8重的なものの見方。

先週の土曜日に、アレクサンダー・テクニーク教師養成授業に通訳兼務で出席し、ホルンの演奏について、校長のジェレミー・チャンス先生に観てもらいました。

その様子を撮影した動画です。

このレッスンを受け終わって、自分の中に印象や学びとして定着していたのは、

「ホルンを持つとき、腕全体が動く。腕も自分全体の一部に含む。腕とは肩甲骨の動き、そして手首の動きも含む」

というものでした。

それについて書こうとこの記事を書き始めたのですが、動画を観ていると、ジェレミー先生が実はそういう身体意識のみならず色んなレベルでレッスンをしてくれていたのが分かりました。その推移を文章に書き起こしてみようと思います。

スタート
その日、どうも楽器を手に提げつつ走ってきたのがまずかったか、腕につながる背中の下部の筋肉に張りがあり、それに胴体が引っ張られている傾向がありました。それが気になっていましたし、時々こういう状態になるときはあります。そういう状態のときって、楽器も吹きにくいので、そこから会話を始めました。

自分が「張らせている」
背中の下部が張るんだ、言っていると、先生が「『自分がそこを張らせている』という言葉で表現したらどう?」とさりげなく言いました。ビデオを観ていて分かったのですが、「自分が張らせているんだな」という認識をはっきりさせたことで、どうやら『自分が何をやっているか』に観察が向いたようで、このときに少しパターンが変わりました。

頭と腕と背中の連動
まず吹いてみて、ときどきある状態ですが「背中下部が張り、頭が後ろに引っ張られて動きにくい」状態になっているのが分かりました。それについて「連動しているのは分かるけれど….」と言っていると、先生が「同時に気付きはしないかもだけれど、同じパターンの中にあるよね?」と言いました。ビデを観ると、腕の筋肉が背中を覆っているわけですが、それが引っ張っているのがよく分かります。そして、振り返ってみると、レッスン中もこの言葉が契機で「腕だな」ということが分かっていました。

何を意識したいか
普段は、吹いているうちに自分の傾向に気が付き、気が吐くうちに傾向が消えていきます。そのことを話すと「じゃあ、そのときどういうプロセスを使って変化を起こしているの?」と聞かれました。これで、「背中を張らせること」を『やめる』何かしらの意識をしている事実があることを指摘されたわけです。それなら、突破口はそこにこそある。

どうやって意識するかー基礎編ー
意識すべきことが分かって来たとき、それでもまだどうも建設的とは言えない意識=緊張を生む思考が混ざっていました。そこで先生に「じゃあ、混ざらないで済むような『意識するプラン』はいったいどんなものになる?」聞かれました。その「混ざらない」という言葉を聞いたとき、なぜ混ざっていたかが分かりました。どの音をどのように吹くか、という目的意識が明確でなかったのです。そこで、
何を吹くか決めて、頭が動けるようにしてあげて体全体が動けるようにしてあげて(=どのように, 協調作用のプラン)吹く」
という明確な意識を選ぶことができました。そうやって吹くと、だいぶ吹き易く、身体の緊張も減っており、動いて欲しい所が動いていました。一度目にアルペジオを吹いたところです。

どうやって意識するかー発展編ー
ここで先生が「進歩したね。でも望んでるような事が起ききっていないのも分かるよ」と入ってきました。その原因が、もうちょっと細かい腕の使い方にあるとのこと。興味深いのは、腕の話はここまで進んで初めて言及があったこと。「困った存在」として「腕を直しにかかる」のではなく、全体的の基礎的な意識が建設的なものになった時点で、特定の部分の話をし始めたわけです。全体→部分というアレクサンダーテクニークの原理がここにも表れているのが、すごいです。

腕の動き
先生「楽器を持ってきて当てたい角度いするのに、手首手伝ってくれるようにしてあげよう。」つまり手首を固めていたということ。そこでアルペジオ(二度目)。ビデオで観てると、マウスピースとアンブシュアの角度形成がずいぶんやりやすそうになっています。その次に、腕全体の話を始めます。肩甲骨から腕構造全体が楽器を動かし、支え、操作する。腕全体が必要な動きをやれてマウスピースを望んでいる場所と角度に持ってきてくれる。そういうアイデアです。手首から腕全体の話へスイッチしているのが、興味深いですね。おそらく、私の意識が手首に集中していたことが見えたのだと思います。また、腕全体が動ける、という意識と先生がジェスチャーで示している動きのイメージを観るに、腕が軸からは自由に動けるものであることを思い出させてくれているように思いました。そう考えると、背中を張らせるのって、腕と軸をつなぐ筋肉ですから、そこを解放してもいるわけです。このときにモーツァルトを吹いています。ものすごく吹き易いし、音の伸びも強かったです。部屋の雰囲気も変わりました。

一体、先生はどこまで多重的に見えているんだろう?動画を客観的に振り返ると、そのときに私が得たこと、感じたことを、先生が私の動きや言葉を手がかりに導く過程と対比させてみて、驚嘆すべきものがあります。

私はレッスン中、まだせいぜい3重的にしか考えたり観たりできません。ベテランのアレクサンダー教師たちは、たぶん8重くらいいってます。そういうものの見方ができるようになったら、楽しいだろうなあ….。

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8重的なものの見方。」への2件のフィードバック

  1. この間の映像ですね。
    AT教師の実際のレッスン風景を(しかもジェレミー先生の!)
    間近で拝見できて本当に良かったです。
    ジェレミー先生の観察は
    視覚によるものだけでなく、
    音を聞いたり、身体に触れたり、質問したり
    パフォーマンス中の雰囲気とか空気までも
    肌で感じてるのかな?と思ってしまいます。
    凄い先生ですね。
    長い時間をかけて良い師に巡り会えて本当に良かったです。
    師の見ている方向を私も見れるように頑張ります!

  2. 川島大和さん おはようございます。そう、こないだの授業のときのものです。ジェレミー先生、とにかく真似と吸収、そしてオリジナル化が得意で、いろーんなアレクサンダー教師を見て分析してきたらしいです。私は、ティーチングや学びのプロセスと構造を言語化したり説明したりすつことには、このジェレミー先生はアレクサンダー業界で抜きん出ていると思います。

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