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David Wilken氏(以下、ウィルケン)のウェブサイトより、記事「 Embouchure Dystonia Treatment – Some Questions and Criticisms 」(原文こちら)の翻訳です。
ぜひご覧ください。
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アンブシュアディストニアとアンブシュア機能不全にの改善方法について
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このブログ(Wilkenのブログ)をいつも読みにきている方を除いては、きっとアンブシュアについて深刻に悩んでいるなかでここに行き着いたのだろうと思う。
この記事がそんなあなたの探求に役立つことを願いつつも、この記事ではどちらかというとアンブシュアについて専門的に指導する指導者たちや、アンブシュディストニアと診断された奏者たちを治療もしくは指導する方々に向けたものである。
この記事の目的を果たすなかで、「アンブシュディストニア」という語と「アンブシュア機能不全」という語を使い分けていく。また、ときにはその二語は互換性を持つこともある。
なるべく具体的な定義に基づいて用語を使用するようにするが、「アンブシュディストニア」と診断される現象に関しても場合によってはそれは神経医学的な症状ではなく、アンブシュアのメカニクスの問題(=アンブシュア機能不全)だと考えるひともいるということを分かっておいて頂きたい。
The National Institute of Neurological Disorders and Stroke (アメリカにある脳梗塞や神経医学的異常の研究所)は「ディストニア」を次のように定義している。
…不随意の筋収縮によって特徴付けられ、ゆっくりとした反復運動や異常な姿勢を引き起こす現象のこと。その運動は痛みを伴うこともあり、ディストニアを罹患している個人によっては震えなどその他の神経医学的症状を伴うことがある。ディストニアには数種類があり、ひとつの筋肉だけに影響するもの、筋肉群に影響するもの、全身の筋肉に影響するものがある。ディストニアの形態によっては遺伝からくるものもあるが、大半のケースでは原因は不明である。
金管奏者にとって特に関わってくるタイプのディストニアで我々が理解する必要があるものは「行為特異性フォーカルディストニア」である。先のNINDSによると…
行為特異性のディストニアはフォーカルディストニアであり、特定の反復的な活動を行っているときにだけ起きる。例としては書痙があり、これは手やときには前腕の筋肉が影響され、手書きで書くときだけ起きる。似たフォーカルディストニアはタイピスト、ピアニスト、その他の音楽家の間で「~’s cramp(訳注:痙攣の意)」と呼ばれてきている。「音楽家のディストニア」は音楽家に影響を及ぼすディストニアを分類したものであり、とくに楽器演奏やパフォーマンスを実行する能力に影響を及ぼしているものを指す。これには鍵盤楽器奏者や弦楽器奏者の手、管楽器奏者の口や唇、歌手の声に見受けられる。
記事を書き進める前に、アンブシュアディストニアに関するわたし自身の考えを明示しておきたい。
このように医学的なテーマについて議論をする場合、わたしは医学や医療の徒ではなく神経医学的症状を診断したり治療する資格を有していないことを常にあらかじめ言っておく。
深刻なアンブシュアディストニアの発生原因もしくは相関性のあることとして考えられる事柄を説明するが、わたしの考えやアドバイスは医学的に証明されたアドバイスだということでは決してない。
医学的な症状かもしれない疑いがあるなら、必ず医学・医療の専門家に相談すべきである。
音楽と医学のちがい
この流れでまず初めにわたしが批判したいのは、医学的な症状を診断もしくは治癒すると主張している音楽指導者たちである。(訳注:アメリカではそのようなことが多いのだろうか?)即座にやめるべきだ。その意図は善良なもので、実際にアンブシュアディストニアに苦しんでいるひとたちの回復を助けているのかもしれないが、その行いには潜在的に非常に有害な結果をもたらす可能性がある。だから、ディストニアの治療、などのように謳うのではなく、たとえば「アンブシュアの問題解決」などと表現すべきだ。
法的に認められた医学の勉強を積み、免許を得ているのでなければ、無免許で不法診断・医療行為を行っていることになる。
