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ときどき、レッスンや講座をやっていて、「サービス過剰」になって疲れてしまうことがある。そういうときだいたい、生徒さんも疲れる。
で、「サービス過剰」なときはよく振り返るとだいたい、生徒さんに好かれよう、嫌われたくないって気持ちが侵入してるときみたいだ、自分の場合は。
教えすぎ、
説明しすぎ、
丁寧すぎ、
つじつま合わせすぎ、
しゃべりすぎ。
それでレッスンが少し停滞したり生徒さんの表情がどこかで気になったりになり、焦ってさらにサービス過剰に!
ナイス悪循環!
楽器演奏の完璧主義の弊害には苦しみ抜いたから完璧主義によく気づけるのだけど、教えることは完璧主義にならずバランスよく学べてきたからあんまりきがつかなかったけど、サービス過剰って完璧主義だ。
完璧主義は、疲れるのである。自分も他人も。そしてパフォーマンスをさげるのである。
向上心と完璧主義の境目は実に紛らわしく巧妙であるが、全く別物だ。前者は楽しい。後者ははた迷惑である(笑)
ひとに好かれたい
嫌われたくない
ひとに何と思われるか気になる
完璧主義
これ全部、心における生息エリアが近いぜ。
Basil Kritzer
いつもブログ読ませていた抱いております。
実は今まさにこの状況に陥ってしまっているところでした。
大雑把な私は、完璧主義などではありませんが、仰せの通りサービス過剰なのではと、最近考えています。
できるだけ子どもの主体的な活動を応援するような形にしたいとは思っているのですが、具体的に教えないとピンとこないようです。 中学生なのであまり難しい言葉を使わないことや、感覚重視であることや、イメージなどを表してやっているのですが、自分の持っていき方が悪いのか…
いきいきとした活動にしたいのに、それがうまくいっていません。
わたしは、中学や高校の吹奏楽部に教えにいっても、単発的だし外国人で珍しいし、わざわざ呼んでもらっているから、ちょっとジョークやゲームを交えながら教え始めるとすぐにみんな楽しそうにいきいきと学んでくれるのですが、毎日顔を合わせている場合はより工夫が大切になるのかもしれませんね….。
ただの感想ですが、
・先生が気さくで冗談好きな部活
・明るくやろう、というのが伝統?になっている部活(つまり先輩が気さくで引っ張って行ってくれる)
は生き生きしている気がします。
わたしは定期的・日常的に教えるのは大人のグループです。子供のグループとはもちろんいろいろちがう面がありますが、大人でも定期性があるだけで、学びの「熱」は下がりやすくなります。
どうやってそれを盛り上げているかな、自分は?と考えてみると、
自分自身が毎日教え方を変えている、アップデートしている、見直している、というのが役に立っている気がします。
自分自身が教えることに決してマンネリにならないようにしている(より正確には、マンネリになると自分が苦しいくて嫌すぎるから工夫し続ける)という面があり、それに生徒さんたちも反応してくれる、という感じです。
その工夫の源は
・自分自身のホルンの練習での学び
・教室の構築・運営への試行錯誤
・音楽家・指導者としての自分の未来をさまざまに夢見ること
にあるように思います。全部、結局は自分自身についてのことであり、そこでの発見や気づきを、教えるときはただ使う・活かすだけなんです、実のところは。
「飽きさせないように….」といった「相手」への関心ではなく、自分自身への関心だというところがミソになっています、わたしの場合は。
はじめまして。
いつも楽しく読ませていただいております。
私は仕事は会社員ですが、趣味で楽器を…そして、アレクサンダーテクニークレッスンも受けております☆
この記事が…ほんとにどストレートに心に響き、悩んでいたことがかなりクリアーになりました☆
思わずコメントさせていただきました…。
ともこさん
書いていることが響いたと知れて、嬉しいです(^^)
有難うございます。
Basil