「難しい」を演奏のプラスにする

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秋に顎を怪我したのですが、そこからの回復の過程でわたしが改めて学び本気になる必要があったことが

『創造的・実験的・音楽的に練習・演奏すること』

でした。

といいますのも、怪我により演奏が一時的に制限されたり、奏法が不安定になったり、回復しても肉体というのは変化しますから奏法そのものに変化があったりするとき、

創造的・実験的・音楽的でない意識
=
・怪我や回復中という「異なるコンディション」にある自分を、それ以前と比べて否定的に評価する
・「いま、できないことがある」という自分自身を責める
・「できるか・できないか」という成功と失敗という概念で楽器演奏を捉える

etc..

で練習や演奏に臨むと、精神的に非常に緊張・疲弊し、貧困になるうえに肉体的にも硬くなって回復や変化をむしろ邪魔してしまっていたからです。

怪我を乗り越え、回復し成長するうえで、わたしは『創造的・実験的・音楽的に練習・演奏する以外に選択肢がない』状況を経験できたことが、そのようなアプローチの価値と大切さを強く学ぶことになりました。

【難易度そのものを創造性・音楽性に昇華できる】

さて、そんなわけでいまは毎日の練習を、いままでの自分にくらべるととても創造的・実験的・音楽的に取り組んでいるのですが、きょうやっていて思いついて有益だったことがありました。

あるかなり難しいホルンのソロ曲を準備しているのですが、この曲は音型が技巧的で音域がものすごく広いうえに、現代のホルンにとっては運指がややこしい調で書かれているのです。

その曲の見せ場のひとつがよりによって、レバーをガチャガチャ動かさざるをえないフレーズなのです。

そこに取り組んでいて、

「ガチャガチャうるさいなあ、難しいなあ」

と感じていたのですが、

「じゃあ、それをどう創造的・実験的・音楽的に取り組もう?」

と問い直してみました。

創造的・音楽的に練習するために非常にお勧めの方法のひとつが、

・たった一音のロングトーンでも、
・単純な音階でも、
・どんなフレーズでも、

『そこにストーリー・メッセージ・意味を与えて、それを語る』という意識で演奏すること

です。

これを先述のフレーズについてやってみました。

レバーの「ガチャガチャ感」や「難易度」そのものを、ストーリーにできないか?と。

思いついたのは、このフレーズを『大きな機械がガチャガチャと動いて歯車が見事に噛み合って仕事を果たしていく様子』というストーリーとして捉えてることでした。

それで吹いてみると….

とても面白いことに、レバーのガチャガチャ、フレーズの技巧的高難易度、音型の性格、そのいずれに対しても身体を硬くしなくて済み、すべてどこか面白い・楽しい・ある種コミカルな感じとして体験できたのです。

【苦手意識をどうこうしようとするより…】

これはぜひ、色々応用していきたいと思います。

というのも、苦手意識、難しさや緊張を感じるとわたしたちはそれ自体をなんとか解消しようコントロールしようという方向にエネルギーを使ってしまいがちです。

でも、それって「問題解決」や「メンタルトレーニング」といった作業であって、あまり音楽や演奏につながらないといいますか、どこか距離や壁があって疲れるんですよね。

対照的に、演奏に取り組む中で経験するいろんな出来事・体験・感覚・感情を、『創造的・実験的・音楽的に練習・演奏すること』によってむしろ活かすといいますか、統一的・包括的な演奏と練習の作業と経験へと取り込んでしまえるような気がするからです。

あなたもぜひ、試してみてくださいね!

Basil Kritzer

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「難しい」を演奏のプラスにする」への5件のフィードバック

  1. バジル先生、こんにちは。
    吹奏楽部でホルンを吹いています。高校1年生です。
    3ヶ月ほど前、おしりの骨に腫瘍が出来ていると診断されました。
    良性のものなのですが、座っているとき、立ち上がるときなどに痛みがあり、通院を続けているものの回復していません。
    動けないほどの痛みではないので、普通に学校へ行き、部活もしています。
    しかし、長時間座って吹いているとやはり痛いですし、
    いつ治るんだろうという不安や、通院や入院のために練習に参加出来ないことがあったり、思うように練習出来なかったりすることが、精神的につらいです。
    2週間後に定期演奏会が迫っています。
    先日病院に行ったら、今の時点で出来る治療はないと言われ、次の検査は定期演奏会後になることが決まりました。
    部活の仲間や先輩はとても良い人ばかりで居心地がよく、部活がないと学校に行く意味がないなんて思ってしまうほど好きです。
    でも、練習していると痛みのことばかり考えてしまい、本当に楽しいのか、上達出来ているのか、わからなくなります。
    また、上手く吹けないことを痛みのせいにしてしまったり、痛いから帰りたいとか、痛みをすべての言い訳にしてしまう自分が嫌になります。
    でも、だからと言って定期演奏会に出ないというのはもっと嫌だし悔しいです。
    どうしたら、痛みにとらわれず、創造的で音楽的な練習、演奏が出来ますか?
    吹けないフレーズもたくさんたくさんあり、足をひっぱってしまっている感じがして苦しいのでもっともっと上達したいです。