潜在的に有害になる可能性があると述べた。医学的な理由ではない原因があって金管奏者のアンブシュアが機能不全に陥り、行為特異性フォーカルディストニアの症状に符合する症状が起きることがある。診断の資格を有していない者が、アンブシュア機能不全に苦しんで訪ねてきた生徒を「アンブシュアディストニアである」と宣言してしまうと、その生徒が実は必要としている医学的治療を受けることを避けさせてしまったり遅らせてしまったりすることにつながりかねないからだ。
もしその生徒が実はベル麻痺や軽度の脳梗塞であったとしたら、医師による正式な診断と治療を受けることを遅らせることは、その生徒が完全に回復する可能性を損ねてしまう危険がある。また、金管楽器を演奏できなくなってしまうこと以上に深刻な結果につながってしまう可能性すらある。
行為特異性フォーカルディストニアのような医学的に病気といえるものは実在するし、これらは資格を有する正式な専門家の監督下のもと治療されるべきだ。
それが適切な状況においては、音楽指導者たちは医学的問題は専門家に任せ、生徒たちには医療を受けることを勧めるべきだ。
無知は喜びではない
アンブシュアの形と機能について、金管楽器指導の世界の無知には驚かされることがある。
金管楽器指導の世界には間違いなく無知の文化があり、この文化は金管演奏者たちがアンブシュアがどのように働き、奏者ごとにどのようなちがった演奏の仕方をしているかという広い視野で理解するために学ぶことことを妨害している。
指導者や奏者がアンブシュアについて無知なままでいるべきだと強い影響力では発言していたひとりがアーノルド・ジェイコブズである。ジェイコブズは、「生み出す方法についてではなく、生み出すものそれ自体について考えながら演奏しなさい」(「アーノルド・ジェイコブズはかく語りき」より)と生徒たちに促した。
文字通りに、方法論について考えるなということを意図していたかどうかは別として、多くの金管指導者はこの言葉を「金管奏法は一切分析してはならない」というふうに解釈した。
ジェイコブズに師事したロジャー・ロッコは自身のブログ (英語) で、アンブシュアディストニアが
「自分自身への気づき、自己分析、楽器に意識が集中していること」
によって引き起こされている面が部分的にあると述べている。
しかし、彼はこの意見の根拠となる医学的参考文献を挙げていないし、行為特異性フォーカルディストニアに関して評価が確立されている情報源が述べることとも一切合致ちない。
ロッコが自身のブログでアンブシュアディストニアについて述べている議論の大部分は観念的かつ哲学的であり、彼の意見にはわたしは疑問を呈する。
もうひとつ、アンブシュアディストニアの治療のアプローチとしてよく使われるが誤った論理に基づいているのが、アンブシュアの機能不全が純粋に負荷のかけすぎ(使いすぎ)によるものだとするものである。
Lucinda Lewis のウェブサイト がこの誤りに陥っている。彼女によると、
….アンブシュア乱用症候群は2週間以上継続するアンブシュア関係の慢性的演奏困難のことを指し、唇の痛み・慢性的な腫れもしくは内出血・痺れ・何度も繰り返す擦り傷・持久力の不足・音の芯のぼやけ・コントロールの欠如・慢性的な高音域での問題・唇のカサつき、をすべて含む。
- Broken Embouchures, by Lucinda Lewis
彼女は実質的にアンブシュアに関連したあらゆる問題を一絡げに「アンブシュア乱用(訳注:使いすぎ)」を原因としている。
これの問題は、過度な単純化をしているということだけでなく、直面した状況に当てはまらない一般論的な解決法を提示してしまうことになるという点にある。
慢性的な高音域演奏の困難はいくつものメカニカルな問題が原因になっていることもあり、吹き過ぎ・使いすぎとは関係ないことがあるのだ。
唇の擦り傷は、マウスピースといっしょに唇をひねり上げることで悪化することがある。唇の腫れは上下の唇の間でうまくバランスされていないようなマウスピースの当て方・位置が原因のことがある。演奏の負担の増大が唇の問題の原因として最も有名ではあるかもしれないが、そもそもその前の時点でメカニカルな問題が端緒になっているかもしれないのだ。
音楽関係の文献を見ると、似たような考え方は全体から簡単に見つかるが、なかでもアンブシュアの分析を否定するような情報源は、金管楽器のアンブシュアのメカニクスについての正確かつ完全な議論を欠いていることが多い。
理解できない物事のことを分析することはできないのだ。ある対象を誤って分析すると、必要な手立てを正しく打つということが難しくなってしまうということを彼らは見過ごしている。「analysis leads to paralysis = 分析は麻痺させる」という言い回しがあるが、誤った分析が有害であるというのは当然のことであり自己充足でしかない。 まずは学ぶべきことを学ぶのが先決ではないだろうか?
