全身全霊のやり方

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2014年の秋、ホルン奏者で沖縄県立芸術大学で教鞭を取っておられる阿部雅人先生にお招き頂き、阿部先生が主催されるホルン合宿にて講師を務めました。

この二泊三日、ホルン漬け・音楽漬けで過ごしたことは、とても楽しかったです。

きょうはそのときのことをお話します。

【いつもとはちがう環境で…】

合宿に向かう前から、ホルンの吹き方や練習の在り方について

・歌うこと
・想像力、創造性、芸術性を駆使し鍛えること

について深く考え、大きな変化を体験している最中だったタイミングでの合宿でした。

合宿中は、周りでいっぱいホルンの音が鳴っている。しかも一日中。

そんな環境で自分も練習をすることは、いつも自宅で行うのとは触れる情報、入ってくる刺激が異なっていましたから、そのおかげで普段考えないことを考えたり気付いたりするきっかけとなりました。

それに加え、一日中、ホルンを演奏する方たちにレッスンをしていたわけですから、自分の演奏の在り方や技術的、奏法的な観察という点で濃い時間を過ごしました。

そのおかげで、またひとつ学べたことがありました。それは

全身全霊で演奏するとはどういうことか

に関することです。

【人目を気にするモード】

合宿初日、レッスンが始まる前に自由に練習できる時間がありました。その時間を活用して、わたしもホルンの練習をしました。

数週間ぶりに、ひとが周りにたくさんいる状況での「個人練習」です。

すると、「ひとがいる」ということにネガティブに反応して硬くなっている自分がいました。

前の日までの

・歌う
・想像、創造する

というアプローチをとるのがなんだか難しく、身体が硬くなり、みんなぼくの音や演奏をどんなふうに思っているだろう….

と気にするマインドが優勢になっていました。

その結果なのか、創造性のない、機械的で硬い感じの練習にどうしてもなってしまっていました。

望みとしては、「歌う、想像する、創造する」モードで練習がしたいということは確かでした。

ですので、当面できることは人目を気にして硬くなったり、音をはずすことやミスすることを恐れて歌うことがおろそかになったりするのに気付いたら、その都度、「歌う、想像する、創造するモード」にギアを入れ直すようにして練習していました。

【後悔のない吹き方】

その後、レッスンが始まり、食事や宴会などもありました。

ホルンに関して熱心で大きな愛を持っているひとたちと一日中過ごしている中で、わたしもとても楽しくなってきました。

すると、朝にしていた練習を振り返ると、なんだかビビっていて、怖がっていて、警戒しながらやっていた面が強かったなあ、と思えてきました。

ホルンを吹くこと、音楽すること、演奏のために練習すること。

なぜそこに警戒なんてものが入り込んでこなきゃいけないんだろう?

そんな在り方は、ちっとも望んでいないな、と思いました。

ほんとうは、一日一日、その瞬間々々を、悔いなく過ごしたい。

そしてホルンを吹く時は、奏でる一音一音もだし、奏でようとしているその過程も含めて、全部幸福でありたいのです。

【幸福とは?】

「幸福である」と「楽しい」は異なります。

もちろん幸福なときは気分が楽しいことが多いけれども、楽しいはただの気分です。

反対に、悲しいときや辛い時でも、自分の幸福を自覚できるケースはたくさんあります。

幸福は、自分の望みを満たせているか、満たす方向に動けているかどうかであり、コントロールできない気分や感情とちがって、自分で基準を定め、自分で確立できるものだと思います。

ホルンを吹いていられれば、わたしは幸福です。

なのに、吹いている最中に、どうでもいい警戒心や怖れ、承認欲求みたいなものに動かされはじめてしまう。

つまり、吹きながらにして、ホルンを吹くこととは関係のないことと一生懸命格闘してしまうのです。これは、わたしにとっては不幸です。

もったいない。もったいなさすぎる。

人生は有限だし、ホルンを吹いていられるのも実は貴重なことかもしれない。

だったら、明日ホルンを吹く時は、なるべく一挙手一投足、一音一音、発想の一瞬一瞬を、悔いの無いものにしよう。

そう決意して、その日は床に就きました。

【全身全霊のやり方】

次の日もその次の日も、

「悔いのない時間を過ごそう」

という目標をもって、練習をしてみました。

すると、

・いま何を吹くか(スケール?アルペジオ?調は?音量は? Etc)

・次何を吹くか

・吹くためにどう楽器を持ち上げるか

・吹くためにどうマウスピースを口に付けるか

・吹くためにどう息を吸うか

・吹くためにどう息を吐き、その他必要なことをして音を鳴らすか

・このフレーズをどう創造するか

そのひとつひとつが選択できることであることを強く感じました。

その選択をするにあたって、動機や基準はどうなっているだろう?

