悩める吹奏楽部高校生からの質問です。
– – –
【質問者】
いつもブログを読ませていただいています
吹奏楽部の高校2年生です。
わたしは パートリーダーをしています。
パート練習をするときなどは、主にわたしが進めていって注意なども言う立場なのですが昔から注意を言うのが苦手でなかなか自分の思っていることを伝えられず もどかしいような気持ちをしてきました。
注意を言えないというのは
1. 単純に相手の演奏が悪くないと思うとき
2. 変わってほしいと思うところはあるけれど、それを 言葉・口で表現するときに、どうしても相手を否定してしまうような表現になってしまうから
というのが あるように思います。
2.については相手を否定するような表現が嫌だと感じるから何も言わず相手が気づくまで、あるいは技術的・時間的な問題なのでもう少し待っておこうとか、相手もこれはわかっているだろうから あえて 言わないでおこうだとか思っています。そして結果的に言わないというふうになっていると思います。
でもみんなをまとめる役割がある立場であり、みんなの意識・意思の統一を図るためにわたしがもう少し ものを言える状態でないといけないと自分自身が感じたり、まわりもそれを私に求めているように感じます。
私自身の性格も関係しているとはおもうのですが私なりにもっとスッと、自分の思っていることを伝えられるにはどんな方法があるのでしょうか?
やはり私が所属する部活動では楽器を演奏すること自体が実はとても高度な技術を要し、繊細なことなのだということの認識が忘れられていたり、『音楽』というものを求めているにもかかわらず、違う方向に向かって行っている、そんな印象を受けたりしています。
私自身がバジル先生のブログなどで出会った価値観や考え方と部活動でのみんなとの価値観や考え方とにギャップをすごく感じていてすごくもどかしいです。
それを解消するためにお互いに意思疎通を図ることが大事だというのは理屈ではわかっているのですが。どうアプローチしていけばいいのか はっきりとわからず迷っています。このことが先に述べた “人への注意”のことにもつながっていると思うのです。
どうアプローチしていけばいいのでしょうか?
【バジル】
このたびはご質問のメールを頂き、ありがとうございます。
後で書いていただいたいくつかのことに個別にお返事致しますが、まず出発点として次のことに想いをはせてみてください。
『わたし自身は、どんなパートリーダーになりたいかな?』
・どんな指導や指摘をすべきか、を考える代わりに、あなた自身がどんなふうにパートの仲間や後輩と接したいかを考えてみましょう。
・どんなことを言ってあげたいですか?
・わたしならどんなひとのどんなふうな指導をしてもらいたいかな?と想像するのもとても役立ちます。それがそのまま、あなたが実践したいやり方と一致するかもしれません。
・パートリーダーだからといって、オールラウンダーになる必要は必ずしもありません。事務的なことは別のひとにやってもらうのもアリだし、技術的・音楽的なことのリードが上手な後輩や仲間がいればそれを任せるのもアリなのです。もし、あなた自身が他人を教えたりリードしたりすることがあまり好きでないなら。
ではもうちょっと細かな話を。
>>注意を言えないというのは 1. 単純に相手の演奏が悪くないと思うとき
そういうときは、褒めるのはどうですか?
わたしはそうしますね。レッスン中もよく、本心から「もうすごい素敵だから正直何を教えてほしいのか分かりません!」と言うときだってありますよ。
>>>2. 変わってほしいと思うところはあるけれど、それを 言葉・口で表現するときに、どうしても相手を否定してしまうような表現になってしまうから
なぜ、変わってほしいのでしょうか?