金管教育の世界は全体として、アンブシュアの形と機能について無知である。一部のひとはその無知を誇っているほどだ。また、他のひとは誤った理解を持っている。
わたしは、大半の金管奏者と指導者はこれまで単純に賢明でない指導を受けてきただけだと思う。だからより良質な情報にアクセスできれば、アンブシュアの発達のためにどう練習しどう指導したらいいかについて理解を深めることがきっとできると思うのだ。
どちらにせよ、現実について学ぶことを積極的に阻むような実態は、金管楽器を学ぶ者達に対して深刻に非建設的であり、やめるべきことだ。
金管楽器奏者の基本的なアンブシュアタイプというものは、理解は容易にできるものだ。音楽を演奏するにあたって音楽理論について大まかな理解を持っていることが役立つと思えるならば、金管楽器のアンブシュアを理解することについても似たように少し努力してみることはきっと十分にあなたにだってできることではないだろうか?
金管演奏のテクニックについて忘れてよい時間や場所はある。それは確かだ。しかし、ある事柄について間違っているとか不必要だとか切り捨てる前に、それをいちど完全に理解することが必要である。
金管アンブシュアについて知っておくべきこと
アンブシュア機能不全を改善するためには、まずアンブシュアの形と機能について理解する必要がある。相矛盾する考え方が世の中にはたくさん出回っているので、それぞれを正しい文脈に位置付けるためのツールが必要になる。
このサイトではそれについてかなり突っ込んでたくさん書いてきているが、ここでも改めて基本的なところを説明しようと思う。
このテーマに関して導入として適した記事は こちら:『金管楽器の3つの基本アンブシュアタイプ』。
より深い内容としてはこちら(訳注:英語です)がよいだろう。
金管奏者たちのアンブシュアをちゃんとよく見ると、全員がひとりひとり異なるアンブシュアを持っていることに気がつくだろう。奏者ごとの解剖学的特徴は異なるのだから、これは当然のことだ。
とは言いつつも、いくつかの特定のパターンもまた金管アンブシュアに存在していることも見えてくるはずだ。
演奏中の金管アンブシュアを観察すると分かる2つの特徴を用いて、全ての金管アンブシュアを異なるタイプに分類していくことができる。
このアンブシュアタイプというものは、練習法や指導法ではなく、奏者が自覚しているかどうかに関係なく、その奏者がどのようなアンブシュア上の特徴を備えているかを述べる性質のものである。
2つの特徴をそれぞれ見ていこう。
【特徴1:息の方向】
まずひとつめは、息の流れる方向である(詳しくはこちら:息の流れの方向と金管楽器のアンブシュア)
多くの奏者が、マウスピースのシャンクに向かって息をまっすぐに吹き込んでいると信じ込んでいるが、透明マウスピースを用いた観察の結果はそうでないことを示している。
実質的に全ての奏者が、上下の唇のどちらかが割合としてマウスピースのカップ内において優るようなセッティングの仕方がでマウスピースを口に当てている。
上唇が優ると息の流れは下向きに口から出て行き、下唇が優ると上向きに流れてマウスピースのシャンクの上側のカップ壁に当たっている。
マウスパイプの当たる角度については個々のアンブシュアに関して重要であるが、ここで言う息の流れの向きを決定するものではない。あくまで、マウスピースの当て方からくる上下の唇の割合によって決まるのだ。
この現代においては金管アンブシュアと息の流れの方向という関係は常識となっているべきだが、現実にはそうではない。この特徴は互いに無関係ないくつもの研究によってバラバラに発見・確認されており、学術文献を無料でオンラインでたくさん読むことができる。
より重要なことは、自分の目で見て確認するのがさほど難しくないということだ。先のリンク先には透明マウスピースを用いた際のビデオが載せてあるし、そのマウスピースも比較的安価に購入することができる。
深刻なアンブシュア機能不全に悩む奏者の手助けをするならば、息の流れの方向に関して知っておく必要があるし、生徒が上方流方向のアンブシュアなのか、下方流なのか、それとも両方を使い分けているのかを分かっておかなければならない。また、全員がそのひと自身の解剖学的特徴に適したマウスピースの当て方をしているとは限らないこと、マウスピースの当て方を変えると良い方にも悪い方にも劇的に状況を変える可能性があることも知っておく必要がある。
