「心配する暇なんてない」と教えてくれた師匠

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わたしはドイツの音楽大学を卒業した後、23歳で日本に帰国しました。それと同時にアレクサンダー・テクニークの専門的指導者になるためのスクール「BodyChance」入学して出会ったのが、このスクールの校長であるジェレミー・チャンス先生です。

そのジェレミー・チャンス先生には、3年以上スクールで学んでいたわけですが、中でも印象的だった場面を今日はお話したいと思います。

【ソリストの機会に恵まれて..,】

2009年に、私は京都でシューマン作曲「4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック」という曲を、4人のソリストのうちのひとりとして演奏しました。

中学時代からのあがり症で、大学時代のかなり終盤までそ常に苦しんでいた私からすると、ソリストとしてオーケストラの前に立って数百人の観衆の前で演奏するなどということは、本当に「ありえない」感じがすることでした。

しかしながら、幸いその機会に恵まれたので、思い切ってやってみることにしました。

共演するソリストには新日本フィルハーモニー首席ホルン奏者の吉永雅人先生、そして当時名古屋フィルハーモニー管弦楽団ホルン奏者で現・日本センチュリー交響楽団首席ホルン奏者の水無瀬一成さん(中学・高校の先輩です)がいました。

【心が折れそうだったそのときに】

フリーランスでのホルン演奏の仕事をほんのちょっぴりやり始めただけだった当時の私には、あまりにも不釣り合いに感じて気持ちが折れてしまいそうでした。

しかし、もう学生ではなく、大人なのだから「できる・できない」の話ではなく、「やるか・やらないか」が肝心なのは分かっていました。

演奏会が近付いていた夏に、私は出席していたBodyChacneのアレクサンダー・テクニーク教師養成コースの授業の中でジェレミー先生にこう相談しました。

「演奏会のことを考えると、いろいろ悪い想像をして苦しくなるし、暗くなってしまう」

するとジェレミー先生はある逸話を紹介してこう答えました。

「チベットのお坊さん達は、悪い事が起きる心配なんてしない。なぜなら、悪いことに対してなにか対処出来る可能性があるのなら、心配する代わりに何か対処のための行動をするから。そして、悪い事が必ず起きるのなら、心配してもしなくても起きるのだし、やっぱり心配しない。さらに、もし悪い事への対処のしようがないななら、どうしようもないのだからやっぱり心配しない。」

【自分の緊張に自分で責任を負える】

そう言われた私は、その言葉にピン!ときました。

なるほど、自分の実力が本当に足りなくて、惨めな失敗をすることになるのなら、それは実力不足でどうしようもないことなのだから、そんなことをくよくよしても仕方が無い。

しっかり演奏できる可能性がありつつも色々心配なんだったら、心配する代わりに、準備や練習をして前向きに備えることを考えたら良い。

そのとき、初めて心の底から

「不安も緊張も、自分の思考が原因なんだ。自分が頭の中で『している』ことなんだ」

と思いました。

それ以来も、もちろん不安や緊張は起きます。

しかし、自分とちゃんと向き合いさえすれば、不安の連鎖から必ず抜け出すことができるようになりました。

身体の緊張に関して言えば、自分に無駄な力が入っている事に気付いて初めて、「自分が無駄に力んでいる」と自覚しますよね。自覚できると、リラックスや脱力も可能になってきます。

メンタル面もよく似ています。

自分が自分で、不安やアガリそして緊張を誘発する思考をわざわざ「している」ことに気付くと、もっと前向きで建設的な思考を行う選択肢が生まれます。

自分に起きている事、自分が体験している事に対して良い意味でもっと責任を取れる。主体的になれる。

それがアレクサンダー・テクニークの良いところのひとつに感じています。

Basil Kritzer

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「心配する暇なんてない」と教えてくれた師匠」への4件のフィードバック

  1. 初めまして高校三年生でホルンを吹いています。
    私はもうすぐ引退なのですが大会前で、スタミナがないことと高音域が全く出ないことが悩みです。正直高いF以上が出しづらいです。
    アンブシュアが悪いのかなにが悪いのか検討がつきません。練習をしても音が出にくいです。頑張るとばててしまいます。どうしたらよいでしょうか。

  2. こんにちは。記事を読んだ感想を書いてみます。

    アレクサンダーテクニークを知ってから自己否定をすることがかなり減っていたのですが、最近自分でも気づかない間に自己否定的な思考をしていました。(特に仕事上で)

    その様な状況下ではやはり体が重くて疲れやすかったですし、そんな自分に対して無意識に「これじゃダメだダメだ…」と、さらに自分で自分を少しずついじめていました。

    今日からは自己否定的思考を選択する代わりに、今自分が望んでいること、やりたいことは何なのかを心(頭)で考え、自分の体と一緒に仲良く過ごして行きたいと思いました。ありがとうございました。

    • 松本さん

      こんにちは。

      自己否定は、これはわたしの考えでしかないのですが、人間にとってとても自然なものでもある気がします。
      自己否定のたまねぎの皮をむいてもむいても、もっと薄い皮かもしれないけれど、まだまだあるんです。

      でも皮をはがすたびに、「その自己否定」のことは理解できるし乗り越えられます。
      そうすると、ほかのひとが同じ自己否定をしていれば、理解したり助けたりしてあげられます。

      苦しい、虚しい、つらい自己否定にこそ、向き合えば確実に楽になるなあ、というのがわたし個人にとってはあてはまります。

      Basil

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