勇気に変わったのです。その変容の瞬間が、舞台に踏み出したその一歩目で起きることもありました。
この現象は、ホルンを始めてからも同じように起きていました。惜しむらくは、ホルンでの初めての大舞台であがり症に陥ったことで、音楽を始めたピアノ時代に毎回起きていたということをどこか忘れてしまっていたことです。
しかし、本当に本当に重要な場面では、毎回同じ現象が起きました。
舞台上でも、怖かったり震えたりということは続きます。しかし、舞台袖や舞台に出るその瞬間に、大きな大きな勇気が自分の内側から、実に自然な感じで姿を現すのです。
それが起きるか起きないか。その境目が、どうやら 演奏のずっと前から、感じている興奮や恐怖に徹底的に浸りきり感じきり経験しきっているかどうか にあるように思えるのです。
また仕事で使ってもらえるかどうか、ひとからの評価、自分の面目、恥。
そういったことは大人になるつれどうしても増えてしまいますよね。それ故に、純粋に興奮と恐怖を経験するということの難易度が高くなってしまうのかもしれませんが、それでも大人になっても結局は同じ事で、日常的で表層的な不安のゾーンから、演奏という芸術行為に没頭するゾーンにちゃんと移行する、というだけのことなのだと思います。
これは、難しいことに感じますが、たぶん本当はまったく難しくなく、演奏という行為に関してのごく自然で当たり前のことなのだと思います。
しかし、日常とは明らかに「ちがう自分」(でもどこか「知っていた自分」)になるので、どうしてもその移行を邪魔したくなってしまうのかもしれません。
演奏に、なかでも本番においては非常に有害な影響を及ぼす自己否定。しかし不思議なことに、あらゆる自己否定から一時的に完全に抜け出させる力を持つのもまた、本番だと思います。
とはいえ、日頃からひとつひとつ、自分の中の自己否定を解消していくのも大切です。そのための手順に関しては、どうぞこちら「思考の毒抜き」をご覧下さい。
いつもブログ拝見しております。私はトランペットの演奏家を目指している24歳男性です。問合せ先のアドレスにメールを送ったのですが、返信がないため誤って送ってしまったのだろうと思い、コメントさせて頂きました。
私は10歳でトランペットを始めてから、ずっとアンブシュアに悩まされてきました。いわゆる、粘膜奏法という形に気がついたらなっており14、5歳の頃にさらに酷い状態になってしまいました。具体的にはマウスピースがかなり左下にズレており、上唇がほとんどリムの内側に入っていない状態です。
何度も改善しようと試みたのですが、うまくいきません。マウスピースを当てた感触は、上唇をリムに収めた方がいいですし音も悪くないですが、当然ながらまともに吹けません。今は、アンブシュアを改善すべきかどうか悩んでいる状況です。どうか、ご教授お願いします。
長文失礼しました。
ひろしさま
マウスピースの位置、当て方というのは、もともとその当て方で音が鳴っているならば、気にする必要がないと思います。粘膜奏法といっても、アフリカ系アメリカ人のプレイヤーたちは唇の大きさと形状から、その多くが「粘膜奏法」という見た目ですが、全く問題になっていませんよね。
次の記事も参考になるかと思います。
「金管楽器のアンブシュア恐怖症その1」http://basilkritzer.jp/archives/1848.html
「金管楽器のアンブシュア恐怖症その2」http://basilkritzer.jp/archives/1851.html
その一方で、
>> 改善しようと試み、マウスピースを当てた感触は、上唇をリムに収めた方がいいですし音も悪くない
ということは、その新しい「当て方」はひろしさんにとってよい「当て方」の可能性も高いです。
長い目で見ると、+にはたらくかもしれません。
しかし、もともとの当て方で獲得した音域や技術的なレベルに達するまで、数ヶ月〜数年かかる可能性もあります。
一方で、ひとによっては数週間で新たなアンブシュアに適応できることもあります。
素早い対応、感謝します。
>>ということは、その新しい「当て方」はひろしさんにとってよい「当て方」の可能性も高いです。
ということは、これまでのアンブシュアは限界がきておりアンブシュアをアップデートする必要がある可能性を示唆しておられるのでしょうか。
また、その他(息や身体の使い方等)のアプローチを変えることで新しいアンブシュアが身に付くのでしょうか。それとも、思い切ってマウスピースの当てる場所を変えてみた方が良いのでしょうか。アンブシュアを変える際の方法や注意点などがあれば教えて頂けませんか?