【特徴2:アンブシュア動作】
もうひとつのアンブシュア上の分類に用いることができる特徴は、「アンブシュア動作」である。
実質的にすべての奏者が、自身が自覚しているかどうかとは関係なく、演奏中に音域を移動する際、マウスピースと唇を一体的にひとつのまとまりとして歯と歯茎に沿って上下に押したり引いたりしている。
このアンブシュア動作の全体的な方向や具体的なマウスパイプの角度は奏者によって異なるが、うまく機能するアンブシュアのための本質的な要素であるように見受けられる。
奏者によっては音域を上がるにつれ全体的にマウスピースと唇を鼻の方に向かって押し上げるタイプであり、また別の奏者たちはその逆に音域を上がるにつれマウスピースと唇を下へ引っ張り下げる。
この基本的なパターンは、個々の奏者の息の流れる方向とも関連する。上方流方向の奏者たちはほとんどいつも、音域を上がるにつれて引き下げを行い、一方で下方流方向の奏者たちは音域を上がるにつれて同じように引き下げを行う奏者もいれば押し上げを行う奏者もいる。
この現象もまた、いくつかの相互に関係のない別々の研究により発見されていて、複数の情報源により証明されているのだが、いまだ広く知られてはいない。
「息の流れる方向」と「アンブシュア動作」という二つの基本的な特徴を用いるだけでも、少なくとも三つの基本金管アンブシュアタイプに分類することができる。それに他の特徴、たとえば顎の位置やマウスパイプの角度を組み合わせてさらに分類を細かくすることができるだろう(ただし、不必要に複雑になると思う)。
もし深刻なアンブシュア機能不全に陥っている奏者を手助けするなら、これらの基本金管アンブシュアタイプのことを知って、どのように同定するかを学ぶべきだろう。変数として考慮することが大切だ。
アンブシュアタイプの切り替え
アンブシュアディストニアやアンブシュア機能不全の実例を見てきた数においては私以上に多いひともいるだろうが、注意深く観察したケース(そしてその一部は 記録に残している(英語) )は漏れなく、なんらかの形でのアンブシュアタイプの切り替えが見受けられた。
そのうちの少数は、ほんとうならば上方流方向の奏法で演奏すべき解剖学的構造の持ち主なのが何らかの理由でそうしていないというひとたちだ。この理由は多くの場合、善意ではあるが無知に基づいた指導者のアドバイスが原因である。
しかしながらより頻繁に見受けられるのは、上方流と下方流という二つの基本奏法間を切り替えているケースである。このようなひとたちのアンブシュア動作を観察していると、音域を上がるために唇とマウスピースを一体的に押し上げているか引き下げているかの判断をするのが困難である。 息の流れの方向を特定のポイントで逆にしたり、特定の音のあとからアンブシュア動作が過剰になったりする。
このYoutubeの動画にその例がある。 これは Joaquín Fabra,によって撮影されたものであり、この人物はアンブシュアディストニアは「行動様式」の問題だと信じており、ディストニアを心理的な問題として治療している。
このビデオに登場するホルン奏者をみると、アンブシュア動作の方向が変化しているのが分かる。
ここにもう一例のビデオがある。 同じくFabra によって撮影されたもので、トランペット奏者を映している。発音する際にほとんど毎回、この奏者のアンブシュア動作がぼこぼこと動き回るのが分かるだろうか。音を奏でるたびに、動き回る的を狙って射るようにして演奏しているのだ。ビデオの後半では、同じ奏者がほぼ症状から解放されていて、アンブシュア動作がよっぽど一貫して安定しているかが見て取れる。特に最初に発音するときのちがいが顕著だ。
わたしの知る限りでは、Fabraは奏者がアンブシュアタイプを切り替えながら演奏しているという点については着目すらしていないようだ。Dave Stragg とのインタビュー(英語)においてFabraは、アンブシュアディストニアが感情的な負荷において引き起こされていると感じていることを明確に述べており、アンブシュアのメカニクスに関しての話は避けている。アンブシュアを分析すること自体がディストニアの発生を刺戟する最初の状況の一部であることを示唆すらしている。