もし相手に、もっと素敵になれる余地が残っている感じがするなら、まずはそれを伝えてみてはどうでしょうか。
「あなたはすでに素晴らしい。そしてもっと素晴らしくなれそう。」
ということです。
本人が自分に向上の余地があると思っているかどうか、あったとしても向上したいと思っているかどうかは、他人がどうこうする領域ではありません。だからこそ、単純にあなたがどう思うかを表現するだけでよいのではないでしょうか。
>>相手を否定するような表現が嫌だと感じるから何も言わず相手が気づくまで、あるいは技術的・時間的な問題なのでもう少し待っておこうとか、相手もこれはわかっているだろうから あえて 言わないでおこうだとか思っています。そして結果的に言わないというふうになっていると思います。
なるほどー。
コミュニケーションすることに自らブレーキをかけていますね。
・相手についてよいとあなたが思うところ
・相手がさらによくなれるとあなたが思うところ
をこうやって「ここがよいね、あそこがよいね、ここはさらによくなれそうだね」という「よいよい語」で話してみるとどうなるでしょう。
自分が感じたことを、「よいよい語」を使って表現するだけだから、シンプルですよ (^^)
>>でもみんなをまとめる役割がある立場であり、みんなの意識・意思の統一を図るためにわたしがもう少しものを言える状態でないといけないと自分自身が感じたり、まわりもそれを私に求めているように感じます。
リーダーシップを期待されている、ということですね。
まず大切なのは、あなた自身がそもそもリーダーシップを取りたいのかどうか、ということだと思います。冒頭の問い 「わたし自身は、どんなパートリーダーになりたいかな?」もそのことですね。
わたし自身の話で言えば、事務的な面でのパートリーダーの責任は面倒でしたが、それ以外は
・「かっこいいセクションのサウンドを作りたい」という個人的なワクワクと
・「教え方の工夫で相手が良くなり、自分にとってもヒントになるのが面白い」という個人的な興味
がモチベーションになっていたので、割とその役割を楽しんでいました。
リーダーシップの発揮の仕方は、ほんとに自分らしいものでないと、自分か他人か両方にひずみが来ます。
・ガツガツ自分の思い通りにパワフルに進めるリーダーシップ
・周りを勇気づけ支えてあげながら盛り立てていくリーダーシップ
・周りと仲良くなってチームワークを高めていくリーダーシップ
・自然体、ありのままで好かれて、周りに助けられるリーダーシップ
ほんとひとそれぞれだと思います。
>>私自身がバジル先生のブログなどで出会った価値観や考え方と部活動でのみんなとの価値観や考え方とにギャップをすごく感じていてすごくもどかしいです。それを解消するためにお互いに意思疎通を図ることが大事だというのは理屈ではわかっているのですが。
うん、他人の価値観を変えるのは難し〜〜〜いですよ。
それをやるには、思いっきり嫌われる覚悟が必要だと思います。嫌われるのが平気なひとは、集団にとってよりよい価値観を、抵抗にもめげずに浸透させていきます。
でもわたしはそれはできません。だから、自分の価値観に共感してくれるひととだけ、指導をします。具体的には、わざわざこうしてブログを読んでくれたり、わざわざ向こうから申し込んできてくれたり、わざわざ呼んでくれたりするひととだけ、音楽の仕事においては関わっています。
これって、異なる価値観を訴えているのでも、浸透させようとしているのでもなく、そういう価値観のもとに集って自分の価値観に則って成長していく方法を見つけていきましょう、ということをやっているのです。
だから、ギャップを埋める必要があまりないのです。
大切なのは、自分が自分の価値観に基づいて生きる・行動するということだと思います。相手を変えるのではなく、自分が自分のやりたいようにやる。それに参加したいひとはどうぞ、それが嫌なひとはそれでも構いません、っていうスタンスだと思います。
自分の価値観と共鳴しない価値観ばかりのなかにいるのは、しんどいし息苦しいです。でも、そういう環境こそ、自分の価値観を発見して明確にししっかりさせていく役割を持っている面もあると思います。
【質問者】
お返事ありがとうございます
自分のなかでうまく取り込めそうです。
自分のリーダー像を描いて自分の価値観に基づいて行動・生きることに専念しようと思います。
【バジル】
….ほんとに一通のメールだけでそんなに思えるの??
