「お金」を動機としない発信活動の意味

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2017年1月29日、わたしが育った京都の地の楽器店(JEUGIA)で、講座を担当しました。

こういうオフィシャルな一般公開の場においては、実はアレクサンダーテクニーク教師としては京都デビューでした。

自分が高校生まで育って過ごした地なだけに、先輩や後輩、中高生時代に知っているほかの 学校のなどがもしかしたらいらっしゃるかも…と思うとなんだか緊張して迎えた当日でした(笑)

でも、蓋を開けてみると知り合いは一人もいなかった!笑

代わりに、いらしゃった方たちはほんとうに具体的にこまかく改善したい・取り組みたい事柄をテーマとして持ってきてくださった方たちばかりでした。

以前は、BodyChanceのスタジオに通いにくるくらいのひとたちは確かにとても具体的で前向きに取り組みたがっていることや
強い関心や知りたいことを持っていらっしゃっていた一方で、

このように楽器店で広く「一般向け」に講座を行うと、なんとなく…という感じでいらっしゃっている方や、すごくシャイだったり、質問はしたいし自分のことでなんとかしたいことはあるけれど前に出てきて一緒にレッスンしていくのは気がひける、という少し守りの姿勢だったりする方がお見えになる割合が高かったです。

しかし、今回感じたのは、ついに「広く一般向け」の設定になっている講座でも、とても関心や意欲の強い方たちがいらっしゃるようになってきたんだな、ということでした。

これは、教える側としては、ヒジョ〜〜〜〜〜〜にやりやすく、楽しいです。

関心が強かったり、改善したいことが具体的だったり、取り組む意欲が強いひとたちとのレッスンは、
たとえ問題が複雑だったり心の面で大きなハードルがあったとしても、
そういうレッスン上の「困難 」は、すべて教える側としては「やりがい」だったり「面白いこと」になります。

レッスンの流れで解決や改善に苦労する場面があったり、たとえ生徒さんとある意味「ぶつかる」ようなことがあったとしても、
それらはすべてレッスンを盛り上げ、深めてくれるのです。

これは、レッスン活動を継続していくなかで、幸いにも知名度が上がり、「これは良いものだ、ぜひやってみたい」と感じてくれる方が増えたからに間違いありません。

いつも、ブログやメルマガでいろんな記事を書いたり翻訳したりして広くあらゆる人々と共有しています。

わたしは音楽活動・レッスン活動を人生の中心に置きたいので、レッスン活動を「仕事」にすることを選択しその方向でいろいろな行動をしてきました。

ブログやメルマガは、手段としてそれを助けるものとして利用しています。

しかしじゃあ、仮にこれが仕事にできない・ならないとしたら何かを書いて情報やアイデアを他者と共有するということはしないのか?

わたしの場合は、そうではありません。

自分が興味のある事柄や、自分に役立っていることは、たとえレッスン活動をやめても公開といいますか、共有することを必ず続けていくと思います。
アウトプットし、共有するということそれ自体に大切な意味を感じ、心が満たされるからです。

それはある意味、「表現活動」の一形態なのかもしれません…。

いずれにせよそういった、「お金」を動機としない表現活動・発信 活動が、こうして自分のレッスン活動を大きく助けてくれて、
学びの感度とエネルギーの高い場の創出を後押ししてくれていることを感じて、久々に、「ああ、発信を地道に続けていてよかったな」と報われた気持ちになりました。

報われなくても、どうせやるんですけどね。

でもそうやってアウトプットの結果としての反応や現象に接することができると、サイクルが完結するとでもいうか、
なにかストンと腑に落ちるような感覚があります。

Basil Kritzer

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