彼が基本的なアンブシュアタイプについての理解を明らかに欠いていながらも、彼の記録にはアンブシュアタイプの切り替えの問題が修正されていることが示されていることを考えると、深刻なアンブシュア機能不全からくる心理学的影響だけを治療する彼の手法は、意識的にアンブシュアのメカニクスを修正することも行えばさらに良いものになるだろうとわたしは主張したい。
Lucinda Lewis’s の考え方に話を戻す。彼女は、アンブシュア機能不全を治すためのプログラムは奏者が不調前のアンブシュアの状態に戻すことを必要とすると感じている。
彼女の著書 「Broken Embouchures」で彼女はこう書いている。
“アンブシュアを直すということは、メカニクスを負傷・不調前の純粋な状態にリハビリして戻していくことを意味している”
(2005, p. 40).
この著書において欠けているのは、負傷・不調前のアンブシュアが実は悪い機能の仕方をしていた可能性はないか、という視点である。
腰に負担をかけて重いものを持ち上げることに喩えられる。そのような持ち上げ方でしばらくは、特にもともと体が強い方ならばやっていける。しかしながら、それを長期間続けていくと、怪我をしやすい傾向になっていくのだ。
もしあなたが深刻なアンブシュア機能不全に苦しんでいて、もともとの吹き方に戻ることで症状が改善していたとしても、実は誤った奏法を上達しているかもしれない可能性を考えるべきだ。
指導者は、生徒のアンブシュアタイプと全体的なアンブシュアの形を分かっておく必要がある。アンブシュア機能不全の犯人であるアンブシュアタイプの切り替えを排除するためだ。また、不調の症状が始まる前にそのひとに適したアンブシュアタイプに変更させることを助けられるかもしれない。
ここからどう進むか
ここまで延々と言い放ってきたことの大部分は、アンブシュアのメカニクスに関する金管指導者たちの意識の欠如と、アンブシュア機能不全の問題に面したときにわたしたちがなかなかそれを正しい文脈で捉えられないでいることについてだった。
もし金管教育の世界がこの問題でつまずいているならば、アンブシュア機能不全に悩んでいる奏者たちが医学界に助けてもらえることを期待することはできないし、アンブシュアディストニアで苦しむ人々も医者やセラピストにその問題を十分に助けてもらえないかもしれない。
しかし、この問題は年月とともに、情報が共有され奏者たちの理解が深まるにつれて解決されていくだろう。だからわたしたちはそもそももっと良質で的を射た問いをアンブシュアディストニアについて立てる必要がある。
そういった問いのいくつかは客観的に調査ができるし、そうされるべきものであろうが、やはりまずは音楽家自身の世界でその問いは始まる必要がある。この問題の当事者だからというだけでなく、金管のアンブシュアをよりよく研究するために必要なバックグラウンドを持っているべきだからだ。
しかしそれを実現するには、よりよい音楽教育者たちが調査手法についてもっと真面目になる必要がある。わたしたち音楽家において、どのように調査というものを実行し、学術論文を読んで解釈したらいいかについての意識が欠如していることは仕方がない面もある程度ある。わたしたちはまず第一に、そしてなによりも芸術家であり、わたしたちの主な関心は音楽表現にあるべきだからだ。
そうは言っても、批評的分析というスキルは音楽においてまたそれ以外のことにおいても役に立つ。認知バイアスについて、初調査の遂行方法、音楽についてどのように正確かつ良質な情報を見つけるか、といったことを学ぶことは、アンブシュア機能不全の治療に取り組む者だけでなく金管指導者全般にとって必要になるものだ。
金管指導の世界の無知を喜ぶ文化を批評的分析と意識の文化に変えることができて初めて、アンブシュア機能不全を直すもっと効果的な方法につながる問いや調査を考えることができるのだ。
個人的にわたしが考える、必要とされている問いの例は以下のようなものである。
- アンブシュアタイプによって、深刻なアンブシュア機能不全になりやすい傾向があるものとそうでないものがあるのか?