【質問者】
はい。実は何度も文章を書きなおして、あのような形になったのですが…
いろいろ思うこと、感じることがあり、はじめはそんなふうに文章を綴っていたのですが、
それらは時間をかけて自分のなかでちょっとずつ処理していこうと思って…
【バジル】
そうでしたか。
もしその過程をメールに書くことを遠慮していたのであれば、遠慮要りませんからね (^^)/
【質問者】
では、もう一度書いてみます。
「わたし自身はどんなパートリーダーになりたいか?」
優しい?親しみやすい、頼りになる、しっかりしてる、アタフタしない、的確なアドバイスができる。わたし自身は、すごく上手な人から指導してもらいたい、楽器に関して深い知識と理解を持っている人から指導してもらいたい、という思いがあります。
「単純に相手の演奏が悪くないとき褒めてみてはどうか?」
褒められない。恥ずかしくてそんなこと言えないと思ってしまう。
「なぜ相手に変わってほしいのか?」
もっと素敵になれる余地が残っていると感じるから。
「まずは相手の良さ、そしてさらに良くなれそうだということを伝えるのはどうか?」
それはいいかもしれないです、
「単純にわたしがどう思うかを表現するだけでよいのではないか?」
でも、常に上のレベルを目指していかないと、と言われます、言われました
「ここがよいね、あそこがよいね、ここはさらによくなれそうだね、という『よいよい語』で話してみるとどうなるか?」
やってみようと思います。
でも、それだと、「こいつ何言ってんだ。」と思われそうで怖いです。
パートのみんなの中には、きちんと高い意識を持っていて、心の強い人もいて、そういう人は常に上を目指して行っていて、わたしからの注意を求めているように感じるから。
「自分自身はリーダーシップをとりたいか?」
とりたいです。
【バジル】
>>優しい、親しみやすい、頼りになる、しっかりしてる、アタフタしない、的確なアドバイスができるパートリーダーになりたい。
なるほど。このなかで
「優しい、親しみやすい、頼りになる」は性格とか性質とか在り方の面ですね。こう在るためには、自分自身でいるだけでよくて、それ以上何も必要ありません。
「しっかりしてる、アタフタしない、的確なアドバイスができる」は、指導経験のなかで徐々にできるようになることです。だから、いまそうでなくても、まったく心配ありません。
むしろ、優しくて親しみやすい自分であり続けるためには、多少あたふたしたりアドバイスがうまくできないことがあっても、そんな自分にこそ優しくすることが大切だと思います。
>>わたし自身は、すごく上手な人から指導してもらいたい、楽器に関して深い知識と理解を持っている人から指導してもらいたい
この想いが、自分もそういう指導が「いま」できなきゃ、というプレッシャーになっている感じがしますね。
極論ですが、
「楽器に関する知識があまりないけど、あなたの演奏をすごく伸ばしてくれる指導者」
「楽器に関して深い知識と理解を持っているけど、あなたの演奏を伸ばす力はそんなに持っていない指導者」
だったら、どっちになりたいですか?
>>単純に相手を褒められない。恥ずかしくてそんなこと言えないと思ってしまう。
なんで?
褒められない指導者は、指導が下手ですよ。
褒められない、っていうことが一番あなたがなりたい自分になるなることの障害になっているかもしれません。
>>常に上のレベルを目指していかないと、と言われます。言われました。
無理に目指しても、それは無理しているだけで自分自身に不正直ですよ。
向上心というのは、「上」を目指すものじゃなくて、自分がもっと素敵になりたいな、もっといろんなことができるようになりたいなという気持ちで、そこに無理や頑張りはありません。
とっても自然な気持ちで、好奇心とか興味といった気持ちのすぐ隣にあります。
>>よいよい語、やってみようと思います。でも、それだと、「こいつ何言ってんだ。」と思われそうで怖いです。パートのみんなの中には、きちんと高い意識を持っていて、心の強い人もいて、そういう人は常に上を目指して行っていて、わたしからの注意を求めているように感じるから。
あなたは、相手の求めに応じたいのか、それとも相手の「演奏がもっと素敵にできるようになりたい」という向上心に応えてその手助けをしたいのか、どっちなのかな?
演奏の上達に、厳しさや頑張りは邪魔になることがありますが、邪魔になっててもダメだしを続けたいのかな?
>>自分自身はリーダーシップをとりたい
それはなぜでしょう?