・自己否定を打ち消すこと(自己目的化)になっていないかな?

・ひとに一目置かれるため(承認欲求?)ことが動機になっていないかな?

・なんとなく練習しないとよろしくないから(習慣的)になっていないかな?

などなど。

わたしが選択するにあたって使いたい基準はただひとつ。

演奏したいから、演奏するための選択をすること

です。

もちろん、演奏するのはなぜか?と問われればそこにはとても深く大きな「理由」があるはずです。これを読んでいるあなたも。

そうやって取り組んでいると、悔いのない一音を奏でるためには、

演奏したいから演奏するというその行為に全身全霊を参加させる

必要があると気付きました。

「全身全霊でやる」と「悔いがない」ということは裏表なのです。

【全身とは?】

たとえばこれから何か吹こうとしているけれど、身体がちょっと疲れていて、いまいちやる気が湧かないとき。

そのまま無視してエイっと吹いてしまうと、これは高い確率で悔いが残ります。

・力み

・イマイチ感

・しっくりこない感

・音が外れる

・奏法的によろしくない感

などを感じます。

よくある、練習や演奏後の「もやもや感」です。

これは、

全身全霊の「全身」を参加させなかったから

起きてしまうことです。

可能性としては、

→楽器を持ち上げる腕の動きが不足していたかもしれません。

→肋骨がまだ固まったままで、呼吸の動きが十分に起きていなかったかもしれません。

→身体の振動がまだ行き届いていなくて、響きのツボが用意できていなかったのかもしれません。

→骨盤、脚、足といった下半身をロックしていたせいで、楽器の重量のバランスのさせ方に無理が生じていたのかもしれません。

いろんなことが考えられます。

【全霊】

全霊の「霊」が何なのか、という話は難しくなるので、ここでは、演奏のための

思考+ 気持ち(心)=全霊

ということにしておきましょう。

音を奏でようとするときに、

「失敗するかも」

「ああなってほしくない、こうなってほしくない」

「ほんとは自分なんかダメなんじゃないだろうか」

「これがうまくいかないなら、自分に将来がない」

etc….

そういう「おしゃべり」をあたまの中でしていませんか?

このおしゃべりに影響されながら音を奏でたらそれは「全霊」で奏でた音ではありません。

聴いていたひとは喜んでいるのに、演奏した自分としては悔いが残る。そういうときに多くのひとが言うのは「集中できなかった」「余計なことを考えちゃった」という言葉です。

この「悔いが残る」感覚こそ、全身全霊でやれなかったことを示しているように思います。

反対に、

全身全霊でできれば、仮に悪い結果になってもあまり悔いは残らない

のです。

全霊で演奏するということは、上述のようなおしゃべりの言うことを、音を奏でるアクションをする際には聞いていない、本気にしていないということです。

「集中」は、「する」ものというより、「全霊」でアクションをしたときに生じる「状態」だと思います。

よろしくないあたまの中のおしゃべりがあっても、音を奏でるときには音楽とそのメッセージを作る、奏でる、語ることを選択し直すこと。それが全霊で奏でるということです。

これって、ある意味ではソルフェージュのことだとも言えるのではないでしょうか?

ソルフェージュを正確かつ豊かに行っているときは、余計な「おしゃべり」をしていることは少ないと思います。ソルフェージュをするというのは、すなわち心の中に音楽を奏でるということであり、全霊が音楽に向かっているということでもあると思うのです。

そして、かのアーノルド・ジェイコブズが大変素晴らしい深みを持たせて語っている通り、まさに心の中の音楽(=ソルフェージュ)こそが全身に対しての運動を指示しているのです。

ここで全身と全霊がつながる接点のひとつが浮かび上がりますね。

また、メンタルトレーニングの技法で、「ポジティブトーク」といって、ネガティブな発想や言葉を自分が考えているのに気が付いたら、同じことをポジティブに言い換えるトレーニングがあります。

これも、全霊で演奏するための具体的なトレーニングのテクニックとしてとても役立ちます。

【やりたいことをやるために】

アレクサンダーテクニークは、まさに全身全霊でやりたいことをやる、そのシステマチックな訓練方法になっていると思います。

奏でたい音楽を奏でるために

頭を動けるようにしてあげて

③ そうすることで自分全体(心も身体も)がついてくるようにし、

音楽を奏でるために必要なことをする

これが、全身全霊で演奏するということなのです。

こういった気づきと納得が、このときの合宿で過ごすなかで得られたとてもとても大きな「贈り物」でした。

Basil Kritzer

アレクサンダーテクニークに関してさらに詳しくは、わたしのブログをご覧ください。

『ひとりでやってみるアレクサンダー・テクニーク』  

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