自省録 No.2「できる」ことを「できなく」させる力

久々の本番修了。ソロ。といってもごくごく内輪のものでしたが。なんだか、これが決まったその日から、「うまくいかないかも」という予感があった。結果的には、半分悪い予感が当たり、半分は良質な演奏となったかな。

今回は、震えや口の渇きはとくになかったのだが、必要な力が入らない感覚。身体がなんだか弱くなったような、支えが消えたような感覚。ただ、感覚の話なので、実際に何が起きていたかはよく分からない….

「悪い予感」というか、今回の本番に関してはもうずっと前から「悪い連想」が働いていて、そういう思考が自分を結局は動かしていたような気がした。その「悪い予感」の正体はまだよく分からないが、まあ何かしら「自分」についての考え方・捉え方・判断の仕方にはちがいない。

現象としては、息をたくさん使うセクションから演奏の質が向上したので、骨盤底からのサポートを失ってしまっていた、ということだと思う。しかし、「なぜそういう状態になったか」という「理由・原因」は分からない。自分の思考のどこかにあると思うが。

「悪い予感」によって自分の身体を支配させながらも、意識的に「頭が動けて体全体が動けるようにする(アレクサンダー・テクニークを使う)」と、すぐに改善したり安定したりしたので、道筋・希望はある。

問題は、なぜとくに冒頭は、知っているし、使えるし、効果があるそのスキルを「使う」という選択が仕切れなかったか。別の見方をすると、その選択を圧倒するほどの「悪い予感」「ネガティブ思考」は一体なぜ発生するのか。

わたしのアレクサンダー・テクニークのいちばん身近で教わっている先生であるジェレミー・チャンス先生は最近、「ネガティブ思考」それ自体とその身体への影響力を解放することに着目している。そもそも「緊張を起こす根本的なもの」へのアプローチだ。

一方で、もうひとりの恩師であり世界で最も優れたアレクサンダー・テクニーク教師であるキャシー・マデン先生は、「やりたいことを実現するためにアレクサンダーテクニークを能動的に使う」ことを加速度的に発展させている。

わたしの次なる疑問は、「自分にはどっちが大切なのだろうか?」「あるいは両方とも大切なのだろうか?」ということ。

きょうの体験は、「役立つスキルを使えなくさせるほどのネガティブな影響力をのものの解消が必要」というふうにも考えられるし、「ネガティブな影響力を上回る望みの力と積極的なスキルの活用が必要」というふうにも考えられる。

演奏をしたいという渇望を自分の中に見つける必要があるのか、それとも自分の役割や望みはまた別のところにあるのだから「上手に演奏しなければならない」という思い込みを手放すのが必要なのか。あるいはそれはコインの表裏なのか。

4月にいよいよ開講する、「音楽専門アレクサンダー・テクニーク教師資格取得・指導者養成コース」。私はそこで教えるメイン教師のひとりとなる。自分の何十倍の経験を持つ先生たちと一緒に。

音楽専門アレクサンダーテクニーク教師資格取得・指導者養成コースがそれまるにあたって、私はさらに自分自身をよく理解する必要があることをきょう感じた。

アレクサンダーテクニークを教える人は、演奏もできなければいけないのか?自分自身の問題を解決できていないと、本当には教えることはできないのか?「自分でできないことを、他人がするのを手助けすることはできないのか?真実が何であれ、市場を味方につけるアンサーを選択しなければいけないのか?

こういった問いに「向き合い」「考える」ことで、何かまた変化があるだろう。

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