【質問者】
>>「楽器に関する知識があまりないけど、あなたの演奏をすごく伸ばしてくれる指導者」「楽器に関して深い知識と理解を持っているけど、あなたの演奏を伸ばす力はそんなに持っていない指導者」だったら、どっちになりたいですか?
自分を許して受け入れられているときは、前者でいいと思えます。でも、後輩よりも下手で自分を許せない気持ちが心のどこかにあるときは、後者でないとだめだと感じます。
>>褒められない指導者は、指導が下手ですよ。褒められない、っていうことが一番あなたがなりたい自分になるなることの障害になっているかもしれません。
褒められるときと褒められないときがあるように思います。それも上記の場合と一致します。
私自身の問題なんだと思います。後輩たちは多分、私ほど自分を許せない状態にならないのだと思います。私だけが自分を許せなくて、おまけに下手なので、何も教えてあげられないと感じているのだと思います。
私自身はそんな自分のかたくなった気持ちをほぐしてあげることができなくてパートに臨むので、自分の気持ちも分からないし、どうしたいかという気持ちがなくて、自分の意思を伴う練習ができないのです。
私が相談したかった本質は自分を許せる自分でいられるようにするためのプランの提案だったのかなと思います…
>>リーダーシップをとりたい。それはなぜですか。
リーダーシップをとっているのが、かっこいいと感じるからです。
私が吹奏楽に出会ったのは、小学6年生のころで、地元の中学校の吹奏楽部の演奏をきく機会がありました。そのときのクラリネットのトップの先輩が憧れでした。
その当時は、地区大会で金賞をとるそのバンドがどれほど上手なのかはわかりませんでしたが、実際にその部に入って、トップの先輩がコンクールではソロも吹いていて、パートリーダーで、どれほどみんなをまとめているかわからなかったけれど、
あの頃より少しは楽器・吹奏楽のことがわかってきた今、やっぱりあの先輩は上手だったんだなと実感しています。
【バジル】
>>自分を許して受け入れられているときは、前者でいいと思えます。でも、後輩よりも下手で自分を許せない気持ちが心のどこかにあるときは、後者でないとだめだと感じます。
すごい整理されてきましたね。日常から「自分許して受け入れる」ことをたくさん練習・実践していくとよいと思います。
>>私だけが自分を許せなくて、おまけに下手なので、何も教えてあげられないと感じているのだと思います。私自身はそんな自分のかたくなった気持ちをほぐしてあげることができなくてパートに臨むので、自分の気持ちも分からないし、どうしたいかという気持ちがなくて、自分の意思を伴う練習ができないのです。
「自分を許せない」「自分は下手だ」という想いがあなたを硬くさせてしまうのですね。この想いはお互いひっつきあっていますから、片方が変わればもう片方もきっと緩んでくると思います。
>>私が相談したかった本質は自分を許せる自分でいられるようにするためのプランの提案だったのかなと思います…
ここまで理解・整理できて素晴らしいですね。
いろんなやり方があります。きょうはほんの一例を提案してみますね。
① 「自分を許せないとき」は、身体が固かったり、息苦しかったり、気持ちがモヤモヤしたり何らかの不快感・辛さを感じているはずです。
② その感覚に気付いたら、こう宣言しましょう「なにはどうあれ、とにかくいまの私は、なんかおかしい!」
③ この宣言で、「自分許せないモード」に一気にブレーキをかけることができます。
④ そしたら、次に口だけでもいいから自分にとりあえずこう言います「よし、ひとまず自分を許してあげよう」
⑤ そして、身体が硬くなっているところに「ゆるんでいいよ~」と思ってみましょう。息苦しいときは、ゆっくり鼻から呼吸して、呼吸の動きを感じてみましょう。5分くらいでもいいので。
⑥ そうやってしばらくすると、気持ちが変わってくるはずです。
これを、繰り返せるだけ繰り返していきましょう。
>>リーダーシップをとっているのが、かっこいいと感じるからです。私が吹奏楽に出会ったのは、小学6年生のころで、地元の中学校の吹奏楽部の演奏をきく機会がありました。そのときのクラリネットのトップの先輩が憧れでした。
なるほど!