- アンブシュア上のどのような特徴が(例えばアンブシュアタイプの切り替えなど)アンブシュア機能不全と関連するのか?
- アンブシュアタイプの切り替えが脳内で同定できる特定の神経学的異常を引き起こすのか、それとも神経学的な現象がアンブシュアタイプの切り替えを引き起こしているのか?
- アンブシュアの行為特異性フォーカルディストニアの原因として本当にアンブシュアタイプの切り替えがある頻度はどれくらいなのか?
- アンブシュアタイプの切り替えという問題を意識的に修正することはアンブシュア機能不全の改善につながるのか?
- 深刻なアンブシュアディストニアの治療に成功しているプログラムは、奏者のアンブシュアタイプの切り替え問題がプログラムにおいて考慮されてなくても、結果的に切り替え問題の修正につながっているのか?もしそうなら、アンブシュアタイプの切り替えをやめさせるような意識的な修正手順を用いることの方がさらに効果的なのか?
- アンブシュアタイプ切り替え問題に関連したメカニクスの問題は、金管奏者が悩む心理的問題につながっているのか?もしそうなら、メカニカルな修正は心理的問題の解消や軽減につながるのだろうか?
- どうすれば深刻なアンブシュア機能不全に苦しむ奏者を助けている金管指導者たちは、アンブシュア切り替え問題に関連したメカニカルなことと、うまく吹けないことからくる心理的問題に関することの両方のバランスのとれた改善プログラムを作って実践できるか?
オープンで率直な意見交換のために
この記事でも、オンラインゲーム上の他の場所でも名前をあげて何名かを批判した。過去には、何名かの指導者がわたしの批判を個人的に受け取ったが、わたしは個人攻撃を意図していない。できる限り、個人としてのそのひとではなく、そのひとの意・考え方について述べることを努力しているということを分かっておいていただきたい。
また、わたしが何かを述べる際、その意見がただの推測なのかそれとも客観的根拠に基づいて述べているのかもなるべく明確にするよう、とても気をつけている。もっと大事なことは、わたしはこれまで間違っていたことがあるし、これからも間違っていることがあり続けるであろう、ということだ。
こういったテーマについて意見を公開しているのは、専門家にわたしの理由付けの間違いを指摘してもらえるようにするためだ。
科学的手法というものは、自己修正するという性質があるがゆえに、ここまで非常に有効であり続けているのだ。
深刻なアンブシュア機能不全に苦しむ奏者たちを助けている金管指導者はもっとそのような手法を踏襲すべきだ。
これには、お互いの考え方に疑問を呈し合い、自分自身の仮定や推測を見直し、互いにオープンで率直な議論することに関わっていく必要がある。こういうことを失礼なことだと思ってしまって、これこそが進歩をもたらしてきていることを忘れていることが多すぎる。
どれだけ治療がうまくいっているように見えても、全ての正しい答えを持っているたった一人のアンブシュアディストニア治療者がいるのではないのだ。たった一人の天才がすべてのひとを導くなどというのは、幻想だ。個人個人で考えるより、集合知のほうがよっぽど賢いのだ。