ひろしさん
>>ということは、これまでのアンブシュアは限界がきておりアンブシュアをアップデートする必要がある可能性を示唆しておられるのでしょうか。
分からないです。
これまでのアンブシュアが、見た目がどうであれ限界が来ているのかどうかの判断は、そのアンブシュアになっていった経緯で判断すべきと思います。
楽器を始めたときに、とくにプレッシャーや変な情報がなく、自然と吹き始めたそのアンブシュアであり、そこから経年で自然に変化していったアンブシュアなら、本来限界は無いと思います。
一方で、ものすごくプレッシャーをかけられたりして、初期に無理やり高音や低音を出そうとしていたり確実に音を鳴らそうとしていた中で出来上がったアンブシュアならば、これは本来もっと自然で楽なアンブシュアが別に眠っている可能性があります。
ひろしさんがどちらに当てはまるかは、わたしにはわかりません。
>> また、その他(息や身体の使い方等)のアプローチを変えることで新しいアンブシュアが身に付くのでしょうか。
アンブシュアが身に付くというよりは、ひとりでに変化したり改善したりします。
しかし、アンブシュアも身体の一部ですから、そこだけ切り離して、「他を変える事でアンブシュアを変える」というのは不自然なことになるかもしれません。
同様に、アンブシュアだけ変える、というのも実は有り得ないことです。
何事も、まるごとひとつ、全体として変え、変わっていくものです。
>> それとも、思い切ってマウスピースの当てる場所を変えてみた方が良いのでしょうか。
そこが、今回のやり取りではわたしには判断できないところです。
わたしの経験上、本当にアンブシュアを変える必要があったり、変えることで益するケースは、「変えなければいけない」と言われたひとや、変えようとしているひとの3〜4割程度に留まります。
一般的には、アンブシュアに原因が求められ過ぎ、と言えます。
>>アンブシュアを変える際の方法や注意点などがあれば教えて頂けませんか?
先に紹介した記事がまさに該当します。
またわたしのブログを「アンブシュア」で検索すれば、何十個も記事がでます。
たくさんの人達の質問等あるでしょうに、丁寧に回答して頂いて有り難う御座います。
悩み、吹っ切れました。私は、今まで何か上手くいかないのをアンブシュアのせいにしていたのだと思います。周りから入ってくる色々な情報や自己否定的な考えから自分は変なんだ、人とは違うんだ、と思い込んでいました。 だから、アンブシュアを変えなければいけないんだと思っていたのだと思います。
でも、そんな考えから何かをしてもきっと上手くいかないですよね。バジルさんの回答や過去のブログの記事を読んで、ハッと気付かされました。本当に感謝します。
結果、アンブシュア変えることにしました。自分の辿ってきた道を考えると、いつも目の前の課題ではなく到底届きそうもないような課題に取り組むことを余儀無くされてきたからです。また、今までのような自己否定的な思いからの挑戦ではありません。自分の夢見るより美しい音、より美しい音楽を自分に出来る方法で到達する為です。
本当に有り難う御座いました。これからも応援させて頂きます。
ひろしさん
そこまで力になれたこと、とても嬉しく思います。
自己否定が「癖」だとすれば、自己肯定は「技術」だ、と思います。
お互い頑張りましょう。
Basil
いつもブログを楽しく拝見させて頂いております!
トランペットを吹いています。
今回は
音がすっぽぬける。
音程が悪い。
つまらないミス多発(特に出だし)
低音が不安定。
これらの悩みをご相談したく投稿させて頂きました。周りには猛烈に反対されるのですが、どうしても原因は口元にあるような気がしてしまいます。笑 バジル先生流のTpのポジショ二ング術もよろしければ教えて頂きたいです。。
お返事よろしくお願いします。
もう少し具体的な情報をお願いします!
雑な投稿、大変失礼致しました!
ツボにハマってない感覚といいますか、息をたくさん吹き込んでも音量が鳴らない感じです。いれてもいれても抜けてしまい、肩、首も痛いです。
楽器を構える度に口の感覚が違う感じがするのも不安です。
何かアドバイス頂ければと思います。。
当てごこちも吹きごこちも良い当て具合を、あらゆるルールを取っ払って探求みる、ってのはどうでしょう?