素敵な先輩に出会えたのですね。
その先輩の姿が、あなたが成長したいと思える刺激をくれたのですね。
世の中には残念ながら、成長したいという気持ちを忘れてしまっているひとのほうが多いです。
だから、先輩が感じさせてくれる気持ちは、とても価値あるものです。
その先輩は、とっても上手だったのですね。でも、もしかしたら教えるには下手だったかもしれないし、リーダーシップは全くもっていなかったかもしれません。
それでも、その先輩は、演奏を通じてあなたに大切な刺激をくれました。
誰かを勇気付ける素敵なリーダーシップは、どんな欠点や弱点があるかとはあまり関係ないと思います。そのひとのそのひとらしさや、素敵な点がひとを惹きつけます。
そして、自分自身の弱点を知っていて、受け入れていて素直でいられるひとを、ひとは信頼します。
– – – 10日後- – –
【質問者】
テスト期間が終わり、今日から部活が再開しました。
先生に一回目にメールをさせていただいたとき、自分を許すことはその時のわたしにとって難しいことでした。部活でいっぱいいっぱいになっていたのかなと思います。
でもテスト期間に入って部活から離れてみて冷静に、落ち着いた気持ちで自分を見ることができました。
「自分を許す」という気持ちは、上達と密接に関わっているのだと感じることが出来ました。自己肯定感がないと技術の向上はできないのだと感じました。
それはわたしの日常生活のなかでも通じることでした。時々まじめすぎて、完璧ではない自分を許してあげられないことがあります。以前はもっとそうでした。近頃はだいぶましになりました。
それが楽器を演奏するときにもつながっていました。
自分を許してあげてもいいんだって思うことが出来たとき、なんだか胸がいっぱいになって涙が出てきます。
自分を許してあげる、それが全てではないです。技術面で意識することもたくさんあってそれをないがしろにしてもいいというわけではないけど、自分を許すことができるというのは大前提にあるはずのものなんだと再確認することができました。
これからそのことを忘れてしまうことが何回もあるかもしれません。その度に不安になってしまうんでしょう。でもそんなとき今回のこの気持ちを思い出せたらいいと思います。
親身になって聞いてくださってありがとうございました。自分の話を聞いてくれて分かってもらえる人がいるというだけで心強いです。ほんとうにありがとうございました。
【バジル】
テスト期間がよい休みになって、気持ちに余裕ができて、大事なことに気がつくことができましたね。
わたしもよく、テスト期間で楽器演奏の調子も気持ちの調子も、ときには身体の調子も立て直していました。それだけ、普段の部活で自分を追い込んでいたのでしょうね。
わたしも、完璧でない自分を許せない、受け入れられないという傾向がとても強いです。
でも、それでホルンをやめなければいけないかもしれないという本当の瀬戸際に立ったときに、そういう完璧主義な自分こそがいちばん上達を邪魔していることに気づきました。
それ以来、完璧でない自分を認めて、受け入れて、楽しむことをずっと「練習」しています。楽器の練習と一緒で、練習していると上手になってきます。
いまではその練習をはじめた12年前と比べてずいぶん自由になりました。
でも、「治っている」わけでも、もう悩んでいないわけでもありません。だからこそ練習のやりがいがあります。
楽器の演奏において、技術的なことや意識することというのは、本来とても楽しいことです。だってそれらに取り組むことで、うまくなるんだもの。
負担に感じるときは、もっと早く上手にならなきゃ、いますぐ完璧にならなきゃ、と焦っているときですね。
楽器演奏は、ほんとに「練習したもん勝ち」だと思います。
それは練習をいちばんたくさんしたひとがいちばんうまくなるということでなく、他人との比較や完璧主義や、あるいはときにはただの怠慢から練習する気をなくしてしまうくらいなら、気楽に自分のペースで練習に取り組んだほうが絶対上達するし、楽しいし、自然な自信が付いてくるということです。
これからの部活がちょっと楽しくなるといいですね。
【質問者】
技術面のことを意識することは本来楽しいもの。本当にその通りですね。わたしもそう思える時期がありました。でも最近は上達のペースが先生に求められているものに追いつかなくて、焦ってしまって、自分を追い込んでいたと思います。
バジル先生の言う通り、『練習』していこうと思います。
お忙しいにも関わらず、親身になって聞いてくださってありがとうございました。
【バジル】
そっか、先生に求められるペースに追いつけずにいるのですね。それだと、焦る気持ちはよく分かります。
でも、もしかしたら部活の先生は「求めるレベル」にあなたが達することじゃなくて、そこへ向かおうとする姿勢というか努力を求めているのかもしれない。楽器の専門の先生からは演奏技術的に「大丈夫」と言ってもらっているわけだから、たぶんそうなんだろうと想像します。
また、あなたひとりに対してではなく、「全体」にそういう求め方をしているのかもしれないですしね。わたしも高校生のとき、「全体」に対しての厳しい言葉を個人的に受け取りすぎて自分を追い込みすぎて悪循環になりがちでした。
きょうまで長期間、一緒に課題に取り組んでくれて、ありがとう!