苦しんでいる奏者たちへのアドバイス
あなたが実際にアンブシュア機能不全に苦しんでいて、ここまで全部読み進んできたひとなら、わたしから最後にあなたのアドバイスをまとめたい。
わたし自身を含め、アンブシュアの問題に悩むひとたちを助けることに、わたしはある程度成功してきたし、アメリカ全土に何人かお勧めできる指導者はいるが、本当に助けを得たいならおそらく遠くまで誰かを訪ねることになるだろう。たまたまその近くに住んでいるのでなければ。
動画による相談は、問題解消につながる可能性はあるが、全体的にはアンブシュアの問題の診断と解決法を見出すことには至らない。
アンブシュアタイプやアンブシュアタイプの切り替えについての知識や意識を示さないながらもアンブシュア機能不全のひとを助けることに成功している金管指導者はいるにはいるが、基本線として知識を持っているひとを訪ねることを勧める。
まずは指導者たちにいろいろ尋ねてみよう。さらに、助けを求めて探す際、「ダニング=クルーガー効果」(訳注:知識の少ない人間が、もっと知識の多い人々より自分の方が物事をよく知っていると思い込む現象)について覚えておくといいだろう。アンブシュア機能不全に関しての議論が白黒はっきりしているほど、そして指導者が自分自身がその問題の助けになれると思い込んでいればいるほど、そのようなひとのアプローチは客観的事実でなく哲学や比喩に立脚していることが多いように見受けられる。
“Harold Hill Think System” に基づいた治療プログラムは、その内容ゆえというよりはその内容「にもかかわらず」うまくいく可能性がある。これをやってみて効果があっても、念のためセカンドオピニオンをもらっておくとよいだろう。
ただし、これに関してもわたしが間違っているかもしれないのだ。この記事に含めてある金管アンブシュアや機能不全に関する文献やリンクを辿っていろいろ学ぶ時間を取ってみてほしい。そして自分自身のために判断してほしい。この記事の目的は、アドバイスを正しい文脈に位置付けることができるような情報手に入れることができるということを金管指導者と奏者に注意喚起することであり、異なる意見のひとを脅かすことではない。
質問や批判は歓迎するのでぜひコメント欄に書き込んでいただければと思う。
こんにちは。私はアンブシュアについて悩み、本当に吹けなくなってしまい、12年続けたトランペットの演奏を、1ヶ月半前に一度諦めてしまいました。
しかし、解剖学的なアプローチは凄く説得力があり、勇気付けられ、もう一度楽器を吹いてみようかなと思えました。
そこで、少し質問させていただきたいと思います。
私はまず、色々な吹き方をしすぎたせいで、本来の自分のアンブシュアタイプが分からないでいます。
楽器を演奏している時、私は息は下向きで(上唇の方が比率が多め)、マウスピースは音が高くなると下向きに、低くなると上向きになるので中高位置タイプであると分析しました。しかし、口笛を吹くときは高い音を吹くとき、下顎を出し、息は上向きになります…。(この動きに楽器を添えると超高位置タイプ?)