    • みほさん

      具体的に、痛みと健康をケアする必要があると思います。

      まず第一に、落ち着いて治療を受けることです。
      健康は、目の前の一度の定期演奏会での演奏の出来不出来よりはるかに大切なことです(長く楽器を続けるうえでも)。

      そのうえで、いま楽器を演奏するうえで妨げになる痛みに対処しましょう。

      -痛みを少しでいいからマシにしてくれるような、クッションなどを試して使う
      -お医者さんに相談して痛み止めを処方してもらう

      痛みに囚われないためには、できる対処をし、ケアをすることです。
      痛みを受け入れるということでもあり、痛みを無視する・忘れる・感じないようにするということではありません。

      積極的に、治療に取り組み、痛みのケアに取り組んでください。

      Basil

      • バジル先生、お返事ありがとうございます。
        「痛みを受け入れる」という言葉にはっとさせられました。
        先生もおっしゃってくださった通り、これまで、クッションに座ったり痛み止めを飲んだりと、いろいろなことを試してきました。
        痛み止めを強いものに変えてもらったり、座り方を工夫したり、試行錯誤を繰り返してきました。
        治すための手術も受けました。
        しかし、一向に痛みは治まらず、
        こんなに頑張っているのに、時間もたくさんかけたのになんで、と、すごく焦っている自分がいたように思います。
        今回、ここで相談させていただき、先生に助言いただいたことで、
        改めて、自分の置かれている状況を冷静に、客観的に捉えることが出来ました。ぐちゃぐちゃだった頭の中が整理された気がします。
        ありがとうございます。
        通っている病院は大学病院で、すぐに診てもらうことが出来ないので
        定期演奏会までにこれ以上痛みが改善されることはおそらくないのですが、
        冷静に、出来る範囲で練習を頑張っていこうと思います。

        ここでもうひとつ質問させていただきたいのですが、
        どうしても否定的な考えばかりが浮かんでくるとき、どうすれば創造的・実験的・音楽的でない意識に切り替えられますか?
        今のわたしは、創造的・実験的・音楽的でない意識ばかりで頭がいっぱいになり、充実した練習が出来ていないように感じます。痛みがなくならない以上、難しいことなのかもしれませんが、このままではいけないと思うのです。
        バジル先生は、顎を怪我され、本調子で練習が出来ないとき、具体的にどのような意識を持って練習されていましたか?

        • みほさん

          ぼく個人の場合は、ですが、

          「自分に特定のレベルや結果を求めないこと」
          「その代わりに、『ホルンが吹きたいなあ!』という気持ちを満たすため「だけ」にホルンを吹くこと」
          「音階など技術的・基礎的なことをやっているときでも、なんらかのストーリーやメッセージを作るつもりで、あるいは意味のあることを何か言うつもりで音を出すこと」

          ということを、アメリカに住んでいる自分のアレクサンダーテクニークの先生にスカイプでレッスンを受けることで考えさせてもらえてから、状況がずいぶん良くなっていきました。それが始まったのがちょうど3ヶ月前くらいです。

          怪我からそれまでの3ヶ月は、自分に特定のレベルや結果を求めていたために、迷走し続けました。

          まず怪我の影響で、怪我以前とは状況も感覚もちがうわけだから同じような結果や感覚を求めても無茶なのに求めたから、
          良い実験やアイデアもそのうち不安で見過ごしたり忘れてしまったりしていました。

          しかも、求めているレベルが、怪我していなくても自分には無茶なレベルだったと思います。

          特定の結果やレベルより、

          「自分はホルンを吹きたいんだ!」
          「だから吹きたいという気持ちを満たすために、あとは知っている知識やアイデアを使ったり新しいことを実験したりしながら、『吹きさえすればOK』という基準でやっていこう」

          ということを明確に大事にしながら(=つまり、自分に結果を求め始めているのに気付いたら、その思考を変えるべく取り組む。ときには数日かかることも)やっていきはじめたことがポイントで、いま続いています。

          で、ホルンを吹きたいという気持ちの中には、音楽したい・表現したいという気持ちが入っているわけで、それもあって音階でも音楽をし表現をする、というわけです。

          Basil

          • お返事ありがとうございます。
            「自分たちがしたい音楽はこんな音楽なんだ!ということを聴いている人に伝えよう」と、合奏のレッスンに来てくださっている先生がここ最近何度もおっしゃっていました。
            先生のブログを拝見していていつも思い出すのですが、やはり、「音楽が好きでホルンが好きで、表現したい音楽があるから音楽する」という気持ちを忘れてはいけないのですね。
            一度、焦りや責任感は置いておいて、楽器を吹くことを純粋に楽しんでみようと思います。
            とても前向きな気持ちになれました!
            ありがとうございました。

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