Basil Kritzer
バジル先生、初めまして。
私は大学オケでバイオリンを弾いています。去年このブログと出会って以来、本番での緊張や、練習、指導の悩みについてとても助けられています。
今回コメントしたのは、大学オケのコンミスの子のやり方に少し困っているからです。(私たちは今年で引退する学年です。)
彼女は、コンミスになってからとても自分を追いつめているように思います。トップはつらくて当たり前と思っている、自分の理想に足りていないところばかりを見ていて、自分や、パートのいまを見ていない。そんな風に思います。(具体的にどういうところが、とは上手く言えないのですが)
彼女のいる練習はあまり楽しくありません。
個人レッスンで出される音階などはとても楽しいです。今日の合奏ではその子が欠席していたのですが、コンミスが不在だというのにとても楽しかったです。
私は特別彼女と親しいわけではないので悩みを聞くこともないし、そもそも自分を追いつめている自覚があるのかすらわかりません。
そういう理由もあり、またこの記事を読んで、彼女自身を変えるのはあまり現実的ではないと考えました。しかしこのままでは、せっかく引退年のオケなのに、楽しめずに終わってしまいそうです。
なにかいい方法はないでしょうか?
やさいさん
その方は、結局好きで、あるいは仕方なく、そういう状態になっているんだ。
….と思えば(実際そうです)ラクになりますか?
Basil
バジル先生
お返事ありがとうございます。お返事のこと、試してみました。
少しは、ラクになると思います。でも、現状は変わらないというか…楽しくはならないです。
自分は何が楽しくてオケをやっていたのか、わからなくなってきました。
参考になるかもしれない記事:
http://basilkritzer.jp/archives/4224.html
http://basilkritzer.jp/archives/3474.html
バジル先生
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
どちらも読んだことのある記事でしたが、その時はその通りだなあ〜と思ってそのまま忘れてしまいました。
改めて記事を読み、しばらく自分を見つめなおすことにしました。
今日返事を書いているのは、Twitterでの「音楽そのものが苦しいということはない」という趣旨の発言に急にピンときたからです。
詳しい事情を書く必要があるかわからないのでとりあえず省略しますが、バジル先生のおかげで一週間ほど後に控える本番、楽しく演奏できそうです。本当にありがとうございました!
このコメントを読んで、そのツイートをブログにしようと想いました!
ありがとうございます(^^)
こんばんは。過去に何度か質問させていただいた、チューバを吹いている高校二年生です。
今、私もパートリーダーをやっていて、全く同じ状況に陥り、悩んでいました。「自分が上手く吹けないから指導できない」と思ってしまい、パート練習でもなかなか自分の考えを言えませんでした。自分の技術面も詰めが甘いと思っているので、自信を持って適格なアドバイスが出来ず…
コンクールが近付いてきたのでかなり焦っていましたが、このブログを読んで、考え方が少し変わりました!
何度も読み返して、これから参考にしたいと思います!
chocoさん
記事が役立ってよかった!
「究極の二択」って考え方が、迷ったときは役立ちます。
・めっちゃ上手に演奏できるけれど、最悪の指導
・演奏はそこそこだけれど、とても素敵な指導
どっちに、パートメンバーはリードしてもらいたいかな?
ってことですね(^^)