質問① 上記のような場合、自分はどちらのタイプであるのでしょうか…
また、私は息の方向や、音域によるアンブシュア動作とは別に(?)、マウスピースのセットポジションがどこが良いのか見つけられないでいます(簡単に言うと、唇の上の方に当てるか下の方に当てるか)
質問②
唇に対してマウスピースの位置は人によって違うと思いますが、自分に合った場所が分からずにいます。
アンブシュアタイプによってある程度決まってくるのでしょうか。
文面では伝わらないのは承知の上ですが、何かアドバイスをいただければ幸いです。
ヒロさん
こんにちは。
口笛と金管楽器では、発音メカニズムも唇の役割やマウスピースの有無といった構造的条件も全くことなるので、
トランペット演奏におけるアンブシュアタイプの判別に口笛の吹奏時のことは考慮する必要は無いでしょう。
ですから、少なくともいまは、金管楽器の演奏は中高位置タイプで演奏していると考えて差し支えないと思います。
(ヒロさんの自己診断が正しければ、ですが)
マウスピースのセットポジションですが、いろいろアンブシュアで迷ってきた歴史からすると、まだしばらく見つかりづらい感じが続いても無理はないかな、と思います。
ですから、いまはまだセットポジションが日によって変わったり、動く感じがあったりしても、アンブシュアタイプの原則に沿って練習することを最優先していくことをお勧めします。具体的には、音を上下するときにマウスピースとアンブシュアを一体的に上下させることですね。ヒロさんのその上下の軸の傾きも把握して、その軸に沿わせようとすることをやってみてはいかがでしょうか。
スタートポジションは、そうやって軸に沿った上下の動きの中から、相対的にかつ事後的に、ウォーミングアップを済ましてすこし調子が出てきてから割り出す、というような作業を日々やってみてはいかがでしょう。
Basil
トロンボーンを吹いています。高3の時にアンブシュアジストニアになってしまい、部活を引退して数ヶ月楽器を吹かなくて、引退からまた戻って2ヶ月くらい練習しても治りませんでした。そしてそこから10ヶ月楽器を吹くのをやめて、また再開したんですが、ブランクもあるせいか、余計に吹けなくなったような気がします。
元々神経質な性格で、高校の頃アンブシュアを気にしすぎて練習していたのが原因だと思います。
高3の引退前と、引退から戻って練習してた時のアンブシュアは少し変わって、そして今は、吹けてた頃のアンブシュアで吹こうと追求したせいか、アンブシュアが全然定まらなくなりました。高校の頃のアンブシュアで吹こうと思っても、思い出すことができません。
息も続かないし、吹こうとしても音が出なくなったり、途中で音が出なくなったりします。
けれど楽器を吹くことは好きだし、絶対に辞めたくないです。8月には本番もあります。完全に吹けないわけじゃないので、吹けるところだけ吹こうとは思っています。
病院とかで見てもらおうと思っても、どこに行ったらいいのかよく分かりません。
今やるべきことは何でしょうか?楽器を吹くのは、もう諦めた方がいいのでしょうか?
Aさん
ディストニアというのは、医師からの診断でしょうか?
きちっと検査してからでないと、診断は不可能です。
検査していないのなら、病院です。
音楽家外来とか、フォーカルディストニアに知見のあるお医者さんを探す必要があります。
アンブシュア・吹き方の問題なら、ぜひレッスンにいらしてください。
深刻なら、深刻であるほど実際にレッスンでお会いしないと有意義なサポートはできないと思います。
Basil
ジストニアというのは自己判断です。アンブシュアジストニアの症状にかなり当てはまるので、おそらくそうだと思います。
ジストニアを扱っている病院に行ったらいいんでしょうか?
レッスンはどこで行なっていますか?
ディストニアと思われがちな症状でも、脳梗塞や麻痺、腫瘍などであることもあるようなので、自己診断は不可能なんです。
ディストニアを扱う病院や、音楽家外来がある病院が望ましいです。
レッスンは横浜です。
分かりました。病院を探して行ってみようと思います。
横浜ですか…遠いです…
4年前からホルンを吹いています、高校2年生です。
半年前くらいから、ある日突然下唇の左側が意図せず振動するようになり、ひどい時は息漏れをするようになってしまいました。鏡を見ながらマウスピースで練習したり、マウスピースを当てる位置を変えてみたりなど色々しましたが、症状は悪化するばかりで、今はチューニングBすらも吹けなくなってしまいました。喋る時(特に英語を発音する時)も左側から息が漏れるような感じがします。今は、合奏では吹き真似をしていて、「私はなんて不毛な時間を過ごしているのだろうか。」という虚しい気持ちに襲われる時が多々ああります。一方部活での人間関係は良好で、セクションリーダーというポジションにもなりました。また、私はホルンの音が大好きで、ここまで悩んで時間を費やした楽器を諦めたくありません。何かいいアドバイスをいただけないでしょうか?
4月29日にレッスンを予約させていただきました。
それは顔面神経の問題などもあるかもしれないので、一度耳鼻科に相談してみることをオススメ致します。
わかりました。ありがとうございます。